6:あんなに怖かった奴隷娘が美少女過ぎて困る
武琉は、翌日には平常通りに戻っていた。
お茶に混ぜられていた、『甘い花』と呼ばれる幻覚剤、平たく言えば麻薬が、彼に意識障害をもたらしていた。
幸いにして摂取量はごく微量だったので、健康には全く影響はない。
4人の救護兵はそれとなく武琉を見ているように申し送られている。
健康上問題が無くとも、精神的なダメージがあるかもしれないというアレンからの指示だった。
昨日の補給部隊によって重傷者は引き取られているので、今残っているのは近く復帰が可能と判断された軽症者だけ。
ぶっちゃけると暇なのだ。もちろん、すべきことは山ほどある。搬入された薬類の整理や受け入れの準備。備品の点検修理と数えればきりがない。
だが、決定的に緊張感が違う。生死をさまようような重傷者がいないのは、病院棟スタッフにとっては精神的に楽なのである。
精力的に洗濯をこなしているタケルとは対照的に、アレンは少し複雑な面持ちだ。
「なんか、タケルに避けられてる気がするんだよねー」
薬草の調合をしながら、それを手伝っていたトーマスに話しかける。
「俺にはいたって普通に見えますけどね?」
「視線に入ったと思ったら、すぐに視界から消えてるんだよ?今日だけで4、5回も続くとさ、気になるよ」
「気にしなくても大丈夫だと思いますよ?そんなに気になるんだったら昼にでも話を聞いてみますけど?」
「大丈夫かな、タケルって年を気にするところがあるからね。トーマス、19でしょ?」
「ああ、そうですね、タケルは確かに年齢を気にしてますね。ティナと同い年って知ってから態度変わりましたし。
でも大丈夫っす。俺もそろそろベテランって呼ばれるくらいになってるわけですし、タケルは言っても新兵以下ですからね」
「うーん。トーマス、やっぱティナに頼むことにするよ」
「えー、軍医殿、酷くないです?そんなに俺って信用ないんすか?」
「いや、トーマスは信用してるけど、昨日の今日だろ?女性に話してもらった方がいいかなって」
「あー。そうっすね。俺もストレートだから、タケルが怖い思いをしたのはわかりますよ。その方がいいかもしれないっすね」
「何、性癖の暴露合戦してるの?」
ジェシカが木箱を抱えてやってきた。
昨日搬入された物資を少しずつ運んでいるようだ。
「魔法薬類は、こっちの要請に比べて著しく少ないですね。他は要求通り届いてるみたいですけど」
「そっか、このご時世じゃ潤沢にって訳にはいかないよね。仕方ない、夜まで待って戦闘がないようなら、地道に作りためるかな」
「軍医殿がいなかったら、助からない人がもっと増えますよね」
トーマスがポツリと言う。
この世界には医療技術と呼べるものが殆どない。大半は魔法と魔法薬で解決できるからだ。
とはいうものの、魔法薬は一般市民が容易に手にできるほど安くはない。
アレンは魔法が無くても治療する手立てを何とかしたいと思っているが、時間も設備もない中ではできることは限られている。
そんなことを思いながら、アレンは笑いながら言った。
「僕はここにいるんですよ?そんな縁起でもない話はやめてください。ジェシカ、ティナを見かけたら呼んでもらえます?頼みたいことがあるので」
黙々とシーツやブランケットを洗っていく。
もちろん、昨日の一件が彼にとって衝撃的すぎたのは事実だ。
クリスティーナにしても、『閣下』にしても、自分の常識にない、いや、知識としては知っていても現実ではあり得ない存在で、それが文字通り自分に触れていたのだ。
今朝も水汲みに井戸に来るのも怖かった。
だけど、それは自分の中で克服できる恐怖であることに気が付いた。事実を受け入れること。
この世界でも自分は非力な一般人に過ぎず、この世界には自分と同じような人たちが沢山いる。クリスティーナもその一人だ。
それでも生き延びると自分は誓ったんだから、立ち止まるわけにはいかない。
だから今、武琉が一番気になっているのはアレンの事だったのだ。
意識が混濁していたが、アレンが自分を助けてくれたことは分かっている。状況を考えればその後に何があったかも想像に難くない。
だからこそ自らの心が自らを責めていた。自分が助かるのに、他の誰かが犠牲になったという事実が重くのしかかっている。良心の呵責。
