第2章 二人の標山(2)
土曜日の昼、真守は街に出ていた。結局、空麻と会う約束を交わすことはできなかったが、買い物のために街中を歩いている。今日は白いカチューシャを着けている。学校に行く時は、クラスメイトから変に思われそうで着けていないが、今日はそんなことを心配する必要はない。
「みよ君。どこかの喫茶店でも入りましょうか」
「ああ、そうだな」
真守は今、ミヨク・ゼーラーと一緒にいる。ミヨクは車いすに乗って真守に押されていた。
「っていうかよー。俺、一応歩けるんだけど、車いすに乗る必要あんまりなくね」
「またそれですか。みよ君。そんなこと言って、気絶しちゃったらどうするんですか。私は、みよ君をお姫様抱っこして帰ることになっても大丈夫ですけど……」
「すみませんでした。大人しくしていますから、それだけは勘弁してください」
ミヨクは現在、満足に日常生活を送ることができない。だから再びこの地に訪れて、ヘンシェル教会に滞在している。
ミヨクの現状について、真守に連絡が入ったのは六月頃だった。ミヨクが急に気絶することが多くなったとのことだ。原因は明白だった。
エーテル欠乏症。
肉体と魂をつなぐエーテルが極端に少ないため、意識を保つことができなくなるという、魔術師の間では知られた病気だ。よく知られているとはいえ、症例はとても少なく、原因までは解明されておらず、難病に指定されているらしい。
しかしミヨクに関しては、原因も解決策もはっきりしている。
まずミヨクは幼少期にさせられていた『白い魔女』の魔術によって、自身のエーテルを減らされている。それはミヨクの父であるヘルベルト・ゼーラーが、ミヨクを完全な『白い魔女』にしようとして、夜刀神と繋がりやすくしようとしたためだ。これによって、肉体と魂の繋がりがとても弱くなっているのだ。
その問題を解消するために、真守は夜刀神の独占権を得て、夜刀神のエーテルによってミヨクの肉体と魂の繋がりを強固なものにした。
そこまではよかった。ミヨクが標山の森で真守と滞在している時は、何も問題はなかった。しかしミヨクが魔術師の国に帰って二か月経つと、夜刀神のエーテルが消えてしまったとのことだ。
そこで夜刀神のエーテルを維持するためには真守の力が必要だと考えられた。つまり真守がミヨクの傍にいなければならない。エーテル欠乏症を解消するためにミヨクは来日することになる。
ミヨクがこの地に来てから一週間が経った。その間に何度か標山の森にも行き、夜刀神のエーテルが定着しつつある。来たばかりの時はよく気を失ったり、そうでなくても体調を崩すことが多かったが、今ではとても安定している。とはいえ油断は禁物だ。
療養中ということもあり、今のミヨクの髪は黒色になっている。魔術師のしがらみがないこの地で金髪にしている理由はない。日本に来る前、魔術師の国の自宅で療養している時から染髪していないらしい。
真守とミヨクは喫茶店に向かったが、途中でミヨクがこんなことを言う。
「わりぃ……。トイレ行きたい」
ということなので、ミヨクは近くの公衆トイレへ行った。真守はトイレの近くで待つ。
すると真守は、意外な人物に遭遇した。
「おっ、真守じゃん。何してんの?」
龍水鈴花の兄、龍水健人だ。今まで尾行されている気配は全くなかった。どうやら偶然この場所に来たようだ。
「こんにちは。ちょっとしたショッピングですよ。健人さんも何かお買い物ですか?」
「いや、ちょっと打ちに」
そう言って、健人はパチンコを打つ時の仕草を見せた。それを見て、真守が唇を尖らせる。
「あんまりよくないですよ。賭け事は。その調子だと負けたんでしょう」
「そうなんだよ。それにしても今日はお洒落だな。相変わらず黒ばっかりだけど」
健人の言う通り、真守の私服はたいてい黒色だ。可愛い女の子が着るような派手な服は自分には似合わないと思い込んでいる。そもそも黒色が好きで、着ていると落ち着くという理由もある。
「あれ? そのカチューシャなんだよ。いいじゃねぇか。男からのプレゼントか?」
さすがに黒い服装を好む真守が急に白色のカチューシャを着けていたら気づくか――。真守はそんなことを思いつつも、平然と嘘をつくことにした。おそらく健人に男の話をしたら面倒くさくなる。
「もう……。そういうのじゃないですよ」
そんないつものようなやりとりをした後、健人がこんなことを言い出した。
「それで真守。鈴花から聞いたぜ。標山明空を匿ってるらしいな」
会えばその話になるだろうとは予想していた。とはいえ標山明空、ミヨク・ゼーラーのことで何も仕掛けてくる様子はないところから察するに、龍水家は彼にあまり興味がないらしい。
やはりミヨクは、外国から来た者と標山家の人間との間に生まれた、霊能力の乏しい子供と思われているのだろう。つまり龍水家は十年前の事件の真相を知らない。
「匿っているだなんて人聞きの悪い。彼は友人で、久しぶりにここに帰って来たのですよ。それに彼が少しの間、久遠家に住んでいたことは、健人さんも知っているでしょう」
「確かにそうだったな……」
健人は納得したように頷いたが、その直後に嫌な笑顔を浮かべた。彼の悪い癖が出たと真守はすぐに分かった。健人が真守に近寄って来る。真守を壁に追いやるように片手を出して、実際に壁際まで迫って来た。
「ところでよ……。真守、お前さん悩み事があるだろ。だから、空麻に標山明空を会わせようとしたんだろ。いけないなぁ……。一応俺、先輩だぜ。鈴花はともかく、俺には相談してくれればよかったのに」
