第4章 Fatal Successful Example(1)
二日目の午後、エレンはついに飛行訓練を始める。ミヨクとフォルトナー四姉妹、そして真守と一緒に湖の岸辺に来ていた。これから飛行を始めるための準備をしている。
真守と琴音は普段通りの私服だが、エレンとミヨクはトレーニングウェアを来ている。エレンの髪型は昨日と同様にポニーテールだ。エレンとしてはいつものゴシッグドレスを着て空を飛びたいものだが、今は訓練なので仕方ない。
これから飛ぼうとする時に、真守が心配そうに声を掛けてくる。
「本当に五十メートルの高さまで飛ぶのですか? それだけ高ければ、いくら下が水面でも落ちたら命の危険がありますよ。もう少し低くてもいいのではないですか?」
確かに真守の言う通りだ。魔術の訓練とはいえ、命の危険が伴う。最大限の安全を考慮して湖の上で行っているのだが、それでも落下して死亡する可能性は十分にある。
それでもエレンは言い返す。
「真守。いい加減にしなさいよ。前からちゃんと話し合ったでしょ。魔術の発展にリスクがあるのは当然よ。それに、私達は落ちるようなヘマはしないわ」
エレンから見ても、真守は心配性のきらいがある。命がけの戦闘に関わってほしくないというのは分からないでもない。しかし危険があるからといって魔術の訓練にまで過剰に心配しないでほしい、とエレンは常々思っている。
「でも……」
真守はまだ納得していないようだ。そこでミヨクが真守に言う。
「真守。何も敵と戦うわけじゃないし、無駄に危ないことはしないから大丈夫だよ」
ミヨクは優しく諭すような態度だ。それで真守は渋々ながらも納得したようで首を縦に振った。
「分かりました……。くれぐれも、気を付けてくださいね」
真守はまだエレン達の飛行に対して不安があるようだ。エレンは飛行魔術自体には不安を残していない。そのための訓練はしっかりと積んできたし、身体と魔力の調子もかなり良い。しかしエレンにも一つの懸念事項があった。
エリザベスだ。
エレンは未だにエリザベスと仲直りすることができていない。エリザベスが謝罪してからというもの、エレンとエリザベスは訓練とリリーのこと以外で会話することはない。エリザベスが言うことを聞くようになったのでエレンとしては問題ないが、やはり一緒にいると気まずさを感じてしまう。
エリザベスの悩みが何か分かれば仲直りができるかもしれないが、エレンはその手掛かりを掴むことができていない。とはいえ、今の状態をいつまでも続けるわけにはいかないだろう。
飛行訓練が成功したらエリザベスに優しく接してみようとエレンは決心した。
「さて、そろそろ始めるか」
「そうね」
ミヨクがアーミラリステッキに跨る。その後ろにエレンが椅子に座るように腰を下ろす。ミヨクはエーテル魔術で推力を作り、飛行するアーミラリステッキを操縦するので、前を向きバランスを取り続けなければならない。一方でエレンは、フォルトナー四姉妹を実体化してアーミラリステッキを支えなければならない。アーミラリステッキのバランスを確認しつつ四姉妹に的確な指示をするために、杖の上で身体の向きを変えられるように座る。
エレン達が出発する前に、琴音が最後の確認をする。
「ミヨクちゃん。エレンちゃん。くれぐれもはしゃぎすぎないようにね」
琴音が心配していたのは、エレン達が調子に乗るかどうかだけのようだ。裏を返せば技術面では何の心配もないということだろう。
「はい。じゃあそろそろ行きます」
「みんな頼むわよ」
エレンがそう言うと、フォルトナー四姉妹が実体化した。そして彼女達は配置につく。アーミラリステッキの右にマーガレット、左にマチルダがくっつく。彼女達は飛行機で言うところの主翼の役割を持つ。エーテル魔術によって前進している最中は二人が揚力を発生させる。また左右に曲がる時は二人の実体化の強さを調節する。後ろの天球儀にはメアリがつく。飛行機で言うところの尾翼であり、垂直方向の安定性を与えることが役目だ。エリザベスはミヨクとエレンの間につき二人の身体を支える。
「お兄様、準備ができたわ」
