第4章 Fatal Successful Example(2)
エリザベスは目の前にいる白い人型を見る。それの正体がリリーであることは彼女もすぐに分かった。そしてリリーが纏っているのは霊体だ。霊体が物質化して鎧のようになっている。火輪山で見た麻多智と似たような現象だろう。
しかし麻多智とは明確に異なる点がある。エレンがそれを指摘した。
「あの霊体……一人じゃないわね……」
エリザベスもそう思う。リリーに憑依している霊体は一人ではない。それも二人や三人というわけでもない。距離があるのでエリザベスでも断定はできないが、少なくとも十人はいるはずだ。もしかしたらそれも遥かに超えているかもしれない。
目の前の白い人型はリリーであり、リリーがフォルトナー家の超低振動霊に憑依されていると仮定する。その霊体は今までフォルトナー実験によって犠牲になった魔術師のものだ。フォルトナー四姉妹とは違い、救われることがなかった霊体が集まり、リリーの中にずっと潜んでいたのだろう。
ここでエレンが誰に対してかは曖昧だがそれでも訊く。
「どうする……?」
三秒の間を空けて答えたのはミヨクだ。
「どうするって……逃げるしかねぇだろ」
その瞬間、エレンが憤りの声を上げる。
「何言っているの。あれはリリーなのよ。放っておくわけには……」
「分かってるよ。けどお前は自分の心配をしろ。あれはお前を狙ってるんだぞ」
ミヨクの言う通りだとエリザベスも思う。霊体の憑依先に適した霊媒は、この場ではリリー以外にはエレンしかいない。さらにエレンはフォルトナー家の血を引いている。今目の前にいる霊体もそれを感じ取っているのだろう。
さらにミヨクはエレンを説得する。
「とにかく地上に降りる。そして真守と合流する。あいつならリリーを助け出す方法が分かるかもしれない。それに、ここで逃げないということは、リリーと戦うということだぞ。それでいいのか?」
現状ではエリザベス達にリリーを救う術はない。だからと言ってリリーに攻撃したくはない。やむを得なくなればリリーを攻撃するが、まだリリーを傷つけなくて済む方法が残されているのならばその方法に懸けたいとエレンは思っている。
「分かったわ。逃げましょう」
「さて……問題はどうやって逃げるかだな」
今の地点から一番近い岸辺なら一キロメートル程しか離れていない。三十秒も突き進めば着陸することができるはずだ。ただしそれは妨害がなければの話だ。
「さすがに攻撃してくるよな……。やっぱりエーテルかな」
ミヨクが呟く。リリーはエーテル属性の魔術師であり、リリーに憑依している霊体もフォルトナー実験の被害者ならばエーテル属性である可能性が高い。霊体に憑依されている魔術師の魔術属性に関しては研究が進んでおらず、はっきりしていないことが多い。ただし目の前の相手は霊媒も霊体もエーテル属性なので、エーテル属性の魔術を使うと考えてもいいだろう。
「それだとかなりまずいわね」
エレンの言う通りだとエリザベスも思う。
エーテル属性の魔術は五大属性の中では最も砲撃に適した属性だ。他の属性に比べると射程を伸ばしやすいし、威力を出しやすい。エリザベスも生前はエーテル属性の魔術師であり砲撃魔術も習得していたので分かる。
「ああ、ただ逃げても狙い撃ちにされるな」
ミヨクの言うこともエリザベスはすぐに理解した。
エリザベス達は飛行中に攻撃することはできない。ミヨクは推力を発生させる魔術に集中しているし、フォルトナー四姉妹は全員飛行の支援をしなければならない。攻撃するためには停止する必要がある。地上の敵と戦うだけならばそれで十分だった。
しかし敵も飛行能力を持っているのならば話は別である。移動と攻撃を両立することができない現状では、その両立ができる敵に対しては対抗する術がない。リリーに直接攻撃するつもりはないだろうが、牽制する手段がないとなるとエリザベス達があまりにも不利だ。
