第1章 二人の少女(3)
空麻は少し後悔していた。真守の言う通り、一旦家に帰ってから待ち合わせの場所に来た。鈴花にもこのことを話していない。もしかして自分は騙されているのではないかという疑いが拭えない。
真守に話した通り、標山家のことを今更知ろうとは思わないし、真守の言うことすべてを信じているわけではない。それでも自分と似たような境遇の、標山家の一員であった人というのは会ってみたいと思った。妙な親近感を覚えたのだ。
目的地はヘンシェル教会というところだと真守が言っていた。街外れにある教会だと聞いたことはあるが、空麻は行ったことがなかった。ミヨク・ゼーラーという人はそこに滞在しているらしい。
教会へは途中、山道を通る。現在は午後八時で、すでに日は沈んでいる。街灯はあるがそれでも都市部に比べたらとても暗いように感じる。もちろん人気はなく、歩いているのは空麻と真守だけだ。
しばらく学校のことを話しながら進んでいたが、ふと真守は足を止めた。そして後ろに視線を向ける。その時真守は、先程まで空麻に見せていた無邪気な笑みではなく、嘲笑とも見えるような微笑みを見せていた。
「そろそろ出て来たらどうですか? 空麻さんが心配なのでしょう」
真守が声を掛けると、数秒経った後、茂みから一人が姿を現した。その人物は空麻がよく知る人物で、空麻はとても驚いたが、真守は予想通りとでも言いたげな笑みを浮かべていた。
「久遠先輩。空麻君をどうするつもりですか?」
現れたのは鈴花だった。空麻が今まで見たことのないような怒りの眼差しを真守に向けている。対する真守は微笑んだままである。
「いつも言っているでしょう。真守さんでいいですって。そんなに堅苦しく……」
「質問に答えてください。空麻君に何をするつもりなんですか?」
さすがにふざけている場合ではないと察したのか、真守も笑みを消した。
「そう怖い顔をしないでください。私はただ、ある人に空麻さんを会わせたいだけですよ。本当にそれだけです」
真守はそう言うが、鈴花は真守のことをかなり警戒しているようだ。まるで真守が空麻に危害を加えるかのような口振りだ。あれほど怒った表情もそうなのだが、あれほど人に敵意を向けている鈴花を空麻は初めて見た。
真守は落ち着いた様子で鈴花に言う。
「だから、そんなに警戒しないでください。私達って一応仲間でしょう」
「私は兄ほど、あなたを信用していません」
鈴花が何を恐れているのかが空麻には分からない。行き先は街外れとはいえ、きちんと機能している教会だ。それに今まで真守は意味深な発言で空麻を困らせていたものの、脅しなどしてこなかったし、暴力を振るうこともなかった。教会の人間が真守と一緒に悪事を働くことも空麻には考えにくい。
ならば鈴花は、周りには知られていないような真守の秘密を知っているのかと空麻は考えた。そしてその考えは当たっていたようだ。真守がこんなことを口にしたのだ。
「私が、あれの持ち主だから、空麻さんに会わせるわけにはいかないということですか?」
真守がそう言った瞬間、鈴花は苦虫を嚙み潰したような顔をした。真守が言った「あれ」は、鈴花もよく知っていることであり、空麻には知られるわけにはいかないということくらいは、空麻も察した。
「どうせなら、ここで話しておきましょうか。空麻さんのこととか、標山家のこととか」
真守がそんなことを言うと、すぐに鈴花が声を上げる。
「やめてください。空麻君は関係ないでしょう」
「関係あるから、この地に呼んだのではないのですか」
真守は余裕そうに笑みを零している一方で、鈴花は悔しそうに口を噤んでしまった。何か言いたげではあるが、何も言えないようだ。空麻もいろいろ訊きたいことはあるが、今は自分が発言できるような雰囲気ではないと感じる。
何が自分と関係あるのだろうかと空麻が考えた時、突然、真守が笑みを消した。そして真剣味を帯びた眼差しで鈴花を見る。何か言い争いになるのだろうかという空麻の予想とは裏腹に、鈴花は同意をするように頷いた。
「鈴花さん。空麻さんを頼みます」
「分かりました。空麻君。こっちへ来て」
ただならぬ雰囲気を察して、空麻は鈴花の方に駆けた。真守は空麻の方を見ずに、今まで進んでいた道の方をただ見つめる。その視線の先に振り向くと、空麻も謎の人影を見つけた。
「まさか、教会へ懺悔しに来たわけじゃ……なさそうですね」
真守がおかしそうに微笑みながら言っていたが、笑えるような状況ではない。確かに真守の言った通り、謎の人影は教会に行くような恰好をしていない。そもそも現代の日本では見かけないような風貌だ。
「鎧武者ですか。道どころか時代も間違えていますね」
相変わらず真守は微笑んでいるが、先程鈴花と話していた時のような余裕は全く見られなかった。
空麻達の前に立っているのは紛れもなく鎧武者だった。頭部には立派な鍬形を付けた兜に、胴体はもちろん手足も余すところなく包んでいる鎧、顔には般若の面をした武者だ。全体的に紫色の鎧武者はゆっくりと、しかし確実に空麻達の元へ歩み寄る。
「なんだよ……。あれ……」
「なんでしょうね……。ただの変質者ならいいんですけど……」
意味不明な真守の言葉に対して空麻は何も言い返せなかった。ただ目の前にある現実を受け止められないでいる。
そんなことに構わず、真守は鈴花に話しかける。
「鈴花さん。教会まではあと三百メートルもありません。あれは私が止めますから、鈴花さんは空麻君を連れて教会へ行ってください」
