第5章 稀代の三席(3)
真守の応援を受け、ミヨクは気合を張り直す。しかしソニアが構えを解いた。
「中断したついでだし、ちょっと話を聞きなさい」
ソニアとの付き合いは短いが、油断させてその隙に攻撃しようとする人間ではないことくらいはミヨクも分かっている。
「まあ、いいですよ」
ミヨクも構えを解くと、ソニアは話し始めた。
「『空白の特等席』だったかしら……。名門の出身ではないのに高等部の最優秀クラスまで登りつめたからつけられた、あなたのあだ名」
『空白の特等席』という呼び名は、褒め言葉と同時に蔑称でもある。ソニアのような家柄や血統に固執していない魔術師は、家柄に頼らずに残したミヨクの成績を高く評価するのだろう。しかし家柄や血統を重視する魔術師は、地位の高い魔術師の家系でなければ高い地位にいる資格がないという固定観念に縛られている。そんな魔術師にとって、『空白の特等席』は、あるはずのない特等席に居座る無礼者だろう。
「言い得て妙よね。まあそれはともかく、私の見立てでは、このまま頑張っていけば今年の首席はあなたよ」
「なんですか、急に。ソニアさんに褒められても皮肉にしか聞こえませんが」
ミヨクは意地悪そうに笑ってみせたが、ソニアは表情を全く変えなかった。
「私は私なりにあなたを評価しているわ。ゼーラー家は、昔は地位が高かったのでしょうけど、今は没落している。それでも、そんなことに構わずに一生懸命魔術を研鑽して今の地位にいるあなたのことを、純粋にすごいと思っているわよ」
ソニアの言葉に偽りはないことはミヨクにも分かった。そしてその後にソニアが何を言おうとしているのかも――。
「けど、私には敵わないわ。そしてエドガーにも。自慢のように思われるからあまり言いたくないのだけど、あなたの代と私の代では同じ首席でもレベルが違うわ」
『稀代の三席』
そう呼ばれた三人の魔術師の実力はミヨクもよく知っている。ミヨクは自分の力を過大評価しているわけではないが、それでも自分の代の魔術師の中では上の方だと自覚している。そんなミヨクでも思う。一学年上だという問題ではない。そんな壁よりも遥かに高みにいる存在が『稀代の三席』だ。初めから持っている才能が違う。
「それがどうしたって言うんですか……」
それでもミヨクは言った。確かに持っている才能は違う。しかしそれが諦めていい理由にはならない。自分がするべきことがあるのならば、どんなに高い壁が立ちはだかろうと、それを壊すことに努めた。今もそうだ。
「俺はあんたに勝つ。そしてエドガーにもだ。くだらないこと言ってないでさっさと続きをやりましょうよ」
勝つのはとても困難だ。しかし可能性はあるとミヨクは思っている。対するソニアは少しおかしそうに微笑む。
「そうね。あなたの言う通りね。試合再開よ」
ミヨクとソニアは再び戦闘の構えを取った。そしてクレメンスに目配せをする。するとクレメンスが頷いた後に片手を上げた。
「では、始め!」
再開の合図と同時に、ミヨクとソニアは魔術の構えに入った。しかしミヨクは先程と違い、杖を構えた。天球儀の装飾をソニアの方に向ける。
「Drei」
ミヨクの戦法は変わらない。小さな砲撃でソニアに長い詠唱の時間を与えない。特にソニア相手では重要な対策となる。完全な異世界との照応は、本来では儀式で行われるような魔術だ。詠唱による振動が少しでも乱されれば魔術が不成立になってしまう。それだけ精密な制御が求められる。
「ティールオス」
「Drei. Drei. Drei」
ミヨクとソニアは魔術を撃ち合う。ソニアは黒い炎の壁を作ってミヨクの砲撃を防ぎつつも、小さな黒い炎弾を連続で放つ。ミヨクはソニアの攻撃を全て避ける。生半可なエーテルの防御では、黒い炎はエーテルをすり抜けてしまう。