「なら最短じゃないけど、師匠のところに戻るぞ」
「分かったわ」
ミヨクがそう言い、エレンが頷いた。琴音ならば空中の敵に対しても攻撃手段を持っている。エリザベス達が攻撃できない間は琴音に攻撃してもらえばいい。彼女の援護があれば地上まで逃げ切るのもそう難しいことではないだろう。
「じゃあ最初に目晦ましと足止めだけはする。リリーには当てないから」
「ええ……。あなた達も用意はいいわね?」
エレンがフォルトナー四姉妹に声を掛ける。全員が思念で「OK」と返答した。
「Acht, Acht, Acht」
ミヨクがアーミラリステッキに乗ったまま手を前に出す。そして詠唱をした。魔法陣が展開されて、リリーの元へ砲撃が放たれる。その砲撃はリリーの直前でぶつかり合い、小さな爆発を起こした。
リリーがエーテルの爆発で怯んでいる間に、エリザベス達は方向転換する。そしてミヨクが詠唱した。
「Fünf, Zwei, Sieben」
エリザベス達は地上に向けて直進する。ミヨクは前を向き、エリザベスとエレンは後ろを向いている。エリザベス達がリリーから五十メートル程離れ、ミヨクの砲撃によって漂っていたエーテルが散ってきた頃に、それは来た。
「メグ!」
エレンが咄嗟に叫び、マーガレットの実体化を解いた。エリザベス達が右方向に旋回する。その横を謎の球状の何かが通り過ぎて行った。魔法陣はなかったので、先程の予想とは違いエーテルではないだろう。
その球がマチルダに触れる。その瞬間、エリザベス達の体勢が水平に戻った。マチルダの実体化が解けかけいる。つまり両翼が正常に機能しなくなった。重力に逆らえず落下しそうになる。エレンが再び叫ぶ。
「メグ! マッチ!」
するとマーガレットが実体化して、遅れてマチルダが実体化した。その頃には謎の球を振り切っていた。
「おい。何があった?」
「マチルダが乗っ取られかけたわ」
エリザベス達フォルトナー四姉妹はエレンの守護霊という立場を取っているが、エレンという霊媒としか繋がることができないわけではない。実際に真守もマーガレットと繋がり彼女を実体化させたし、今では四姉妹の誰とも繋がることができる。
基本的にはエリザベス達は自分達の意志で霊媒を変えることができるが、より強い霊体やミディウムに逆らうことができない場合がある。リリーはエレンに勝る量のミディウムを持っていないはずだ。だから謎の球の正体は霊体だろう。その霊体は自分を介してマチルダとリリーを繋げようとしたのだ。
「お兄様は気にせず進んで」
「でも……」
「いいから!」
ミヨクが心配そうに後ろを向きかけたところでエレンが怒鳴る。そのエレンはかなり疲労した様子だ。呼吸を荒げて、額には大粒の汗を浮かべている。エリザベスにはその理由が分かる。リリーの霊体からフォルトナー四姉妹を守るために、自分と四姉妹の繋がりをより強固なものにしているのだ。当然、ミディウムの消費が激しくなり、本人の身体への負担も大きくなるだろう。
「リリーが来てるわ」
エレンの言う通り、リリーは前進していた。リリー自体はそれ程速く進んでおらず、エリザベス達との距離は開いていく。しかしリリーからは新たに霊体が数体放たれており、それらは高速でエリザベス達に襲い掛かる。
これはエリザベスの予想だが、リリーの霊体はエリザベスに近づくまでは振動数が高い。エリザベス達と同じ超低振動霊なのだろうが、常に実体化する程に振動数が低いわけがないはずだ。
実体化すれば霊体といえども物質世界の様々な制約、例えば重力や摩擦や空気抵抗の影響を実は受けている。だから飛行魔術のための推力をエリザベス達だけでは生み出せず、ミヨクのエーテル魔術が必要になる。
しかし実体化せずに物質世界との繋がりをほとんど断てば、霊体はかなり自由に高速で移動することが可能だ。だからリリーの霊体はエリザベス達に接近するまでは実体化を解き高速で移動し、接近した時に実体化して攻撃しているのだろう。