「分かった。じゃあ行くぜ。Fünf, Zwei, Sieben」
ミヨクが詠唱すると、後部にある天球儀の先に魔法陣が展開された。そこからエーテルが噴射される。その勢いに任せてエレン達は上昇する。目標の五十メートルまで上がったところでエレン達は停止した。フォルトナー四姉妹が浮遊できるので、空中で移動するよりも留まる方が簡単だ。
ここでエレンが髪をかき上げながら声を出す。
「やっぱり本物の飛行は気持ちいいわね。興奮してきたわ」
飛行中に感じる風、上空から見下ろす景色、そして空を飛び回るという魔術師にとっても夢のような行為。地下にあるメイスラでは経験することができないような快感だ。エレンはその快感を全身で受け止めている。
「エレン。ここからが本番だろ」
ミヨクが楽しそうに言う。彼もエレンと同じような気持ちだろう。高所からの着地はしてきたようだが、能動的にある程度の高さで飛行することは初めてとのことだ。この瞬間を今まで待ち焦がれていたに違いない。
「そうね。行きましょう」
「次は確か左右の旋回だな。よし行くぞ。」
ミヨクが詠唱してエーテル魔術が後方へ放たれると、エレン達は真っすぐと動き出した。徐々に速度を増していき、時速百五十キロメートルまで到達した。ミヨク曰く、速度だけを追求すればもう少し速く飛ぶことができるらしいが、旋回や急停止からの行動を考慮すると、今の速度以上出すと危険とのことだ。
そしてエレンは左にいるマチルダの実体化を解いた。これにより揚力が右にいるマーガレットにのみ働き、エレン達が左に傾く。エレンとミヨクの身体は重力に対して四十五度ほど傾いた。
この傾きによりエレン達は左に旋回する。半周したところでエレンは再びマチルダを実体化させて自分達の体勢を水平に戻す。それからすかさず、今度はマーガレットの実体化を解き右に旋回する。そして半周したところでマーガレットを実体化させて元の体勢に戻る。この間およそ三十秒であり、千メートル以上は移動しただろう。
エレン達は一時停止して滞空する。ミヨクが嬉しそうにこんなことを言う。
「かなり上手くいったな。真守との特訓の成果が出たじゃねぇか」
「当然よ。真守の特訓に比べたらこれくらい簡単よ」
真守との特訓の時と比べて、フォルトナー四姉妹の実体化とその解除の頻度は少なく、対象もマーガレットとマチルダの二人だけだ。それに真守の動きに合わせる必要もなく、あらかじめ決めていた通りにすればいい。エレンとしては何も難しいことはない。
「ミディウムの方はまだ余裕あるか?」
「それも当然ね。まだ飛び始めたばかりよ。でも油断したら駄目なことも分かっているわ。余計なことをせず、目標の動きをこなしたらさっさと降りましょう」
真守との訓練ほどではないが、霊体の実体化とその解除を繰り返すのはかなりのミディウムと集中力を要する行為だ。調子に乗って無計画に続けていると、ミディウムが尽きフォルトナー四姉妹を実体化させられなくなることも考えられる。五十メートルの空中でそのような事態に陥るわけにはいかない。
「そうだな。じゃあ次は旋回した後に砲撃だな。行くぞ」
「ええお兄様」
エレンが了解するとミヨクは「Fünf, Zwei, Sieben」と詠唱した。直進し、マチルダの実体化を解いて旋回し、そしてマチルダの実体化を戻すところまでは先程と一緒だ。今回はそれから少しだけ直進した後に減速する。その最中にミヨクは股の下に通していたアーミラリステッキを回し、天球儀を自分の目の前に向けるように持ち直す。その間、フォルトナー四姉妹はエレンとミヨクを支えて浮遊している。
前への動きが止まったところでミヨクが詠唱した。
「Acht, Acht, Acht, Sieben」
ミヨクのアーミラリステッキから魔法陣が展開され、エーテルの砲撃が放出された。大きな球状の砲撃だ。地上には落ちないような角度で放たれた砲撃は百メートル程先で消失した。その様子を見てミヨクが歓喜の声を上げる。
「よし。良い感じだな。これで空の戦いもできるんじゃね?」
「まあまあね。そんな機会はそうないでしょうけど」