武琉はアレンと面と向かうのが怖かった。どんな顔をすればいいのか、何て言えばいいのか。
考えても答えが出そうにないし、今できることを精一杯する。それしかないんだ、というのが武琉の出した答えだった。
「タケル、調子はどう?」
不意にティナに声を掛けられた。
手を留めて一度立ち上がり腰を伸ばしながら、ティナに答える。
「ええ、問題ないですよ。麻薬って聞いただけで怖かったですけど、今は全然普通です」
「そか、洗濯も二日目になると、手際が随分とよくなったね。普段は私たちの誰かがしなきゃいけないから、タケルがしてくれるだけでも助かるよ」
「正直に言うと、洗濯なんてしたことなかったんですよ。俺の世界だと洗濯機に洗剤と一緒に入れたら、スイッチオンで終了ですからね。
干すのは自分で干しますけど」
「洗濯機?何それ?」
「ああ、洗濯をしてくれる機械、からくり仕掛けですね。金属製の桶が回転して、洗濯をしてくれるんですよ」
「へー。便利そうだよね。タケルってそれを作れないの?」
「作るのは無理ですね。かなり複雑ですし、俺は理工系じゃないですし」
「リコーケー?」
「えっと、学校で、機械の作り方なんかを専門に学ぶ人たち、かな?」
「んじゃ、それじゃないとして、タケルって何かの専門家なの?」
「専門は…経済とか経営とかです」
「ダメだ、言ってることが分かんない。まあ、タケルが賢いってことは分かったからいいか」
そう言ってティナは武琉の横にしゃがみこんで、洗濯を始める。武琉も洗濯を再開した。
「ねえ、ティナさん、聞いてもいいですか?」
「いいけどさ、ティナさんってのはそろそろやめない?一つ屋根の下、暮らしてる訳だしさ」
「あ、はい、ティナ。わかりました」
「よろしい。で、聞きたいことってなに?」
「えっと・・・アレン先生って、どういう人なんです?」
「どういう人?見たまんまだけど……」
少し考えてからティナは続けた。
「この近辺にいる多分ただ一人のエルフ。エルフにしては妙に人間臭い。エルフの基準からするとかなりの変わり者?」
「ただ一人のエルフ……エルフってこの世界ではどういう存在なんですか?」
「私もエルフに詳しい訳じゃないからね、そんなには知らないけど。
うーん。この世界には生活圏の近い、協力関係にある種族って人間とエルフの他に、ハーフフットとかドワーフとかがいるんだ」
ハーフフット?半分の足ってことは小人か。ドワーフもいるんだ。
「で、人間とハーフフットは比較的近くて、エルフとドワーフは遠い昔は精霊だったって言われてる。
エルフは少数の集団で集落を形成して、一族と呼ばれる単位で生活してるって話だよ。あとは……今は人間が圧倒的に多くて、国なんかを作ってるけど、その昔はエルフが世界を支配してる時代があったらしい。ゴメン、この辺はあんまり詳しくないから。
興味があるなら、軍医殿に直接聞いてみたら?当然詳しいはずだよ」
「そうですね……」
武琉はそこで言葉を濁す。ティナはその様子が少し気になった。
「タケル、もしかして、軍医殿に惚れた?」
笑いながらティナが問いかける。武琉は想像していなかった質問に困惑した。
「そんなわけないじゃないですか。俺は男を好きになるとかないですから」
これは武琉の本心でもある。
「別に男とか、女とか気にしなくてもいいと思うけどね……特にあの人は特殊だからね」
「アレン先生が特殊?」
「うん、間違いなく特殊な人。何て言えばいいのかな、性別を感じさせない?性別って考え方が当てはまらない?そしてそれだけじゃない。
多くの人が軍医殿を好きになる、自然とね。ここの連中も大抵そう。
もちろんさ、いざという時に命を助けてくれるって事もあるけど、それだけじゃないよね。
仮にも軍隊でさ、ふつうの兵隊が医者を助けるために、司令官に刃向かうとか、ないよね。みんなどうかしてる」
ティナは笑いながら言う。
武琉もその点は同感だ。昨日の顛末は聞いていて、その時にそんなことがあるのかと思った。
ティナは続けた。
「ここに12年もいること自体がおかしいし。ああ、その辺はエルフだからなのかな。エルフって1000年くらい生きるって言うし」
その間も武琉は黙々と洗濯を続けた。ティナが洗ったものを受け取って、水ですすいで絞った。
「もしさ、何か思うところがあるんだったら、軍医殿に直接ぶつけてみるといいんじゃないかな?