リリーの霊体は数体がエリザベス達にぶつかる。先程のマチルダのように実体化が強制的に解除されることはない。それはエレンがしっかりと繋ぎ止めているからだ。ただその綱引きはエレンにとってはとても辛く苦しいに違いない。
「エレン。もうすぐだ。踏ん張ってくれ」
ミヨクが叫ぶ。エレンは何も言わない。必死で息を整えて、意識を保とうとしている。今にも倒れそうに俯いているにもかかわらず、その目はリリーをしっかりと見据えている。エリザベスとしては苦しむエレンのために何かしたいが、エレンとミヨクの身体を支えるという元々の役目を超えることができない。それをもどかしく思う。
エリザベス達は下降しながら湖の岸辺へと近づく。段々と真守と琴音の姿が大きく見えてきた。岸辺まであと百メートルもない。
「くそっ……。しつこい」
ミヨクが呟く。エリザベス達としては着陸のために減速をしたいが、リリーと彼女の霊体が追ってくるのでそうもいかない。リリーの霊体は何体もエリザベス達に襲い掛かる。エリザベス達フォルトナー四姉妹がそれらを振り払うが、元々数が多いためかその猛攻は止まらない。
リリー本人もエリザベス達との距離を詰めてきた。彼女も移動する際に、背後に魔法陣を展開していた。ミヨクと同じような要領で、エーテル魔術で推力を得たのだろう。
「Acht, Acht, Acht, Sieben」
岸辺から女性の大声が聞こえてきた。琴音の詠唱だ。エーテルの砲撃がリリーへと放たれている。霊体がリリーの盾となりその砲撃を防ぐ。その間、エリザベス達への攻撃はなく、リリーも停止していた。着陸する絶好の機会だ。
「今だ。着陸するぞ」
ミヨクの掛け声と合図にエリザベス達が着陸の準備をする。その間にも琴音がリリーへ砲撃を与えており、やがてリリーが逃げ去っていくのをエリザベスは見ていた。
妨害がなくなった後、エリザベス達は難なく着陸した。地上に着いた瞬間、エリザベス達の実体化が解け、エレンがその場に倒れた。
「エレン。しっかりしろ」
ミヨクがアーミラリステッキをその場に捨てエレンの元に駆け寄る。
「エレンちゃん」
真守も来た。そして真守がエリザベス達を実体化させる。
「みんな。エレンちゃんを運んでください。すぐに別荘に戻りますよ」
そしてエリザベス達は素早く担架を用意して、エレンをそこに乗せる。四人でエレンを運ぼうとしたが、それは一時中断となる。
「みんな。大変だ!」
オリバーがこちらに駆け寄ってきたのだ。息を整えてからこんなことを言う。
「リリーが……姿を消した。探したがどこにもいない」
「リリーは湖の上です。霊体に操られて俺達を襲撃してきました」
ミヨクが言う。リリーであることは確定していないが間違いないというのが、白い人型に遭遇した全員の認識だ。オリバーが衝撃を受けて呆然としていたが、真守が声を上げる。
「とにかく今はエレンちゃんを運ぶのが先です」
「分かってるけど、リリーのことは放っておけねぇだろ」
真守とミヨクが言い合う中に琴音が割り込んだ。
「ならこうしましょう。真守ちゃんはオリバーさんと一緒にエレンちゃんを別荘に。私とミヨクちゃんがリリーちゃんを探すわ。四姉妹は、誰かを一人こちらに寄越して」
琴音がそう言うと真守もミヨクも首を縦に振った。
「分かりました。ならエリザベスちゃんがみよ君のところへ」
エリザベスが言われた通りにミヨクの傍へ行くと同時に、残り三人と真守が担架を持ちエレンを運んで行った。
琴音がオリバーに言う。
「オリバーさん。エレンちゃんを頼みます」
「ああ分かった。リリーをよろしく頼む」
それからエリザベスはミヨクと琴音と一緒にリリーを捜索した。捜索を始めてから三十分後、緑のワンピース姿に戻ったリリーが湖の岸辺で倒れているのを発見した。