飛行魔術は最初から戦闘用に開発されたものではないが、魔術師ならば新しい魔術が戦闘に応用できるのかを嫌でも検討しなければならない。魔術師同士の戦闘はけっして少なくなく、魔術師はいつか来るかもしれない戦闘に備えなければならないからだ。実際にエレンもミヨクも実戦を経験している。
「さあ、次行きましょう。急降下と急上昇ね」
その後、垂直方向と水平方向を組み合わせた動きを実践する。それさえできれば目標は達成だ。
「そうだな。行こう」
ミヨクが再びアーミラリステッキにまたがり、エレンはそこに座る。そして訓練を再開した。
その後全ての目標を達成した。バランスを崩すことはなく、エレンのミディウムもずっと安定していた。飛行訓練は大成功である。ミディウム魔術とエーテル魔術を組み合わせた飛行魔術が完成したと言ってもいいだろう。
エレン達は再び空中で停止して、飛行魔術の成功を喜び合う。
「よし。これで俺達が新しい飛行魔術の開発者になれたってわけだな」
「ええ。そうね」
新しい魔術を生み出すことは、地上の世界で新しい科学技術を発明することに似ている。魔術師にとっては非常に誉れ高い功績だ。それをまだ高等部の学生二人が成し遂げたのだ。エレンとしては、ここが空中でなければミヨクに抱き着きたいくらいだ。
「あなた達。ありがとう」
エレンはフォルトナー四姉妹に感謝の言葉を送る。フォルトナー四姉妹も飛行魔術の貢献者だ。彼女達がいなければこの魔術は完成しなかった。ミディウム魔術による霊媒現象には霊体が必要だという問題ではない。エレンとフォルトナー四姉妹が長い間培ってきた絆と経験が必要不可欠だったと言っても過言ではない。
フォルトナー四姉妹も嬉しそうに頷いていたが、その中で一人だけ上目遣いでエレンの様子を窺う者がいた。エリザベスだ。仲直りしていなかったことを忘れていたわけではなかったが、飛行魔術のことで頭がいっぱいだったのでエレンはあまり意識していなかった。
「エリザベス」
エレンは声を掛けた。一時は言うことを聞かずに逃げ出したものの、反省して戻ってきて、それからは飛行魔術についても自分の役目をしっかりと果たしてくれた。当然彼女にも非常に感謝している。
「あなたもよ。ありがとう」
エレンがそう言うと、エリザベスは顔を上げて微笑むような仕草を見せた。彼女の目と口は見えないが、それでも彼女は笑っているとエレンには分かる。
別荘に戻ったらエリザベスとちゃんと話そう。エレンはそう決心した。今の彼女ならば気持ちを伝えてくれそうだ。
「じゃあそろそろ戻るか」
「そうね。戻りましょう」
エレンはミヨクの提案に応じた。離陸してから三十分経過している。エレンのミディウムと集中力の消耗を考慮して、この訓練は三十分程度で終了することを計画していた。エレン達は計画通りに着陸しようとした。
「いえ、待って」
しかしエレンはミヨクを止めた。目の前に奇妙なものを見つけたからだ。エレン達と同じ高度で浮遊している。鳥ではない。人の形をした何かだ。全身白色であり、長いスカートを履いているような輪郭をしている。顔は仮面をつけているのか、両目と口の箇所に黒い穴があるだけだ。
「なんだよ……あれ……」
ミヨクが呟く。エレンも同じ気持ちだ。あれはおそらく人間だ。機械らしきものを身に着けておらず、魔法陣が見られないことから、霊能力で浮遊していると考えられる。白い衣服みたいなものは実体化した霊体なのかもしれない。
シルエットを見て、中身は若い女性だとエレンは推察した。そして、そう推察した途端に嫌な予感がよぎる。フォルトナー家の別荘の近くに民家はないはずだ。そもそも魔術的にも霊的にも価値のない田舎に来るような、もの好きな魔術師や霊媒はいないだろう。ならば今の目の前にいる人間として考えられるのは一人だ。
その予感を裏付けるような台詞を、彼女は吐いた。
「その身体は……フォルトナーのものだ」
霊体はフォルトナー実験によって死亡した超低振動霊。そして――。
「リリー……」
霊体を身に纏ったリリーがエレンの前に立ちはだかった。




