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4:絶体絶命、地獄に仏……天使は舞い降りた


 翌日の昼過ぎ、予定通り補給部隊が到着した。

 近隣の町まで、徒歩で3時間くらい。朝出れば昼には着くし、荷下ろしをしてから発っても、夜までには到着できる。

 休暇の許可が出れば、ここにいる兵士たちは街に出るそうだ。

 もっともこの数年は、休暇は取れても外出許可は出ないらしい。理由は逃げる奴が必ず出るからだ、と療養中の兵士が言っていた。


 武琉は午前中に水汲みを終わらせて、午後の洗濯に備えるつもりだった。

 体のあちらこちらが筋肉痛で痛むのだが、不思議と心地よさのようなものも感じる。


「俺、自覚なかったけど、M体質なのかな」


 既に何往復したか数えてなかったが、あと1、2回で、今日の水汲みが終わる。そう思ったときであった。


「そこの男、聞こえないのか!こっちを向いて跪け!」


 不意に怒鳴られた。周囲を見回すと、少し離れたところに身なりが良い鎧の男と、それに付き従う二人の男が見えた。

 二人の男の片方が、こちらに向かって歩いてきている。

 さっきの声の主と思われる。

 武琉には事態が呑み込めない。え、どういうこと?

 そう思いながらそこに立っていた。

 近づいてきた男が、


「聞こえんのか!」


 と怒鳴ったと思うと、膝裏を強く蹴られて、そのまま前のめりに倒れ込む。

 とっさに手を突き、転倒こそしなかったが、意図せずして土下座のポーズになっていた。

 そこにもう一人の男と、身なりの良い鎧の男が近づいてきて、話しかけてきた。


「お前はどこの部隊の所属か?」


 身なりの良い男が武琉に話しかける。

 武琉は少し考えてから、


「病院棟で、助手をしています」


 と、答える。


「救護兵か、顔をあげよ」


 正直言って、むかつく言い方だ。武琉は声の主を見てやろうと顔をあげてにらみつける。

 が、その瞬間に、腹を蹴り上げられた。


「閣下に対して反抗的な態度は許されん!」


 脇にいた男が声を荒げる。

 閣下?そうか、ここのお偉い人ってことか。


「よい、傷はつけるな。まだ若いように見える。ものを知らんのだろう。ワシが直々に世の中のことを教えることにする。連れてまいれ」


 その声と同時にもう一人の男が武琉の脇に立ったかと思うと、二人で腕を押さえて立たされた。

 そして閣下と呼ばれた男の後ろを武琉を引きずるように連れて歩いていく。


「何をするんですか、離して…ぐおっ」


 拳が鳩尾に入る。

 抵抗することもできず、そのまま武琉は引きずられていった。





「先生いるか?!」


 転院前の診察を行っていたアレンのもとに、兵士が一人駆け込んできた。


「なんですか?けが人なら、そこに座って待っててください。すぐに見ますから」


 傷口を留めている小さなクリップを外しながら、アレンは答えた。

 傷口を留めるという治療法は一般的には行われない。普通の療養施設に行けば、雑に外されて傷口を広げかねない。

 最後のクリップを外し、当て布をしてから、


「少しだけ気を付けてくださいね。昨日までよりは傷が開きやすくなっていますから。傷自体は順調に塞がってきてますから、程なく歩けるようになりますよ。

 ティナ、あとはお願いします」


 そう言ってからテントの入り口に立っている兵士に向かって歩きながら聞いた。


「ああ、トカマクでしたか。私はここにいますが、何でしょうか?」


「先生の所の助手、あいつが水汲みしてるところを司令官に連行された」


 アレンの表情が一瞬厳しくなるが、普段の笑顔に戻り兵士に告げた。


「知らせてくれてありがとうございます。あなたの善き行いに感謝します」


 そう言って聖印を切って彼に向かい祈る。

 それから振り返ると、


「ティナ、トーマス。私は司令官のところに行ってきますので、転院の準備は任せます。後を頼みましたよ」


 そう言ってから速足で司令部奥に向かって歩き始めた。


「トーマス!ラルゴとジェシカを大急ぎで呼んできて」


 ティナがトーマスに指示を出す。トーマスも病院棟の天幕から飛び出していった。




 ここに来てから初めて木造建造物に入ったが、周囲を見る余裕はない。

 6畳ほどの小部屋。入り口にはここまで彼を引きずってきた兵士二人が立っている。

 武琉は衣服をすべて剥がされて、手枷をはめられた状態で壁につながれていた。

 たらいのようなものの中に立たされて、メイド服を着た若い女性に体を拭われている。

 金髪の美少女とはこの子のことを言うのだろう。しかもメイド服。少しだけでも状況が違えば天国かと思えたかもしれない。

 だが、武琉の足は小刻みに震えていた。

 彼はこの後に自分に訪れるであろう、事態を予測できたからである。

 メイド服の美少女はタケルと監視の二人の男たちとの間に立ち、武琉を見つめていた。

 武琉はその時に彼女の首に付けられた首輪を目にした。チョーカーとかそう言ったファッションではない。無骨な革製。


―この娘は奴隷なのか―


 知識としては知っているが、実際の奴隷を見るのは初めてだった。

 彼女はにこりと笑って見せる。

 端正な顔が美しく…感じられなかった。

 彼女は口角をあげて笑顔である。写真だったら美しいと感じたかもしれない。

 でも、彼女の眼は全く笑っていない。憎しみすら感じる視線。

 それから彼女はスカートのすそをまくり上げた。

 武琉は意図が全く分からなかったが、次の瞬間に凍り付いた。

 彼女は下着をつけていない。薄く生えた金髪が見えた。

 なんで?どうして?