あの人鈍感なところあるし、たまに抜けてたり、色々と無自覚だったりするけどさ。人の想いを笑ったりは絶対にしない人だから」
ティナはそう言うと立ち上がる。
「さてと。サボってるのがばれる前に、私も仕事に戻るよ。またあとでね」
ティナは言い残して去っていった。
彼女が武琉を気遣い、様子を見に来た事はすぐに分かったし、その気持ちも嬉しかった。
武琉の頭の中をティナの言葉が回り続ける。
彼はそのまま、黙々と洗濯を続けた。
洗濯を終えて病院棟に戻ると、食事の時間だった。
4人のスタッフはいたが、アレンの姿はない。武琉はホッとしている自分を情けなく思った。
「アレン先生は?」
「来客だそうだ。自分の天幕で対応中」
ラルゴがそう答える。
相変わらず簡素過ぎる食事を取りながら、午後の仕事を確認する。
特に急ぎの仕事はないから、薬草を煎じるのを手伝うことになった。
食事が終わり、仕事の準備を始めようかと思っていた時に、不意に声を掛けられた。
「タケル、お願いしたいことがあるから、僕のテントに来て」
武琉は驚いて反射的に立ち上がり、
「分かりました!」
と答えた。
その様子を見ていた4人は、一斉に笑い声をあげる。
「なんでそんなに緊張してんの?鬼軍曹に呼び出された新兵みたいじゃん」
ティナが言う。武琉には、さっきの話の内容を踏まえて彼女は言ってくれたのが分かった。
緊張する必要はない。彼女はそう言っているんだ。
「んじゃ、行ってきます」
そう言って4人の元を離れて、アレンの天幕に向かう。
テントに入り口に立って、一呼吸してから、
「アレン先生、武琉です」
そういうと、「ご苦労さん」とアレンの声が聞こえてくる。
アレンが天幕から出てきた。意外な人物を伴って。
「あ、クリスティーナさん?」
武琉は思わず口に出す。
その声に反応し、クリスティーナはスカートの裾を掴んで優雅に会釈した。
「えっと、司令官閣下から伝言を頼まれているそうだよ」
アレンに促されてクリスティーナが口を開いた。
「主人は、この度はタケル様に不快な思いをさせたことをお詫びしたいと申しております。どうか謝罪をお受け入れ下さい」
そう言って深く頭を下げる。
武琉はこれってどう答えればいいのだろう、と少し困った。
その時、アレンが武琉に言った。
「正直に言って良いと思うよ。『閣下』もちゃんと反省してるみたいだし、許してあげたら?」
武琉的にはことは『未遂』で終わったので、怖かったのは事実でも実害はないし納得は出来る。
だけどアレンはどうなのだろう?今の口調だとあまりに事も無げに言ったように感じられる。
あまり間を作るのは良くない。武琉は意を決して言った。
「はい、謝罪の言葉は確かに受け取りました。ですが怖かったのは事実ですから、今後はこのようなことはしないで欲しいです」
武琉がそう言うのを聞いて、アレンはにこりと笑う。よくできました、を言っているように見える。
「畏まりました。主人にはそのように伝えます」
そう言ってクリスティーナが再び深く礼をする。
「さて、タケル。すまないけどクリスを司令部まで送ってくれないかな?