「いくら久遠先輩でも、その恰好であれの相手は……」
あの鎧武者を相手にすること自体が空麻にとっては無謀としか思えなかったが、鈴花の言いぶりだと、装備さえ揃っていれば鎧武者を相手にすることができるように聞き取れる。実際にそうだと言わんばかりに真守が答える。
「あれが、ああして動いている以上、ここはそういう場ですよ。教会付近はそうだと聞いています。だったら相手と条件は同じです」
空麻には、真守が何を言っているのか全く分からなかった。片や制服姿の女子高生、片や鎧武者、どう見ても同じ条件ではない。
そこで鈴花が空麻の手を引っ張ってきた。
「ここは久遠先輩に任せよう」
鈴花のその一言で、空麻は冷静さを取り戻した。鈴花の判断が自分にとってあり得ないことも理解できた。
「何を言っているんだ。先輩とはいえ女の子だろ」
空麻は声を荒げたが、それを聞いていた真守はくすりと笑った。
「多分大丈夫でしょう。だって、あの鎧武者さん、武士なのに刀とか持っていませんし」
ここで空麻は、どうして真守がこんなにも落ち着いているのかと疑問を覚えた。鎧武者に会う出来事なんて非現実的であるはずだ。空麻は今にもパニックになりそうなところをかろうじて抑え込んでいるが、真守はそもそも鎧武者という異常事態を難なく受けているようにも見える。まるでそれが日常茶飯事だとでも言うように――。
鈴花も動揺しているようであるものの、現実としてしっかり受け止めているような態度だ。空麻は鎧武者よりも真守や鈴花の落ち着きぶりが不気味に思えてきた。
「私なら大丈夫ですよ。むしろ殿は私にしか務まりません。ところで鈴花さん。もう、空麻さんにあれを見せてもいいでしょう」
真守の問いに対して、鈴花は数秒黙った後に答えた。
「この際、仕方がありません」
「それなら……」
そして真守は笑みを消して、厳しい口調で叫んだ。
「走りなさいっ!」
その瞬間、鈴花が空麻の手を取り、教会へ向かって走り始めた。同時に鎧武者がこちらに向かって走り始めたことを空麻は目視した。
「空麻君。後ろは久遠先輩に任せて、しっかり前を向いて走って」
真守のことは心配だが、鈴花に言われた通り空麻は前を向いた。鈴花は空麻から手を放し、空麻と横に並んで走る。空麻は最初、鈴花を追い抜かないように気を付けて走ろうとしたが、むしろ鈴花についていくので精いっぱいだということに気付いた。鈴花の運動能力が高いことは噂で聞いていたが、これほどまでとは思っていなかった。
「がああああぁぁぁぁぁっ!」
鎧武者が奇声を上げているようだ。空麻はどうして気になってしまい、走りながらも後ろを見てみた。
鎧武者が真守に突進しているところだ。それを真守は難なく躱す。それならば構わないと言わんばかりに、鎧武者は真守に目もくれず、空麻の方へ進み続ける。見ている場合ではないと、空麻が走り出そうとした途端、急に鎧武者の動きが止まった。
無数の黒い蛇が鎧武者に絡みついていたのだ。鎧武者は前進しようとするが、逆方向に引っ張られて全く進まない。つまりその黒い蛇は全て、真守の方向から伸びている。空麻はその先をよく見ると、真守の足元辺りに蛇の尻尾が集まっている。正確言えば、蛇の身体が地面から生えていた。
「何をぼさっとしているのですかっ! さっさと逃げなさい」
真守に言われて、空麻は我に返った。非現実的なことが起こり過ぎて、そろそろ脳がショートしそうになっていたが、とにかく逃げるしかないことだけは分かった。
しかし空麻は逃げることができなかった。鎧武者の意外な行動を見てしまったからだ。鎧武者が一匹の蛇を引き剥がし、それを引っ張って鞭のように持ったのだ。それを真守に叩きつける。どういうわけか真守はそれを難なく片手で受け止めた。
「しまっ……」
真守が声を上げた瞬間、彼女の身体が持ち上がる。鎧武者が手に持った蛇を引っ張り上げて、真守を投げ飛ばしたのだ。真守は既に蛇を手放していたが、それでも軽々と宙に舞い、空麻の方に向かって飛んでくる。
真守が滞空している最中、彼女の足から無数の蛇が現れた。それをクッションにするように、真守は着地する。そしてすぐにこんなことを言った。
「鈴花さん、あれをドカンとしてもらってもいいですか?」
「そんな……空麻君の前で……」
真守が出している蛇が超能力のような非科学的な現象であることは、空麻も認めている。鎧武者も同じような類だということも察しがつく。だから真守は鎧武者を見ても落ち着いていたのだ。
だったら鈴花が同じような力を持っていることが想定される。現に真守はそれを匂わすような発言をした。しかし空麻には信じられなかった。いつも一緒に、学校に通って、普通の生活を送っていた人が、自分の知らないような世界に足を踏み入れていることに――。
「武器がないとやりにくいんですよね。それに、この際仕方ないと自分で言ったじゃないですか」
真守が言うと、鈴花が苦い顔をしながらも手を鎧武者に向けた。そして小さな声でよく分からない言葉を唱え始めた。
やはり鈴花にも超能力があるのだと空麻が思ったその時、突然、真守の前に何かが投げ込まれた。鞘に収まっている刀だ。真守はそれを見るとすぐにその刀を拾い、そして抜刀した。それが模造刀などではなく、しっかりと研ぎ澄まされた真剣だということは空麻にもすぐに分かった。
「なるほど……」
そう呟くと、真守はすぐに鎧武者に向かっていった。