 その光景に目を離せない、激しく混乱する。


「女を知らない訳じゃないみたいね。童貞じゃないのは、せめてもの救いだと思うわ。

 あなたは奴隷じゃないから、少しだけ我慢すれば自由になれる」


 そう言って彼女はその場に膝をついて、最後の仕事をこなした。

 この状況で興奮できるほど武琉は図太くない。


「うらやましいなぁ。クリスちゃん。俺もしゃぶってくれよ」


 扉前の男が猥雑な笑みを浮かべながら言った。

 クリスと呼ばれた少女は、彼女の口が触れたものをタオルで拭いて、口を拭いながら立ち上がると、男を振り返って、強い口調で言う。


「気安く呼ばないで。私の名前はクリスティーナ。あんたの下種な欲望が叶うことは絶対にないわ」


 凛とした物言いだった。


「扉を開けなさい。準備が出来たのでご主人様にこれを届けるわ」


「奴隷のくせに生意気な口ききやがって!」


 軽口を叩いた男が気色ばむが、もう一人の男がそれを制した。


「やめとけ、それこそ首が飛ぶぞ」


「けっ」


 そう言い残して2箇所にある扉の片方が開かれる。


「来なさい」


 彼女は壁の鎖の端を持って歩きはじめる。

 それに武琉の手は引っ張られて前のめりになるが、足が前に出ない。

 そのまま無様にその場に転がる。


「怖くて足も動かないのね。でも大丈夫よ。すぐに慣れるわ」


 彼女は容赦なく前に進む。

 武琉はそれについて行こうとするが、足が上がらない。

 不格好に四つん這いのまま進むしかなかった。

 裸で恥ずかしいとか、無様だとか、そんなことを思う余裕はない。

 ただひたすらに怖かったのだ。


 数歩進んでから、彼女が言った。


「ご主人様、支度が整いました」


 そう言ってから恭しく一礼する。

 その先には先ほどの『閣下』が椅子に座っていた。

 部屋は明らかに豪華な造りで、中央に大きめのベッドがある。

 彼の私室なのだろう。


「ご苦労だったね、クリス。その男をそこに座らせなさい」


 その声を聞いて彼女は小声で武琉に告げる。


「生きたかったら言うとおりにすることをお進めするわ。立って」


 武琉はその言葉を聞き、震えて力の入らない足で何とか立ち上がろうとするが、立ち上がり切れない。

 もう一度立とうとしたときに、少女は武琉の体を少し支えて、椅子に座らせた。

 それを確認した『閣下』は椅子の脇まで歩いてきた。


「おやおや、そんなに怖いのか?見込んだ通り細くてきれいな体じゃないか。

 可愛いじゃないか。だが、そんなに緊張していたのでは楽しめないよ?なんの心配もないから楽にしなさい。

 ……もっとも、私には他の楽しみ方もあるので、私は困らないがね。クリス、お茶を入れてくれ」


「畏まりました」


 そう言って彼女は部屋を出ていく。

 武琉は全身が小刻みに震えている。激しく感じる嫌悪感が、恐怖をより強めていく。

 寒くもないのに震えが止まらない。自分の顎がガクガクと小刻みに音を立てているのが聞こえる。

 目頭から涙が伝うのが自分でもわかった。なんで泣いているのかが分からない。

 ポンと『閣下』の手が乗せられると、武琉は大きくビクッと体を震わせた。


「まるで女の子みたいじゃないか」


 ドアをノックする音。その音すら武琉には恐怖の対象となった。


「入りなさい」


「失礼します」


 クリスティーナがお茶を淹れて戻ってきた。

 小テーブルが僕の前に運ばれ、その上に茶器が置かれる。

 陶器のポットからカップに注がれる液体は赤い。紅茶のような香りと、少し甘い匂いが部屋に漂う。


「さあ、気分が落ち着くから飲むといい」


 優しくも聞こえるが、有無を言わさない口調で『閣下』が武琉に言う。

 武琉は半ば呆然とした様子で、カップに手を伸ばして掴もうとするが、手にも力が入らない。

 手は震えてカップの取っ手を掴むことが出来ない。


「お飲みなさい。その方があなたのため。楽になれるから」


 武琉の耳元でクリスティーナの小さな声がした。

 助かりたい一心で、カップをつかみ、口元に運ぼうとした瞬間、


 バタン!


