第7章 境界の標(2)
翌日の朝に、真守はミヨクを救うために夜刀神の祠に来た。予定通り、ソニアとクレメンス、そしてエレンと四姉妹も一緒だ。ミヨクは車椅子に乗せて、虚空間に入ってからは四姉妹に乗せて夜刀神の祠がある洞窟まで連れて行った。
ミヨクは洞窟の中心に立ち、ミヨクと入り口の真ん中辺りに他のみんなが固まる。ミヨクに夜刀神が憑依した際、まず何が起きるのかが分からない。近づき過ぎると夜刀神の攻撃に咄嗟に対応できないからだ。ミヨクに夜刀神が憑依したのを確認したら真守がミヨクへ向かい、他の全員で真守を援護するという単純な作戦だ。フォルトナー四姉妹は全員この場にいるので、虚空間の周囲は誰も見張っていない。エドガーに侵入されても察知はできないが、夜刀神に対する防御に徹するべきだと真守が言ったのだ。
準備は整った。ちなみに真守は黒のジャージ姿で、背中にミヨクのアーミラリステッキを背負っている。夜刀神の独占権取得に成功した後にエドガーが襲ってきた場合ミヨクに渡すためだ。他のみんなはいつもの服装だ。
「では、始めます。みよ君、覚悟はいいですね」
「ああ、頼むぜ」
神霊の管理方法は二つある。
一つは独占権を得ること。もう一つは普段から霊媒がある程度繋がっておくこと。前者が可能ならば問題ないのだが、もしできていない場合は神霊が媒介となる人間を探して現世に被害を及ぼす危険がある。だから霊媒がその神霊の力を抑えておく必要があり、真守と巌も夜刀神に対してそうしている。
独占権を得るための神霊との決闘を行うためには、霊媒は一旦神霊を完全に解放しなければならない。決闘の方法は神霊によって異なるが、繋がりを完全に断った上で、改めて神霊と繋がり直すだけの力を霊媒は示さなければならないことは共通している。
真守の問いにミヨクが答えると、真守は夜刀神を制御していた力を解いた。途端に、ミヨクは糸が切れたかのように倒れた。夜刀神が憑依したのだ。ミヨクの身体はすぐに立ち上がり、そして真守の方を向く。今のところ逃げようとする素振りは見せない。ミヨクの周りに霊体が漂っているということもない。しかし真守は動けなかった。とてつもない殺気がミヨクの瞳から発せられたのを感じたからだ。
「Acht, Acht, Acht, Sieben, Drei」
真守はその言葉を聞き逃さなった。夜刀神がミヨクの身体で詠唱を唱えたのだ。真守は身構える。しかしいつまで経っても魔法陣は現れなかった。事前にミヨクから言われた通りだ。魔法陣は異世界との照応によって現れる反応だ。だから異世界の照応を利用しない『白い魔女』の魔術では現れない可能性が高い。
そして魔術は放たれた。しかしミヨクが行使していたような直線的な砲撃ではなかった。黒くて巨大な蛇か何匹もミヨクの周りに出現したのだ。最初にミヨクから距離を取っていて正解だったと真守は思う。突然あんなものを近距離で放たれてしまえば成す術はなかっただろう。
「あなた達、お願い……」
エレンが四姉妹に指示しようとしたが、その前をソニアが駆けた。
「オークギョーフオークイスニイドシゲルティール」
そしてみんなの守るようにソニアの前に巨大な魔法陣が展開された。そこから現れたのは黒い炎による膜だ。黒い蛇と黒い炎が衝突した。
「くっ……この……」
魔法陣が展開され続けているということは、ソニアは黒い魔術を放出し続けているのだろう。それでも、黒い蛇が黒い炎による防御を壊してしまいそうな勢いがある。これ程強大な力が夜刀神に隠されていたとは真守も想定していなかった。しかし勝機がないわけではない。ここを乗り切れば真守には策がある。
「もう……だめ……」
しかしソニアが耐え切れないようだ。黒い炎が崩壊して、夜刀神がこちらへ突破しようとしている。魔法陣も消え、防御は消え去った。
「ソニア様」
「あなた達」
クレメンスがソニアを庇うように動き、エレンの声に合わせて四姉妹も動く、四姉妹の一人ずつ人間の四人についた。やがて真守の視界は黒い影に覆われて、黒い蛇が至る所に衝突する轟音と相まって、何が何だか分からなくなった。
真守はすぐに気がついた。黒い襲撃は収まったようだ。それを確認すると周囲を見渡す。ソニアが倒れていて、クレメンスが彼女の傍にいた。
「ソニアさん」
「とりあえずは大丈夫です。外傷はありません。気を失っているだけです」
クレメンスがそう答えた。それならば安心と思い、真守は他を確認する。真守のすぐ傍にはエレンが倒れていた。
「いった……」
「エレンさん。しっかり……」
エレンには意識があるようだが、立ち上がることができないようだ。右足首にひどい腫れが見られる。もしかしたら骨折しているのかもしれない。四姉妹が心配そうにエレンの周りに集まる。
「私のことより、お兄様は?」
真守は言われる前に気がついていた。ミヨクはもう洞窟にはいない。逃げてしまった。とりあえず負傷者はいるものの、命に別状はないようだ。真守はすぐにするべきことを判断する。
「私、追います」
真守はどこも怪我をしていない。ソニアが夜刀神の攻撃を削いで、エレンや四姉妹が庇ってくれたお陰だ。特にソニアがいなければ、みんな死んでいてもおかしくはなかった。