大丈夫だとは思うけど、普段は出歩かない子だし、見ての通り美人だからね。事故が起きちゃいけない」
「いや、送るのは構いませんが、僕では力不足なのでは?」
アレンの言葉に武琉は即座に返した。ここで言っている事故って、そう言う意味だよね?ここの兵士たちに睨みを利かせるとか、無理だし。
「大丈夫だよ。僕はタケルが適任だと思うから。という訳でお願いね」
アレンがそう言うと、クリスティーナはアレンに向かって、
「それではアレン様、私はこれで失礼いたします。ご配慮ありがとうございます」
「うん、クリス、またね」
アレンはそう言うと武琉に向かって頷く。
武琉にはこれっぽっちも自信はなかったが、自分のボスにそう言われては従うざるを得ない。
覚悟を決めて歩き出す。
小柄なクリスティーナの歩幅を意識して。
横に並ぶクリスティーナから、ふんわりといい匂いが漂う。昨日も思ったが紛れもない美少女だ。しかもメイド服。
正直に言えば昨日はその美貌が恐ろしくもあった。
だが、今日はその恐怖感は皆無。クリスティーナの雰囲気がとても柔らかく感じたのだ。別人と思ってしまうほどに。
メイド服の美少女が砦という閉鎖地域の中を歩いている光景はある明らかに異様だと思う。その辺にいる兵士の視線が集中されるのが分かる。
武琉にはそれがものすごいプレッシャーであった。
自然と汗が流れてきて、口が渇く。
さらには無言で歩いているのが、かなり気まずい。
クリスティーナもこの異様な雰囲気は感じているはずだ。どうすればいい?
……そんなことを考えているうちに、司令部前にたどり着いてしまった。
そう、ここはそんなに大きな空間ではない。病院棟から司令部まで徒歩3分。
「タケル様、ありがとうございます。こちらで大丈夫ですから」
司令部の扉前で、クリスティーナは武琉に会釈して礼を述べた。
「あ、はい。それでは失礼します」
武琉も一礼してそそくさと帰ろうとする。
「あ、タケル様、お待ちください」
クリスティーナの声がそれを呼び止めた。
え?
武琉には予想していなかった展開。反射的に立ち止まってしまったので、今更聞こえないふりは出来ない。
振り返ってから、
「えと、クリスティーナさん、何でしょうか?」
少し鼓動が早くなるのを感じる。武琉は自分でもなんで緊張しているのか分からない。けど緊張している。
昨日の恐怖感ではない事は間違いないと思う。超絶美少女から名前を呼ばれたから、それに武琉は納得した。
「私からもお詫びを申し上げたいのです。昨日は恥ずかし所をお見せいたしました。
また、大変失礼なことを申し上げました。深くお詫び申し上げます」
そう言って深々と頭を下げる。
武琉はその言葉を聞いて思わず赤面した。
昨日の光景が頭の中によみがえる。恥ずかしい所をお見せしました…彼女の唇に包まれた感覚……
いや、そう言う意味じゃないだろ、アホか俺は。そう思うが、はっきりとした映像が頭から離れない。
「い、いえ。自分は気にしていませんから。大丈夫です。失礼します」
そう言って速足に司令部から遠ざかる。
多分後姿を見ているのではないか、とは思ったが、振り返る余裕などない。
少し離れてから、自分の返答が的を射ていないことを反省する。
気にしていませんから大丈夫とか、意味わかんねーし。
でも、そう思ってからでは何と言えばよかったんだろうと思うが、その答えは出てこない。
なんか、情けねえなあ。
武琉は少し落ち込んだ。