 大きな音を立てて、部屋の扉が開かれた。


「司令官閣下に至急の要件で参りました。ご無礼の段は平にご容赦ください」


「軍医殿、困ります。お下がりください」


 背後から二人の兵士が彼を引き留めようとするが、彼はすでに部屋の中。

 兵士たちはそれでもアレンを部屋の外に出そうとするが、アレンはその手を払い、なおも中に進もうとする。


「お前たち、下がりなさい」


 『閣下』は兵士たちに告げる。


「よ、よろしいのですか?」


 動きを止めた二人の兵士が、指示の再確認を求めた。

 『閣下』は少しいらだった様子で、


「そこの神官は私に至急の要件があると言っているのだ。お前たちは下がれ」


「はつ!」


 二人の兵士が部屋を出て扉を閉める。

 アレンは普段の格好ではなく、神官の白いローブを身に付けていた。金糸によるわずかに刺繍が施されただけの、簡素なものであったが、それ故に神々しさを感じさせる。


「で、アレン医官。いや、神官殿とお呼びした方がいいのか?見ての通りこれから個人的に楽しもうと思っているところだ。

 要件は手早く済ませてもらいたい」


 苛立ちを隠さずに『閣下』はアレンに向かっていった。

 その言葉にアレンはベルトを外して腰に下げた剣を脇に置き、跪いてから返答する。


「まずは個人的な時間をお邪魔したことお詫び申し上げます。

 また、発言の機会を賜りました事、御礼申し上げます」


「うむ。謝罪を受け入れよう」


「では、早速ではありますが、至急の要件から。

 そちらにおります男、現在私の庇護下にある一般人でございます。

 申し上げるまでもなく、この砦の指揮権をお持ちなのは閣下でございますが、一般市民に手を出されるのは、

 それも「甘い花」をお使いになったとなれば、お立場上問題にもなるかと」


「なるほど。貴殿が教会にタレこむ、という訳か。だが、貴殿の口を封じることなど造作もなきこと」


「はい、閣下ほどお力があれば造作もないでしょう。ですが、神は見ておられます。閣下のお力が強大であろうと、神の口を封じることは出来ぬかと。

 ……それに、私の口を封じましたら、閣下は絶対に後悔なさるでしょう。3時間もすれば証明できます」


「ほう、ワシを脅すか。綺麗な顔をしてえげつない」


「恐れながら、脅すなどと大それたことは致しません。私は事実だけを述べているのです」


「面白いな。だが気にいらん。一介の神官如きがわしの楽しみを奪えるとでも思っておるのか!」


 『閣下』が語気を荒げる。

 アレンは臆することなく続けた。


「そこでもう一つ。これは私の個人的なお願いです。ですが、閣下の『おたのしみ』に資する話かとも存じます。

 なのですが、申し上げにくいのですが……私にも立場というものがございます。出来ましたら人払いをお願いしたいのですが」


 『閣下』がピクリと眉を動かす。アレンが言う事に察しがついたようだ。


「なるほど、立場か。そのためにも、その男を解放しろと言うのだな?」


「閣下の御英断に感謝申し上げます」


「先に礼を言われては解放せぬ訳にもいくまい。クリス、その男を外まで案内してやれ。そのあとは呼ぶまで控えておれ」