真守が走ろうとしたところで、クレメンスが声をかけてきた。
「待ってください。私が追います」
「いいえ。議論している暇はありません。私が行きます」
クレメンスがどれ程優秀な魔術師なのかを真守は知らない。とても優秀なのは分かる。ヘンシェル教会の人間として、夜刀神を止める義務があるとも考えているだろう。しかし夜刀神を止めることができるのは自分しかいないと真守は確信している。
「クレメンスさんはみんなを守ってください」
「ちょっと……」
クレメンスの返答を待たずに真守は駆けた。洞窟を出て、一気に森を駆ける。ミヨクに憑依している夜刀神の行き先は分かる。作戦の前にソニアはミヨクに特殊な香水をつけさせたのだ。ミヨクに憑依した夜刀神が逃げた時に追うためだ。ソニアに渡された鉱石が香水の成分に反応して赤く光るとのことだ。おそらく魔力も関わっているものなのだろう。
真守は鉱石の赤い光を辿って、ミヨクを追いかけた。五分も進むと、広い広場に出た。そしてその中心にミヨクがいた。ミヨクは振り返り、真守の姿を見据える。
「来たな。久遠真守。ついにその気になったか」
ミヨクの身体を操って、夜刀神が話をする。真守は臆せず口を開いた。
「事情が変わったのですよ。戦うことなんかせずに協力していただければ話は早いのですけどね」
「ぬかせ。と言いたいところだが、貴様が我に身を捧げるというのなら聞いてやらないこともないぞ。あの時のようにな」
真守は過去に何度も夜刀神の力を使っている。夜刀神に心身を支配されないようにしていたが、一度だけやむを得ず夜刀神の力を最大限まで引き出すために、身体の自由を一時的に預けてしまったことがある。
とにかく夜刀神の言葉に腹が立ったので、真守は不快感を隠さずに言う。
「気色悪い言い方をするな。みよ君が聞いていたら誤解するでしょ」
元々、神として敬うような関係ではない。むしろ真守は夜刀神のことをかなり危険視している。夜刀神の本性など最初から分かり切っていた。
「そうそう。この小僧だ。あのヘルベルトとかいう男は、我に都合の良い生贄と力を与えてくれたものだ。なかなか標山家の制御からは逃れられなくてな。あの男には感謝している。とはいえ標山家の人間とともに殺してしまったがな」
夜刀神はミヨクの身体で哄笑する。真守は飛びかかりたい気持ちを一旦抑える。
「お前にも感謝しているぞ。だが、もう用済みだ。死ね。Drei」
夜刀神はミヨクの身体で魔術を行う。魔法陣の生じない魔術、ミヨクのものとは違う黒い蛇のような形の砲撃が放たれた。夜刀神は魔術を知らなかったはずだが、ミヨクと繋がったことでその知識と技術を得たのだろう。
「そうですか……」
しかし砲撃は弾かれた。真守は黒い影を出したのだ。ミヨクが夜刀神に憑依された今でも、真守は夜刀神と繋がろうとしている。たとえほんの一部でも夜刀神を物質化することはできるのだ。
「なに……」
「何、呆けているのですか。もう戦いは始まっているのでしょう」
夜刀神は驚いているようだが、おかしなことはない。今から行うのは、つまるところ陣取り合戦だ。真守と夜刀神で夜刀神の力を奪い合い、どちらが多く得られたのかを決める戦いだ。
「私に従いなさい。夜刀神」
真守はミヨクに向かって駆けた。彼我は五十メートル程、その距離を詰めるために真守は走る。当然、夜刀神は迎撃してきた。
「Acht, Füuf, Drei」
何体もの黒い蛇が真守に襲い掛かる。夜刀神の祠での攻撃よりは規模が小さく、それぞれの蛇は細いものだが、直撃したら真守の命を奪うようなものだ。しかし真守はそのまま走り続けた。夜刀神の攻撃は広範囲ではあるが、それ故に隙間が多い。その隙間を縫うように真守は夜刀神の攻撃を回避する。攻撃の軌道なら真守は何度も視ているので読みやすい。
「Acht, Acht, Acht, Füuf, Drei」
今度は高密度な攻撃が放たれた。距離がある程度詰まっている今、攻撃の範囲は先程よりも狭いが回避はできない。真守もそれは理解している。
「甘い」
真守は真っすぐに進んだ。そして夜刀神の攻撃はそれ自体が真守を避けるように軌道を変えたのだ。
「何?」
夜刀神が驚愕している間に、真守はすぐ傍まで接近した。そしてミヨクの身体に手を伸ばす。彼の手に少しだけ触れられたが、夜刀神に後退を許してしまった。二十メートル程離れたところで、夜刀神は真守を睨みつけながら口を開く。
「今のは、一体どういうことだ」
「繋いだのですよ」
真守は即答した。夜刀神が『白い魔女』の魔術によって放っているのは夜刀神のエーテルだ。つまりそれは夜刀神そのものでもある。だから、真守はその攻撃と自分を繋いで、その攻撃である夜刀神を操ったのだ。最初の奇襲では思いつかなかったし、あれ程の大規模なものには対処できないだろうが、今くらいの規模の攻撃なら問題なさそうだ。
「覚悟はいいですか? 夜刀神」
夜刀神は真守に触れられることを明らかに嫌がっていた。つまり真守の考えていた通り、ミヨクに触れられさえすれば、真守は夜刀神との繋がりを強くすることができ、霊媒として霊体を制御する力が強い真守なら、そのまま夜刀神を鎮めることができるかもしれない。
真守は駆ける。夜刀神に打ち勝ち、ミヨクを取り戻すために。




