第5章 稀代の三席(1)
ミヨクは目を覚ました。どうやら久遠家で借りているミヨクの部屋で、その布団の上で寝ていたようだ。今まで起こったことを思い出してみる。標山の森でエドガーに襲われて、真守とエレンと逃げていたが、ミヨクがエドガーの攻撃を受けてしまい、真守が足止めをして、その隙にエレンや四姉妹に運ばれたのだ。その途中、ミヨクは気絶してしまったようだ。
ミヨクがここにいるということはエドガーの魔の手から逃れられたということだろう。ということならば憂慮するべきことがある。
「真守!」
真守を置いてきたのだ。ミヨクを連れたエレンは逃げ切ったと考えてもいいだろうが、真守は別だ。真守がエドガーに敗れて捕まったか殺されたということは十分に考えられる。その場合、今更駆けつけても遅いだろうが、動き出さないわけにもいかない。
「みよ君……?」
ミヨクが勢いよく起き上がり、横を向いてみた。そこに真守の顔があった。真守は身を乗り出していたようで、お互いの鼻がぶつかりそうなほど近い。ミヨクは焦って顔を遠ざけようとしたが、先に真守の方が顔を横にずらした。
「みよ君……」
そして真守が大きく腕を広げてミヨクに抱き着こうとする。その寸前のところで、何かを思い出したかのように動きを止めて、それから身を退いた。そして行儀よく正座して、恥ずかしそうに上目遣いでミヨクを見る。
「ごめんなさい……。みよ君、脇腹とかを痛めているのに……。今抱き締めたら痛いですよね……」
確かに真守の言う通りなのだが、その言い方だと、ミヨクの怪我を考慮して抱き締めなかっただけで、ミヨクを抱き締める行為自体には何の抵抗もないとように受け取れる。十年前はよく抱き着いてくれたが、今でもその感覚で来られるとミヨクとしては困ってしまう。もう二人とも心も身体も十年前とは違うのだ。
気を取り直して、ミヨクは訊くべきことを真守に訊いた。
「ところで真守。エレンは無事なのか?」
真守が無事ならば、先に逃げたエレンは無事なのだろうが、先程からエレンの姿が見えないのはミヨクとしてはあまり気分の良いものではない。
「エレンさんは無事です。怪我もありません。ただ、かなり疲労が激しかったようで、今も眠っています」
エレンの魔術は精神への負荷が大きい。元々霊媒としての適性が高くないのに、魔術で無理に高度な霊能力を発現しているのだ。それに命懸けの戦闘で心もすり減らしたに違いない。
「とにかく無事でよかった。エドガー相手に、本当に良かった」
「ソニアさんが助けてくれましたから。エドガー・テルフォードには逃げられましたけどね」
やはりそういうことかとミヨクは嘆息する。結局ソニア達に見つかってしまったわけだ。助けてもらったことには感謝しているが、今後のことを考えると好ましい状況ではない。
今度は真守の方から質問をしてきた。
「ところで、『白い魔女』とは何なのですか? みよ君は何か知っているのでしょう」
ミヨクはエドガーとの会話で、『白い魔女』に魔術的な価値があると元から知っていることを匂わすような発言をしていた。それは真守も気づいているだろうし、隠し通すこともできないだろう。しかしミヨクは首を横に振った。
「そんなわけ……」
真守が強い口調で言いかけるのを遮って、ミヨクは真守に手招きをした。真守は素直に従って、ミヨクに顔を近づける。ミヨクは彼女に耳打ちする。
「そのことは後で絶対に話す。けど今はソニアさんやクレメンス先生の耳に入れるわけにはいかねぇ。今はそれで納得してくれ」
ソニア達はこの部屋にはいない。盗聴はされていないだろうし、真守にもミヨクにも無理矢理話させるような真似はしないだろうが、話は慎重にした方がいいだろう。
「分かりました。そういうことなら……」
真守も小声で答えて、顔を離した。それからミヨクは『白い魔女』に関わる重要なことがもう一つあったことを思い出した。
「真守。あの資料はどうなった?」
エレンに持たせた『ホワイトウィッチプロジェクト』のことだ。あれには『白い魔女』に関わる重大な秘密を記されているはずだ。そんなものがあるとソニア達が知れば、引き渡しを要求するはずだ。それを拒否するのは難しいだろう。
「ああ、それなら私が預かっています。ソニアさんに見つかったんですが、私がなんとか死守しましたよ」
真守が件の資料を手に取り、顔のあたりまで掲げる。助かったとミヨクは思った。しかし腑に落ちないことがある。
「そんなこと、よく許してもらえたよな」
「だって、あの資料は標山の森にあったものですから。今の所有権は私達久遠家にあります。そう話したら、渋々という感じでしたが納得してもらいましたよ」
それでミヨクは納得がいった。標山の森とそこにあるものは久遠家のものだ。その権利を無理に踏みにじるようなことをソニア達はしないだろう。
「そうか……。しばらく預かっていてくれ。状況が落ち着いたら読もう」
「ええ、分かりました」
『ホワイトウィッチプロジェクト』の話は一旦終わりだ。そう言わんばかりに真守が他のことを切り出す。
「それはそうと、ソニアさん達は一体何者なのですか? 魔術師というのは聞きましたが、もう少し詳しく聞いておく必要があるようです」
確かに真守には、ソニア達のことをヘンシェル教会に属する特殊な魔術師としか説明していなかった。昨日の時点ではそれで十分だとミヨクも思っていたが、状況が変わってしまった。真守もソニアの魔術を見たのだろう。ミヨクは真守の望み通り、ソニア達に関することを話し始める。