「畏まりました」


 一礼してクリスティーナがひとたび隣の部屋に下がり、シーツを持って再び武琉の脇に向かう。


「閣下、出来ましたら、そちらのお嬢様には戻ってきていただけませんでしょうか?その方が、『おたのしみ』も多かろうと存じます」


「クリス、聞こえたな。その男を放り出したら戻ってまいれ」


「御心のままに」


 そう一礼して手枷の錠を外してから、武琉にシーツを巻き付ける。そしてふらつく武琉を支えながら部屋を出た。


「あなたは本当に運の良い人なのね。こんな時に助けが来るなんて」


 武琉の震えは止まっていた。まだ体に上手く力が入らない。僅かに口にした紅茶の香りが頭の中に残っている感覚があった。

 ふらつく足で私室から階段をゆっくりと下り、司令部脇の通路を抜けて正面にたどり着く。


「私の役目はここまで。正直に言うわ。あなたが憎いくらいに羨ましい。さようなら」


 クリスティーナは門を開けて軽く武琉を押した。

 ふらつく足取りで、数歩外に出ると、背後で扉が閉じた。


「タケル!!」


 ジェシカの声が武琉に届く。だけど、足がふらついて前に進めない。

 倒れそうになったところをジェシカが抱き留めてくれた。


「ティナ!担架!!」


 ティナが畳んだ担架を持って駆け寄り、脇に広げて準備をする。


「足を持って!、行くよ!、1、2、3!!」


 息を合わせて武琉を担架に乗せて、二人で担架を持ち上げて、医療棟に向かう。


「道を開けて!」


 その場にいた数名の男たちの間を抜けて走った。


 病院棟に到着してベッドに担架ごと下ろす。

 担架から片側の竿を抜き、床に転がすと、


「抱えるよ、1、2、3!!」


 ジェシカが武琉を一瞬だけ抱え上げて、ティナが担架を手前に引き抜く。


「外傷なし。骨の異常確認できず」


 ティナがそう言って武琉の体を前に引き寄せる。背中側が少し持ち上がったところをジェシカが確認する。


「背中にも外傷、骨の異常確認できず」


 ティナが武琉の頭側に移動し、ジェシカが腕を取ったまま胸に耳を当てる。


「瞳孔反応正常、眼球に若干充血」


「心音正常、呼吸問題なし。若干鼓動が早いかも」


 二人が顔を見合わせる。


「毒の可能性!」


 ジェシカが言う。ティナはすぐに答えた。


「毒消しの魔法薬(エリクサー)は在庫がないわよ。中和薬なら何種類かあるけど、毒の種類が分からないから使えない」


「全身に毒を示す痕跡はなさそう。少し体温が高めかしら。すぐに命に関わる事は状況から考えてもないと思うけど」


「少し様子を見た方が良さそうね?」


「ええ、そうしましょう」


「あまり時間がないから私たちは転院の準備をしましょう。現場にラルゴが残っているから、何かあれば連絡が来るでしょうし」


「先生がいない間に、何かを滞らせたら、あとで怒られるからね。ここは私たちで乗り切るよ」


 ジェシカの声に、ティナと奥で作業をしていたトーマスが声を揃えて答える。

 ジェシカは最高のチームに恵まれたと思った。






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