第1話
早朝。
美味しい空気を吸い、涼しい風を肌で感じる。
いつも学校に向かうバスでは毎回のように隣になる女の子がいる。その子は偶然隣になってしまった、というより、俺の隣に座りたがっているようにも思えた。――いや、勘違いかもしれないけど。
その子は俺の隣だなんて、申し訳ないほどに美少女だった。
腰まで伸びた銀色の髪。透き通った紫色の瞳。華奢な体躯で腕と脚はすごく細い。白い肌はいつ見ても見惚れてしまうほどだった。
「――こんにちは」
「今は朝だから、おはようじゃない?」
「そうでした、すみません。おはようございます」
少し天然な所も可愛い。
名前なんて恐れ多くて聞けないのだが、制服からして他校だ。
彼女とこうして話すことが俺の日々の楽しみでもあった。
「今日は本、持ってきてないんだな」
いつも彼女は文庫本を手にしていて、話してない時は少し読んだりしている。でも今日は全く読む気配が無い。
「――だって、あなたと話してたほうが楽しいですから」
にっ、と微笑む美少女ことゆずは。
「そういうこと、素で言うなよ」
ゆずはは別に恋愛感情とかそういうのは無いと思うが、そう言われると照れてしまう。
「もうすぐ着くぞ」
「えっ、そんな……。もっとあなたといたかったのに……」
「今日はいつにも増して暴走してないか?」
「バスがですか? 平常運転だと思いますが」
「君が、だよ」
ゆずはは首を傾げながら、先に降りていく。ゆずはの方が目的地が近い為、いつも彼女が先に降りるようになっている。それから何箇所かスポットを通過した後、ようやく学校の最寄りになり、俺はバスを降りる。
――校門を潜る。
まだゆずはから発せられた、仄かな甘い香りが鼻を掠めていた。
「おはよう、黎。今日も相変わらずカッコ悪いね」
教室に着くと、案の定幼馴染に毒を吐かれる。
「おはよう。マジで君には会いたくなかった。あのさ、カッコ悪いって言うなら、具体的にどこがカッコ悪いのか、教えてくれないか」
「えっ、う〜ん……」
こいつ、本当は俺のこと好きだろ。そうやって言い淀むし、俺と話す時だけ顔赤いし。認めたくないけどな。
「次からは自分の発言に責任持て」
「……。浮気してるアンタに言われたくない。もっとちゃんとしなさい」
「浮気……?」
「そうよ。最近、黎から女の匂いがするの。殺していいかしら」
幼馴染はツンデレなのかヤンデレなのか、ハッキリせず、掴みどころの無い女の子だ。
――桐島桐乃。
幼稚園の頃から一緒の俺の幼馴染だ。容姿は整っており、とっても可愛いのだが、見ての通り毒舌で印象最悪だ。
まあ、風に靡く透明感のある茶色い髪は俺でも綺麗だと思うけどな。何度か見惚れたことがある。でもずっと見てると「なに見てんの、変態」と言われるから、なかなか見ることは出来ない。
「あー、それは……」
「心当たりがあるのね」
「あ! HR開始3分前! 席に着け」
「そうやってあからさまに話を逸らそうとするのね。殺す」
「話は昼休みでいいか?」
「そんなことされたら、授業に集中できないじゃない……」
「ごめんな」
俺は強制的に話を切った。
桐乃は眉を下げ、しょんぼりしている。『桐島桐乃の性格を一言で言え』が世界で一番の難問な気がしてならない。
――昼休みになり、桐乃が机をくっつけようとする。そういや、俺に男友達がいないのもこいつのせいか……。否、《《せい》》って言うのは聞こえが悪いからお陰、という事にしておこう。
「黎は友達と食べないの?」
「え、お前が昔、意図的に男を俺から遠ざけてるって言ってなかったっけ?」
「そうだったわね」
あっさり認める桐乃。
否、普通に考えて、それって酷くね? 幼馴染をぼっちに仕向けるとか。
「――嫉妬深い女でごめんなさいね」
「まだ何も言ってないんだが」
「――それで、何でアンタから女の匂いがするわけ? 黎はお姉ちゃんも妹ちゃんもいなかったわよね」
「それなんだが……」
一応、全てを話した。
すると桐乃は物凄く不機嫌になった。
「私もそのバスに同行させてもらってもいいかしら?」
「それはつまり、お前は徒歩で行けるのにわざわざ俺の家まで来て、そこからバスに乗り込むってわけか。めんどくさくないか?」
「アンタの為なら何でもするわよ」
「こわっ!」
「……それでその子は先に降りるのよね?」
「ああ、他校だからな」
「他校は難しいわね」
何が?
「とにかくその子の連絡先でもゲット出来たらいいのだけれど……」
「俺が聞いてこようか?」
「そしたら勘違いされるじゃない」
ダメらしい。
「その子は私より可愛いの?」
「んー、同じくらいかな」
「むー」
頬を膨らませる桐乃。
……どっちも可愛い、じゃダメか?
「――あーん」と言われたので、俺は口を大きく開く。真っ赤なプチトマトがこちらに近づいてくる。
「あげない」
そう告げ、桐乃はプチトマトをパクリ。
「なんでだよ」
「あはは」
桐乃の笑い声が教室内に溶ける。周囲の喧騒も凄くて、二人の存在なんて全然目立ってない。
キーンコーン、カーンコーン。
チャイムが鳴り、昼休みは幕を閉じる。
――あっという間に放課後になり、桐乃と二人で帰路を歩く。
「私、引っ越したい」
唐突に彼女がそう切り出した。
「何でだ?」
「私だって黎と同じバスに乗りたいし、何よりその子がずるい」
「……」
やっぱ、こいつ俺のこと好きじゃん。
「なに顔、赤くしてんの?」
「だって、桐乃が変なこと言うから」
「バカね。私は単純に黎と仲良くしたいだけなんだけど? 恋愛的な意味は全く無いから。勘違いしないで」
「はいはい」
「思ってないでしょ」
すぐに桐乃の家に着く。
「またな」
そう俺が言うと、彼女はひらひらと小さく手を振った。
***
冬のお風呂は気持ちいい。
温かくて全身が生き返るというか。
湯船に浸かり、あの子のことを考える。間違っても、桐乃のことじゃない。バスで出会う《《あの子》》だ。
俺はあの子を意識していた。一緒にいると、ドキドキするし、もっとあの子のことを知りたいと思うし。
連絡先知りたいって桐乃が言っていたが、俺のほうが彼女の連絡先知りたくなった。
「連絡先教えて」と言えば、彼女はどんな反応をするだろうか。赤面してジタバタしてたら、可愛いだろうなあ。
なんて妄想してたら、逆上せてきた。
――風呂から出て、ベッドにダイブする。
俺は遠い昔の初恋を思い出していた。
思い出していたら、瞼が重くなって、そのまま寝てしまった。
だけど、初恋の夢は見なかった。
なんでだろうな。