「Drei」
「オスニイド」
ミヨクが砲撃を放ち、ソニアが黒い壁を出して隠れる。そしてミヨクが回り込もうとしたが、そこで変化があった。ソニアはミヨクから逃げるのではなく、むしろ黒い壁から飛び出してきた。
「ティールオス」
ソニアが炎弾を放つ。ミヨクは前進しており、咄嗟に横に飛ぶ。ただ飛んだだけでは回避が間に合わない。しかしミヨクには回避の手段がもう一つある。ミヨクは天球儀の装飾を右に向けた。
「Fünf」
ミヨクの声は杖に伝わり、天球儀に届く。その先で魔法陣が展開された。そこからエーテルが噴射される。その勢いでミヨクは飛んだ。跳躍は数メートル程度なものだが、それで黒い炎弾を逃れる。そしてミヨクは態勢を立て直し、杖を向けて砲撃を放つ。
「Drei」
しかし今度の魔術は天球儀の先から魔法陣が展開されなかった。正確に言えば、天球儀の先だが、杖の延長線上ではなくそこから少しずれた位置に魔法陣が展開された。ソニアもそれに気づいたようで、横に避けようとしたところを慌てて反対側に飛ぶ。それでミヨクの砲撃は躱された。
「Drei, Drei」
ミヨクは細かい砲撃を続ける。その砲撃のための魔法陣が展開される位置にばらつきができるようになった。それはミヨクのアーミラリステッキを利用した技術である。杖には声の振動に合わせて魔力が伝わっている。単なる物理現象である声の振動は自在に操れないが、魔力の伝導はある程度操ることができる。ミヨクは杖に伝わる魔力を操って、天球儀のあらゆる位置から魔法陣を展開することができるのだ。
それでもソニアはミヨクの砲撃を躱す。彼女にとっても初見ではないし、初見の時から対処はされた。魔術師の戦闘技術はソニアも熟知している。この程度の小細工ではソニアを崩すことはできない。とはいえミヨクの攻撃が読みにくくなり、攻めにくくなったはずだ。
「Drei, Drei」
「オスニイド」
ミヨクが砲撃を放ち、ソニアが黒い壁を作り出す。そんな試合展開が増えてきた。魔法陣の位置をずらされてしまえば、ソニア側は回避の手段を取りづらくなる。手や杖のシグナルではなく、その後の魔法陣の展開で魔術の軌道を読まなければいけなくなるからだ。
「オスニイド」
「Drei」
ミヨクは黒い壁に回り込んで砲撃を放つ。先程の奇襲以来、ソニアが黒い壁から前に出てくることはなくなった。
一進一退の攻防の中で、ソニアはミヨクの砲撃を回避する。それによって生じた決して小さくはない隙をソニアは見逃さなかったようだ。
「オスフェオフェオ」
ソニアは地面に魔法陣を展開して、黒い炎を巻き上げる。黒い炎が前方に乱雑に振りまかれる。範囲は広いが、ところどころに隙間がある。避けることはさして難しいことではない。しかしそもそも、この魔術はミヨクに当てることを目的としていない。
黒い炎をまき散らされたことによってミヨクはソニアの位置を見失ってしまった。それではソニアの詠唱を止めることができない。間違いなくソニアは大技の準備をしている。ミヨクの位置を捕捉していなくても関係ない。辺り一帯を覆いつくす大技だ。
ミヨクは杖を持っていない方の手を前に掲げた。当時にソニアの詠唱が聞こえた。
「ベオークエオユルオスニイドダエグ」
「Sieben, Sieben, Sieben」
黒い炎の大群は現れた。今からでは避けられない。上空に逃げてこの黒い炎から免れたとしても、次のソニアの攻撃をやり過ごせない。