「ヘンシェル教会っていうのは、魔術師における自警団みたいなものだ。もちろん教会としての機能もあるけど、魔術師の世界の教会は、ヘンシェル家みたいに防犯組織を兼ねることが多い。魔術師として道を外れた者とか、そもそもこの世界とは外れたもの、つまり異端者から民衆を守る者なんだ」
真守は頷きながら聞いていたが、気になったことがあるようだ。
「それにしてもソニアさんとエドガー・テルフォードは知り合いだったようですが、禁書保管庫の件でもソニアさんは奴を追っていたのですか?」
「ああ、ソニアさんとエドガーは同じ学園出身で、しかも同期だし、禁書保管庫の件よりも前から結構因縁があったんだよ」
そのあたりは話すと長くなるので省略する。暇な時に話してもいいが、とにかく今はソニアのことで真守に忠告しなければならない。外に漏れないように小さな声で言う。
「真守。ソニアさんに気をつけろ」
ミヨクがそう言うと、真守は少しむくれてこう返す。
「みよ君。ソニアさんは良い人ですよ。あんまり悪くいうのは……」
「あの人が善人なのは分かってる。だから気をつけろ」
教会という正義の代行者だからこそ、ミヨクはソニア達に最大の注意を向けなければならない。真守も空気を察して頷いてくれた。
それからしばらくすると、襖がノックされた。真守が「どうぞ」と応じると襖が開かれた。
「入るわよ。ミヨク・ゼーラー」
そして入って来たのは、ソニアとクレメンスだった。ミヨクはクレメンスの方を向いて頭を下げた。
「クレメンス先生。助けてくれてありがとうございます」
「いえいえ。たいした怪我でなくて何よりです」
「ちょっと……。どうして私にお礼はないのよ」
そこでソニアがミヨクに文句を言う。あまりにもいつも通りの反応だったので、ミヨクは少し笑ってしまった。しかし今のところ彼女をからかう気はない。
「ありがとうございます。真守やエレンを助けてくれたようで」
その返答が意外だったようで、ソニアは少し呆然としていたが、すぐに両腕を組んで不遜な態度を示した。ミヨクだけが助けられたのならば、ミヨクは意地を張って悪態をついただろうし、今まではそうだったのだ。しかし今回は真守やエレンも助けられた。そのことには素直に感謝の意を述べないと失礼だとミヨクは思う。
「ふん……。分かればいいのよ」
ソニアは鼻を鳴らすとすぐに、ミヨクの方に向き直った。
「単刀直入に言うわ。あなた、エレンを連れてメイスラに帰りなさい」
それは突然の命令だった。メイスラとはミヨク達が住む国のことだ。ミヨクも負けまいと睨み返す。
「エレンを帰すことには賛成ですけど、俺は帰りませんよ。まだ何も解決していないし、エドガーがいることが分かった。帰るわけにはいきません」
ソニアはすぐに怒鳴ってくるとミヨクは予想した。しかしそれに反して、ソニアは怒っているのだろうが、冷静に言葉を連ねる。
「あなたが『白い魔女』という、連盟に秘匿されている魔術について調べていることは分かっているわ。それは私達が引き継ぐけど、ここで得た情報は特別にあなたにも伝える。エドガーは捕まえるし、話がしたいのなら面会できるように手配する。あなたも無関係というわけじゃないから、そこのところを無碍にしないわよ」
ミヨクの目的は、ヘルベルトの研究の正体を明かすことだ。それを代わりにソニア達が果たして、その成果をミヨクにも与えると言うのならば、それは形の上ではミヨクの目的が達成されたことになる。しかしミヨクは簡単に納得するわけにはいかない。
「けど、俺がエドガーと決着をつけないといけません」
そこでソニアが眉をひそめる。ミヨクは感情を押し留めようとしているかのように肩を震わせる。
「そんなことを気にする必要はないわ。メリッサのことを悔やんでいるのなら間違いよ。あなたはよくやった方よ」
「そんなこと言われても嬉しくない。これは俺がやるべきことです」
「あんたみたいなガキの手に負える問題じゃないって言っているのよ!」
ソニアは怒りを露わにする。勢いよく激高した後にしっかりと睨みつけてきた。ミヨクも負けまいと睨み返す。互いに視線を反らす気はない。
ミヨクはソニアの言うことをよく理解している。『白い魔女』やエドガー、それはミヨクのようなただの学生に解決できるような生易しいものではない。実際に、ミヨクはエドガーに何度も敗れているし、一人では何もできなかった。ヘルベルトのことだってそうだ。普通の魔術師にとっては未知の領域に足を踏み入れようとしているのだ。ヘンシェル教会のような機関に助力を請う方がいいに決まっている。
しかしそれでも、自分で解決するべき問題だとミヨクは思っている。そうしなければ満足できないのだ。勝手な思いだろうが、道が完全に閉ざされない限り、ミヨクは諦めるつもりはない。
「俺はまだ戦える」
ミヨクが静かにそう言うと、ソニアは溜息をつきながら視線を落とした。そしてすぐに真剣味を帯びた顔つきで言う。
「いいわ。そこまで言うなら、あなたもここにいさせてあげる。けど、条件付きよ」
ミヨクはその条件がすぐに分かった。何度か言われたことがあるものだ。その難しさは身に染みている。ミヨクは未だにそれに成功したことはない。
「私と魔術戦をしなさい。それで私を満足させることが条件よ」