いつの間にか、真守は壁に背を預けて、目の前で健人が壁に片手をつきながら迫っている。少女漫画でよく見られる壁ドンという状況になってしまった。真守としては憧れるようなシチュエーションだが、相手が健人なのであまり嬉しいとは言えない。
「ちょっと事情があって……」
「その事情ってなんだよ。お兄さんに話してみな。協力するぜ」
どうしてごまかそうかなと真守が思った時、向こうの方から大きな声が聞こえてきた。
「こらぁぁああ! そこ待てぇぇええ!」
トイレから戻って来たミヨクが、車いすの車輪を全力で回してこちらに突っ込んできたのだ。別に忘れていたわけではないが、まさか元気よく助けに来てくれるとは思っていなかった。本調子の時ならともかく、今のミヨクは命の危険すらある状態だ。
ミヨクが真守と健人の間に割って入るように突進してくると、健人が数歩後ろに下がる。そして、ミヨクが真守の盾になるように健人に立ち向かう。
「おい、兄ちゃん。昼間っから、堂々と女子高生をナンパするなんて、ちょっと悪趣味じゃないすか?」
健人は呆気に取られていたが、すぐに合点がいったように目を見開いた。
「そうか。お前さんが、標山明空か……」
健人が品定めをするようにミヨクを眺めている。当然、ミヨクは警戒するように健人を見上げた。
「どうして俺のこと……」
「ああ、みよ君……。その人は、私の知り合いです。だから大丈夫ですよ」
真守が言うと、ミヨクが失敗したというような表情を浮かべながら、一回真守を見て、それから健人に向き直った。そしてすぐに頭を下げる。
「すみませんでした。てっきり、真守が絡まれてるかと思いまして」
「でも、私が困っていたのは確かですから、みよ君が謝ることはないですよ」
真守はそう言うと、ミヨクの耳に口を近づけてささやきかける。
「ちなみに健人さんも私と同じような霊媒です」
ミヨクはそれを聞くと、特に変わったことでもないように、「ああ、そうなんだ」と日常的な反応を示した。確かに、ミヨクも魔術師なので、霊媒に会うことなどまさに日常茶飯事なのだろう。
「俺はミヨク・ゼーラーです。もう知ってると思いますけど、元は標山家に住んでた標山明空という者です」
ミヨクが健人に握手を求めた。健人も笑顔で握手に応じる。
「龍水健人だ。真守とは同業者でな。いろいろお世話をしてあげてるんだ」
「お世話になっているの間違いではないですかね……」
真守が呟いたが、健人は聞こえない振りをしたようだ。
「気を悪くするようだったら答えなくていいけど、車いすに乗っているのはどうしてだ。怪我か、それとも元から何かの病気を患ってるとか?」
「一時的な体調不良です。本当はここまでする必要はないんですけど、念のためだって真守がうるさくて」
「うるさくて悪かったですね」
とはいえ、真守の見立てではミヨクの体調はかなり良くなってきている。ミヨクを車いすに乗せているのも、本人の言う通り今では念のためだ。もう一週間くらい経てば、日常生活も問題なく送ることができるだろう。しかしミヨクの魔術師としての生活を送ることができるようになるためには大きな壁がある。
そして健人が質問する。
「ところでよ、お前さん。標山空麻に会いたいらしいな」
先程中断されていた話題に戻った。真守もまだ今の状況なら、健人なら空麻に会わせてくれると思う。ミヨクのことを隠していたが、健人ならこちらの事情を察して許してくれる。
「はい。同じ標山家なので。会って話したいことがあります」
「そうなの。真守も言ってたけど、その話ってなんだよ?」
健人に訊かれると、ミヨクは一度真守に視線を送った。もし龍水家と遭遇した時に空麻の話になれば、こう答えようと打ち合わせている。真守が頷くと、ミヨクは健人の方に向き直った。
「十年前に標山の森で起きた事件についてです」
真守としては今でも事件のことを話す必要はないと思っている。そもそもミヨクに空麻を接触させるつもりも最初はなかった。しかし空麻の話をすると、ミヨクはすぐに会って話をしたいと希望したのだ。
「そっか……。まあ、標山家ならその話になるわな……。けど」
ここで健人の眼つきが鋭くなった。
「どうしてそんなことを話す必要がある。空麻はそんなものに興味がないことは真守から聞いてるだろ。それともあれか? 夜刀神の継承権のことを気にしているのか?」
対するミヨクはあまり間を置かずに答えた。
「俺はただ、彼に謝らなければならないことがあるだけです」
真守としては、その答えは嘘だ。しかしミヨクは本気でそう思っているのだろう。夜刀神の継承問題も二の次に考えていて、ただ謝罪をするために空麻に会いたいようだ。
ミヨクの答えを聞いて、健人は晴れやかな笑顔になった。
「分かった。とりあえずそこは詮索しないでおくよ。空麻に会わせてやる。ただし条件がある。空麻がお前さんに会う時、鈴花っていう俺の妹も一緒に行かせる。それくらいは許してくれるだろ」
そこでミヨクが再び真守を見た。これは仕方ないと真守は思う。今更全てを秘密のままにしておくこともできないだろう。それに空麻には再び霊媒になる意志もなさそうなので、夜刀神の継承問題も考えなくてもよさそうだ。
健人の問いには、真守が答えた。
「分かりました。私達はそれで構わないです。けど、鈴花さんは納得してくれるでしょうか。昨日だって、もう関わらないでくださいって言われましたし」
「それは俺がなんとか説得するさ」
そして、待ち合わせの日時を決めてから、真守とミヨクは健人と別れた。




