第2章 二人の標山(1)
鎧武者からの襲撃を受けた翌日、空麻の世界は劇的に変わった。
鎧武者に遭遇したこと自体が劇的な変化と言えるだろうが、それだけではない。空麻にも霊体が見えるようになったのだ。
昨夜は龍水家に泊めてもらい、朝起きて鈴花に会った時にその変化に気付いた。鈴花の肩に小さな犬が乗っていたのだ。今までそんなものは見えなかったし、龍水家が犬を飼っているのは見たことも聞いたこともなかった。しかし、突然犬が見えるようになったのだ。
空麻が犬のことを鈴花に言った時、鈴花はとても驚いた表情を見せて、それからとても不機嫌そうに空麻を睨み、「登校しながら説明するから」とだけ言い残した。
一度借家に戻り、準備をしてから、鈴花に迎えられて登校する。
歩き始めて、鈴花が話を始める前に、空麻は見てしまった。頭から大量の血を流して倒れている女の子がいた。
「鈴花ちゃん。あの子、怪我してる」
「空麻君。あの子なら、大丈夫だよ」
空麻は最初、鈴花の正気を疑ったが、すぐに鈴花の言葉の意味が分かった。女の子の身体が透けているのだ。それによく見ていると、女の子の頭は完全に割れており、中の脳みそまで見えている。立つどころか、生命活動を続けることすらできない状態だ。
「空麻君。落ち着いて、自分とあの子の間に糸があって、それを切るようなイメージをして、空麻君ならできるはずだよ」
鈴花は依然不機嫌そうに、淡々と空麻に指導する。空麻は言われた通りのことを想像してみると、血まみれの女の子の姿が消えた。
「あれ……見えなくなった」
「その調子だよ。また霊体が見えたら、同じようにしたらいいよ」
そして鈴花は説明を始めた。
「空麻君は、霊体が視えるようになったみたいなの。といっても、空麻君は元々視えていたはずだよ。記憶を失くした時に、その能力も一緒に忘れていて、昨日の鎧武者や久遠先輩の夜刀神の影響で思い出したみたいだね」
自分には霊体を視る能力があった。それが再び目を覚ました。鈴花や真守が霊能力を持っていることを知った以上、標山家であった自分にも霊能力があることを認めざるを得ないことを空麻は察した。しかし鈴花の説明には納得できない点がある。
「でも、僕は普通に鎧武者とか蛇を見たよ。その前から幽霊を視る力が戻ったってこと?」
「違うよ。あの霊体は完全に実体化していたから、霊視能力がない人でも視えるよ。ただ、両方ともかなり高レベルな霊能力だから、空麻君の眠っていた霊力が反応したのかもしれない」
やはりとんでもない世界に飛び込んでしまったと空麻は思った。霊体が視えるようになっただけでも大変なのに、霊体が実体化して戦う世界など常軌を逸している。今まで創作の中でしか存在しないと思われていたものが現実として自分の前に現れたのだ。
空麻は少し考えて、不可解なことに気付いた。
「でも、あんなにすごい力が実在するなら、どうして表沙汰にならないんだ?」
昨日のような出来事が街中で起これば大騒ぎになるはずだ。しかしそんな事件は空麻が知る限りではニュースで報道されていたりはしない。
「あのレベルの霊能力は限られた場所でしか発揮できないの。あの世とこの世の境界に近いような場所。久遠先輩が言っていたとおり、あの教会の近くは、そういう場所だったみたいだね。だから街中ではあんなことはできないよ」
鈴花の言っていることは具体的にはよく分からないが、とにかく世間に知られることはないということだけは空麻にも分かった。
「だから、昨日みたいに危ないところに行かなければ、空麻君は安全だから。今までどおり生活していけばいいよ。霊体が視えることだって、さっきみたいにしていれば気にならないようになるから」
確かに、空麻もわざわざ自分から危険な出来事に首を突っ込もうとは思っていない。しかし、まだ解決していないことがある。
「でも、久遠先輩が言ってた人にはまだ会って……」
「そんなこと、空麻君は気にしないでいいっ!」
突然、鈴花が怒鳴りだした。空麻は怖気づきながらも言い返す。
「けど……、久遠先輩は困ってるみたいだったし……」
「あんな女の口車に乗ったらダメだよっ!」
さらに鈴花が怒鳴った。昨日からかなりピリピリしているのは空麻も分かっていたが、まさか鈴花がこんなにも憤ることは想像していなかった。とにかく鈴花は真守のことを全く信用していないようだ。
さすがにこれ以上鈴花の逆鱗には触れられないと、空麻は黙ってしまったが、鈴花が自分の興奮状態に気づいたようで、申し訳なさそうに俯いた。
「ごめん……。怒鳴ったりして……。空麻君は悪くないのに……」
「いや……いいよ……」
それから空麻は鈴花と一緒に登校したが、校門をくぐるまで一切話すことはなかった。いつもは何気ない話をするだけに、空麻としては、鈴花との会話のない登校は息のつまるものだった。
そして校門をくぐった後、別の意味で息のつまるような展開になってしまった。
真守が昇降口の前で待っていたのだ。彼女は空麻と鈴花の姿を見ると、丁寧にお辞儀をした。
「おはようございます。昨日はご迷惑をおかけしました」
そして顔を上げると、晴れやかな笑顔でこんなことを言う。
「それで空麻さん。明日の土曜日は、予定はありませんか。昼間なら昨日のようなことはないで……」
「いい加減にしてくださいっ!」
