第7章 境界の標(1)
エーテル不足によって倒れた次の日になっても、ミヨクは病床に伏していた。一日休んで治るどころか、肉体と魂の繋がりは薄くなっていくのを感じる。もはや歩くことも一苦労であり、『白い魔女』に関する調査をしていられなくなった。そしてその日からミヨクはヘンシェル教会で療養することになった。
ミヨクが回復しないまま、三日が経過した。久遠家にいた時よりは良くなったが、それでも体力は戻っておらず、外で運動できる程には至っていない。エレンはヘンシェル教会に泊まり込んで、ミヨクの世話をしてくれている。真守も毎日顔を見せてくれている。とはいえ真守は『ホワイトウィッチプロジェクト』についてソニア達と一緒に調べているので、ずっとミヨクを看ているわけではなかった。ちなみにヘルベルトが残した『ホワイトウィッチプロジェクト』の資料は、真守とエレンの同意の下、ソニアに提供したのだ。
午後三時頃、ミヨクが療養している部屋に、真守とソニアとクレメンスが入って来た。エレンは既に部屋にいて、ベッドのそばの椅子に腰かけている。その横に真守とソニアが椅子を置き、そこに座る。クレメンスは彼女達の後ろに立つ。
「みよ君。調子はどうですか? 不便なことがあれば言ってくださいね」
「ありがとうな。今のところは大丈夫だぜ」
真守が優しく微笑みかける横で、ソニアは不機嫌そうにミヨクを睨む。昨日と一昨日もソニアはこんな調子だった。事務的に調査結果を報告するだけで、すぐに部屋から去って行った。この二日間は黙って話を聞いていただけだったが、今日くらいは文句を言ってやろうとミヨクは口を開く。
「なんですか。この通り、今は喧嘩する元気はないんですが……。こういう時くらいは優しくしてくれていいんじゃないですか。曲がりなりにもシスターなんでしょう。まったく、真守を見習ってほしいですね」
ミヨクがそう言うと、ソニアは深い溜息をついた。
「そこまで減らず口が叩けるのなら、まだ安心ね……」
そしてソニアは真剣な眼つきになってミヨクを見つめる。今更ソニアに愛想の良いキャラクターを期待しても仕方ないとミヨクは思った。
「『ホワイトウィッチプロジェクト』について話があるの」
ソニアの話によると、『ホワイトウィッチプロジェクト』を昨日読み終えたようであり、やはり内容はミヨク達が推理した通りだったことをソニアは昨日ミヨクに報告した。
「『ホワイトウィッチプロジェクト』の資料にはミヨク・ゼーラーや夜刀神のことは直接記載されていなかったことはもう話したわね」
ミヨクは頷く。『ホワイトウィッチプロジェクト』はあくまで『白い魔女』の魔術に関する成り立ちやどういった性質の魔術なのか、そして『白い魔女』の魔術理論が書かれていたとのことだ。もちろん『吸血鬼の魔女』のアイラについては細かく記載されていたようだ。
「だから、これは魔術連盟に提供する。知らせておくべきことだと思うわ。もちろん公表されることなく禁書保管庫に放り込まれるだろうけど」
ミヨクは違和感を覚えた。ソニアの判断は正しいだろうが、他に何か考えているような口振りだ。というより、大きな問題がまだ解決されていないのだ。
「ソニアさん。それは分かりましたけど……。俺のことはどうするんですか?」
ミヨクはまだ、ミヨクが『白い魔女』であったことを魔術連盟に知らせるのかどうかの判断をソニアからもクレメンスからも聞いていない。ミヨクの将来に関わることだ。ミヨクは気になって仕方なかったのだ。
「そのことね。もちろん言わないわよ。しばらくは隠しておくわ」
「そうですか……」
ソニアが何気なく言うので、ミヨクは一度納得したかのように頷いた。しかしソニアがとんでもない発言をしたことに気がついて、ミヨクは驚きの声を上げた。
「ええぇぇぇ! なんだって?」
ミヨクは上体を起こしたが、すぐにめまいがして倒れてしまった。真守とエレンが慌ててミヨクに声を掛ける。
「駄目ですよ。大人しくしていなくちゃ」
「そうよ。大きな声を出さないの」
ミヨクは大人しく横になってソニアの言葉に耳を傾ける。
「まあ、驚くのは分かるわ。『白い魔女』という伝説級の存在を隠蔽しようというのだからね。今のところそれを知っているのは、ここにいる五人と、真守のおじいさんね。他の教会員には教えていないわ。確かに魔術連盟の報告するのが義務だろうけど、こんなもの迂闊に伝えるわけにはいかない。魔術連盟も絶対何か隠しているだろうし、『ホワイトウィッチプロジェクト』の報告をして魔術連盟の出方を見る。あなたのことはそれから判断するわ。それでいいわね」
よく考えてみればソニアの言う通りだとミヨクも思う。ミヨクが『白い魔女』であることがメイスラで知られてしまえば、大きな混乱を招くだろう。魔術連盟はミヨクを保護するだろうが、全ての魔術連盟の人間がミヨクに安心な暮らしを約束するとは思えない。それに過激派の魔術師はミヨクを利用しようとするだろう。ミヨクを巡って戦争が起こることも十分に考えられる。
「分かりました。隠してもらえるなら、こちらとしてもありがたいです」
「じゃあ、魔術連盟への対処はこのくらいね」
そしてソニアはしっかりとミヨクを見据える。