ミヨクはエーテルの盾を喚起した。大量の魔力で生成した厚い盾だ。これでも黒い炎を防ぐことはできないかもしれないが他に方法はない。幸いソニアの黒い炎は人体には大きな影響はない。その代わり精神に大きなダメージを与える。今度は何日寝込むだろうなとミヨクは考えてしまった。
黒い炎はミヨクを飲み込もうと襲い掛かる。その大波をエーテルの大盾で割断した。ミヨクだけを避けて黒い炎は流れる。エーテルの大盾はまだ壊れない。しかし時間の問題だ。大盾は確実に焼かれている。黒い炎は少しだけだが盾から漏れ出ている。
「おお、おおおおおおぉぉぉぉおおおおお」
黒い炎の突進は五秒間続いた。ミヨクにはそれが一分くらいには感じられた。それでもなんとかエーテルの大盾は持ちこたえる。ミヨクは膝を折りかけたが、休んでいる暇などない。杖を持っていない方の手を前に出した。
「Acht, Acht, Acht」
黒い炎が晴れたすぐ後に、ミヨクは弾幕を張った。同時にソニアが前に出てきたのもミヨクは確認した。近接戦を仕掛けるようだ。
「オークティール」
ソニアは手を振るいながら唱える。剣の一閃に流れる黒い炎がエーテルの弾幕を叩き落とす。そしてソニアはそのままミヨクへと駆けつける。彼我はもう十メートルもない。
ソニアは低い姿勢で、右の拳を握って引いていた。魔術を展開して右手に魔力の含んだ黒い炎を纏い、打撃と共に放出するようだ。魔術を何かに纏わせる技術をエンチャントと呼ぶ。
ソニアの攻撃を防ぐような盾を作る時間がない。ミヨクは後ろに飛んだ。その時になってようやく気づく。ソニアはまだ詠唱していない。エンチャント魔術の素振りはただのフェイントだ。
「ティールオス」
ソニアの黒い炎が来る。範囲は狭いが、至近距離のため回避が間に合わない。
「Zwei, Zwei」
ミヨクは右手を胸の前に出した。その右手首から魔法陣が現れる。エンチャント魔術だ。ミヨクはありったけのエーテルを右手に纏い、向かってくる黒い炎に裏拳を放つ。
「がぁぁぁぁああああ」
ミヨクは黒い炎の軌道を横にずらしたが、その衝撃が右手を襲った。生物的な痛覚神経ではなく、魂が焼かれるような感覚に見舞われる。しかし何とか耐えきる。初めて受けたわけではないのだ。右手一本なら弱音を吐くのはまだ早い。
今度はソニアが隙を晒している。先の攻撃で勝てると思い込んでいたのだろう。驚いたように目を開き、足を止めていた。ミヨクに勝機があるとしたら今この瞬間だ。ミヨクは右の拳を引きながらソニアの元に駆ける。
エンチャント魔術の構えだが、エンチャント魔術はしない。先程ソニアが行った戦法をそのまま返そうというのだ。ミヨクがエンチャント魔術で来るのならば、ソニアも同じ手段を取るだろう。それではミヨクは力負けてしまう。だからその手段を誘い、そこを速い砲撃で迎え撃つのだ。それならばソニアのエンチャント攻撃が届くまでに、ミヨクの攻撃がソニアに届く。
「Drei, Vier」
ミヨクの右手に魔法陣が展開された。ミヨクの作戦通り、ソニアは右拳でミヨクを殴り倒す動きを取っている。しかし作戦通りになっていないことにミヨクは気付けなかった。そのままミヨクの魔法陣からエンチャント魔術ではなく速い砲撃が繰り出される。
「な……に……?」
しかしそれがソニアに命中することはなかった。あろうことかソニアは拳を振り抜かずに、横に飛んだのだ。そして砲撃は躱された。ミヨクの攻撃を予知していたようにしか思えない動きだった。
「イスニイド」
ミヨクは呆然としてしまった。それで勝負は決してしまった。ソニアは改めてエンチャント魔術を行い、ミヨクを攻撃した。ミヨクはそれに反応することができず、黒い炎を纏った強烈な攻撃を腹部に受け、それから意識を失った。