真守が言い終える前に、鈴花が叫んだ。それから鈴花は空麻の盾になるように前へ出て、真守に立ちはだかる。
「これ以上空麻君を巻き込まないでください」
やはり鈴花は怒っている。対する真守は少し困ったような表情を見せた。
「そう言われましても、昨日のことを考えると、やはり来ていただいた方がいいと思いますけど……」
「余計なお世話です。もう空麻君に関わらないでください!」
さすがにまずい、と空麻は思った。学校のど真ん中で鈴花が叫んでいるのだ。周りの生徒の注目がこちらに集まっている。実際はもっと厄介な事情があるのだが、傍から見れば、鈴花と真守が空麻を取り合っているように見えなくはない。こんなことクラスメイトに知られたら、何を言われるのか想像に難くない。特に、杉原にはとことん問い質されるに違いない。
しかし、そんな心配がどうでもよくなるようなことが目の前で起こった。
「過保護にも程がありませんか? 私は空麻さんと話しているのですよ」
真守は確かに笑顔を浮かべている。笑顔なのだが、眼がまったく笑っていない。その鋭い目つきで鈴花を睨みつけている。明らかに敵意を示した眼つきだ。鎧武者に対して一歩も怖気づかずに立ち向かい、蛇の霊を具現化させて戦う彼女のことだ。数々の修羅場をくぐり抜けてきたに違いない。
そんな人間が向ける敵意だ。空麻でさえ殺気に近いものを感じた。それは鈴花も同じようで、その敵意を向けられた本人は身が竦んでしまっている。空麻を庇うようにしながらも、空麻を少し後ろに押しながら、自分も後退していた。
それを見て、真守が微笑んだ。今度の笑みには敵意はないようだ。
「それでも空麻さんを守ろうとするのですね。恐れ入りました」
それから真守は踵を返して、昇降口へと入っていった。入る前にこんなことを言い残す。
「気が向いたら、声をかけてくださいね」
真守が去った後、周りの人達も校舎に入っていった。空麻も同じようにしようとしたが、鈴花が空麻の腕を掴んだ。
「空麻君。ちょっとこっち来て」
されるがままに、空麻は校舎裏へと連れてこられた。そして鈴花と向かい合う。鈴花は申し訳なさそうに俯きながら話し始めた。
「あの人……、怖いでしょ……。兄はあの人のこと、悪い人じゃないって言うし……、確かに悪人ではないのは私も分かってるけど……。なんというか、結構容赦ない時もあるし……。それに……」
そこで鈴花は何かを言いかけて止めた。空麻が訊こうとしたが、その前に鈴花が顔を上げて口を開く。
「久遠先輩みたいなすごい美人って、大抵腹黒いところがあるから、空麻君も気を付けた方がいいよ」
「うん。分かったよ」
鈴花が別のことを言おうとしていたことを空麻は察したが、何も指摘しなかった。
「ところで、久遠先輩が空麻君にやらせようとしていることって何なの? ある人に会わせたいと言っていたけど、それは本当?」
「そうだと思うよ。他に何かやれとは言われていないし……」
「会わせたい人っていうのは?」
鈴花が訊く。昨日は訊かれなかったので、空麻も自分から話そうとしなかった。真守はまだ内緒にしたがっているかもしれないが、昨日のような事件があった今なら隠す必要もないだろう。それに隠していたら鈴花にとても怒られそうだ。
「ミヨク・ゼーラーっていう、元は僕と同じ標山家で住んでいた人らしいよ」
空麻の答えを聞いて、鈴花は眉を顰めた。
「標山明空。まさか生きていたの?」
「知ってるの?」
鈴花が予想外の反応をみせたので空麻も驚いた。まさか鈴花が知っているとは思っていなかった。しかしよく考えてみると、龍水家は標山の森の近くに住んでいる。標山家の情報を得ていても不思議ではない。
鈴花から答えが返ってくるものだと空麻は思っていたが、実際は違った。
「空麻君は、本当に覚えていないの? 標山明空のこと?」
空麻は十年前まで標山家にいたので、ミヨク・ゼーラーなる人物とは面識があるはずだ。兄弟ではないが、かなり近い血縁だったらしい。それは昨日真守が話していた。ミヨクの方は空麻のことをはっきりと覚えているとも聞いている。
「覚えていないよ」
「じゃあ、会いたいと思う? 久遠先輩の頼みとは関係なしに……」
それはかなり難しい質問だった。生き別れた家族のような存在に会いたいと空麻は思っている。しかしそうすることで知らなくてもいいことまで知ってしまうのは怖かった。特に空麻は十年前に起こった事故で記憶を失っている。つまり記憶を失ってしまうほどの壮絶な何かを体験してしまったに違いない。
「それは……わからないよ……」
中途半端な答えを返して怒られると思いきや、鈴花の表情が和らいだ。
「そうだね……。急に言われても難しいよね。よかった……。迷いもなく会いたいって言ったらお説教だったよ」
選択を誤ればそんな未来が待っていたのか。よく考えてみれば、鈴花は空麻が霊媒関係の出来事に関わらせることを妨げようとしている。どんなに小さな可能性でも、たとえ元標山家の人間と会うことだけでも、鈴花は阻止したいのだろう。
「空麻君は私が守るから。大丈夫だよ」
しかし空麻は違和感を覚えた。鈴花とは仲良くしているとはいえ、鈴花がここまで空麻を守ろうとしているのはなぜなのか。三か月前に出会ったばかりのはずなのに、ずっと一緒にいる大切な人のように接するのには何か理由があるように感じた。