「次に、あなたのことよ。はっきりと言うわ。このままだとあなたの命が危ないの」
ソニアはそう言ったが、ミヨクは驚かなかった。むしろ自覚があったのだ。このままエーテルが少ないままでいると、いずれ肉体と魂の繋がりを保つことができないようになり、死亡してしまう。何かしらの対処はしなければならないに違いない。
「それじゃあ俺は治療に専念します。メイスラに帰った方がいいのなら、そうしますよ。足を引っ張るだけだと、ここにいる意味はありませんからね」
ミヨクはそう言うが、ソニアは首を横に振る。
「それはおすすめできないわね。エーテル量を急激に増やすなんてこと、メイスラに帰ったところでできるとは思えないわ。そもそもエーテルが減るなんて症例はあまりにも珍しいわ。国に帰ったところで逆効果よ」
ソニアの言う通り、人間に大量のエーテルを繋げることは、常識的に考えれば不可能だ。魔術によってミヨクにエーテルを放出しても、そのエーテルがミヨクに集中することなく拡散していく。だからほんの少しずつならミヨクのエーテルを増やすことはできるかもしれないが、途方もない時間を要するだろうし、ミヨクが本来持つべきエーテル量を得られる保証はない。
しかし、今のソニアの言い方がミヨクには引っかかった。
「それは、ここでなら何か方法があるということですか?」
ミヨクの予想は当たっていたようで、ソニアは頷いてから真守の方を向いた。
「真守さん。お願い」
「ええ、この地でなら、標山の森ならみよ君を治す方法があります」
真守は浮かない顔でそう言った。嫌な予感がするがミヨクとしては聞く以外の選択肢はない。ミヨクが首を縦に振ると、真守が話し始めた。
「端的に言えば、夜刀神の独占権を得ることです。そうすれば、みよ君は常に夜刀神と繋がることができます」
ミヨクが夜刀神というエーテルの集合体と繋がれば、ミヨクの中にエーテルが満たされることになる。そうすればミヨクの肉体と魂にもエーテルが補われることになり、ミヨクは回復する。理論的には可能だろう。
「独占権を得る方法は二つあります。一つは神霊それぞれに適した儀式をすることです。しかし私達は必要な神具を持っていませんし、儀式の詳細を知りませんので、この方法を取れません」
それはミヨクも覚悟していた。標山家が何も残さずに去ってしまったのだ。今から探ってもミヨクの身体が限界を迎える方が早いだろう。
「もう一つは、神霊を顕現させて、それに打ち勝つことです」
真守はかなり気乗りしない風に告げる。勝利条件はなんであれ、霊媒にとてつもない危険と負担を強いるような方法なのだとミヨクもすぐに察する。
「本来は物理霊媒が神霊を顕現させて、それから戦うのですが、ただそうしても私が独占権を得るだけで、みよ君は治りません。だから、みよ君に夜刀神を憑依させて、その上で私が戦います」
大人しく聞いていたが、真守がとんでもない発言をしていることに気づき、ミヨクは声を上げる。
「ちょっと待てよ。真守が戦うって何だよ?」
「お兄様。多分、真守は相当戦える人よ」
エレンの言葉にミヨクは考え直す。ソニア達が助けに来るまで、真守はエドガーと対峙していたという話だ。しかも傷一つ負っていなかった。真守は話さないが、実戦経験があると考えて間違いなさそうだ。
「それでも真守しか独占権が得られないことにならないか?」
今の真守の話だと、ミヨクは夜刀神を憑依させただけで、夜刀神と戦ったわけではない。ミヨクが勝ったという結果は生まれないのではないか。ミヨクはそう思ったが、真守は首を横に振る。
「いえ、一人の霊媒が神霊に身体を明け渡しつつ、もう一人が戦うという手法を取れば、みよ君も独占権を得られる可能性があります。確実とまでは言えませんが、成功例も知っています」
詳しい理屈は分からないが、ミヨクとしては真守を信じるしかないだろう。他に手段もなさそうだ。それでも真守は煮え切らないのか下唇を噛む。
「でも、かなり危険です。私は構いませんし、エレンさんとソニアさんとクレメンスさんも同意してくれました。三人とも協力してくれるそうです。けど、みよ君が駄目だと言うのなら、他の……」
「いいぜ。やろう」
ミヨクは迷わずに答えた。怖くないわけではない。しかし、どの道命の危機があるのならば、可能性は低くても助かる道を選びたいのだ。その決意が伝わったのか、真守は元気がないものの、笑顔が作ってくれた。
「分かりました。あなたは絶対に私が守ります」
「よろしくな。真守」
そしてミヨクは周りをソニアとクレメンスにも視線を送る。
「ソニアさんもクレメンス先生もよろしくお願いします」
ミヨクの言葉に対して、二人はしっかりと頷いた。それからエレンが身を乗り出してきた。
「私と四姉妹もいるわよ」
「そうだな。みんな、よろしく。でも、特にお前は危なくなったら逃げろよ」
「もう……。お兄様ったら、私にだけそんなこと言わないでよ」
エレンはむくれてみせると、ミヨクはくすりと笑った。みんなが自分を助けるために動いてくれている。それを申し訳なく思う半分、嬉しく思う。だからミヨクは必ず無事で帰ってこようと決心した。
「真守。俺は絶対に戻って来るよ」




