表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/15

8 確信に満つ

 昼になりきらないうちは、まだ人の足が道を蹴り散らしていないために、埃っぽさはあまりない。

 空気の粒が静かな顔でしんと佇んでいる朝に、闇色のマントは大層目立つ。元よりユアに身を隠そうなんていう気はさらさらないらしく、マントをぴたりと体に巻きつけ、すいよすいよと眠っている。罪を犯したという意識はないらしい。長い睫毛が行儀よく並んでいる。色の薄い、ぽってりとした唇。朝日を受けて白に輝く細い髪が、半ば開いた口のそばに垂れている。

 そのあどけない寝顔をみるにつけ、ゼンの胸は妙に騒ぐ。一夜明けた今だって、老人の悲鳴はゼンの耳にこびりついて離れない――。

「いたい」

 ユアがむっつりとした声をあげる。

「いたいってば」

 今度は言うだけでなくゼンの手を払いなどする。

 そうされて初めて気づいたことに、二人はとうに老人の屋敷を飛び出していた。立っているのは住宅街の外である。結構な距離を走ったのだろう、息があがり、肩が激しく上下している。

 ユアは手首をさすっている。白くて細いユアの手首。常に空腹ではありながら、細々と働き回るゼンとは痩せの種類がちくと違う。不健康そのものの体つきだ。そこにゼンの手形が赤黒く浮き上がっている。みるにまあ痛々しい。

「悪ぃ」

 ゼンは浮ついた声で謝る。荒い息はまだ収まらない。狂ったように跳ねる心臓は、なにも我武者羅に駆け回ったためだけではあるまい。

 そこまで思いだしてから、ふと、心配になってゼンは横たわるユアの口元に手を近づけてみた。湿った息がかかる。だらしなく弛んだ唇の端に、血の跡が残っているのが目に痛い。彼は昨夜、また少なくない量の血を吐いたのだ。そしてそのまま昏々と眠って覚めない。

 ゼンの体がぶるりと震える。寒さのせいではない。昨夜、痛みに絶叫する老人をみつけるユアの目ときたら――いつもと、まるで変わりなかったのだ。笑いながらゼンをみる目と、まるで。青い目は秋晴れの空のように澄みわたり、曇ることがない。それがゼンには恐ろしかった。

 ――こいつは本物の人殺しだ。

 かの老人のように、いずれ消える命ならばと、己の欲望のために使ってやろうと企む“ちょんぼり”の人殺しとは訳が違う。何者かによって殺人の法を教えられ、それでいて死の持つ意味も恐怖はてんで知らず、血の臭いにも怯まない、根っからの人殺し。

 そのとき、ゼンの腹が情けない音をたてた。ぐ、ぐぅ、と本当に切なそうな声で鳴く。

「おい、ちったぁ場の深刻さをわきまえねえか」

 呆れながら腹を叩くと、ぐうう、と再び返事がくる。

 ゼンは一直線の眉を垂れ下げた。仕方ない。恐怖で人はめったに死なないが、空腹では死んじまう。生への執着、そして美味の渇望に、乾杯。


   第八話  確信に満つ


 飯屋は朝から活気に満ち満ちている。食堂よりは割安で、なおかつ量はたっぷりときているから、住み込みでない奉公人やら工人やらでごった返すのだ。騒がしい店内に入っても、小さなゼンは給仕女の目には入らないのか、いや彼女の気を引いたところで「いらっしゃいませ」などとくすぐったいお愛想が向けられることはあるまい。

 どのテーブルも同じ話題で賑わっている。どうやら、隣の港町にそれは素晴らしい貴人が来ているらしいのだ。なんでもローハーに渡る途中だそうで、この朝にも港を発たんという様子らしいが、出発を待つその船団が、これまた目が転がり落ちそうなほどの規模だという。

「なんてったって、おめぇ、ユリーシャとレージャの王様ってんだぜぇ!」

 がらがら声の男が言う。馬鹿野郎、と隣の男がすかさず彼の頭をぽかりとやった。

「ユリシアとレジア、だ。何度言ったら分かんだ、この足りない脳みそはよぅ」

 ぎゃははと下品な笑い声があがる。それに負けじと大きな声で、でっぷりと太った給仕女が「オムライス一丁!」とやった。

 ああいい空気、とゼンはにやついた。屋敷での豪勢な食事は夢のように美味しく、またそのもてなしぶりは後にも先にもない丁寧なものだったが、やはり自分の生きる場所はここにある、とゼンは思う。それからきょろきょろと店内を見回し、カウンターにわずかながら隙間があるのをみつけると、タタンと軽い足取りでそこへ駆けあがった。尻のでかい男が座る椅子の縁に、足を引っ掛けて飛び乗るのだ。千切ったパンをひたすら口に放り込んでいた男は、ぎょっとして手を止めた。

「おい皆! ちょっと聞いとくれ! 身も震えあがる化け鼠との大決戦。立ち向かうは恐れを知らぬ美麗の剣士と、背が高いばかりで生っ白い細身の男。巣穴に飛びこんだ二人を、腹を空かせた獰猛な獣が囲む。さあさ結末やいかに!」

 ぱんぱんと手を叩き、ゼンは大声でがなりたてる。

 聞くに鮮やかな口上ではないか。これには理由があって、一度だけだが、ゼンは旅の雑技団の口上役者をしたことがある。もちろん、一団には専属の口上役者がついているのだが、その時ばかりは性質の悪い熱を出して喉を嗄らしてしまい、急きょゼンに役目が回ってきたというわけだ。呼び込みの芸はその場で習ったのだが、ゼンは元より口がたつ。それもあって雑技団の舞台は客の大入りだったというわけで。

 突然聞こえてきた呼ばわりに、賑やかだった空気が一瞬だけ静まり、視線がゼンに集中したかと思った――のも束の間、ばしりという大きな音が響いてゼンは悲鳴をあげた。

「あんた! そこは御立ち台じゃない、食べ物様が並ぶ場所だよ! さっさと降りな!」

 例の給仕女である。おそらく店主のおかみだろう。カウンターの奥で野菜を炒める店主は枯れ木のように細いというのに、彼女は丸太のように逞しい。その彼女に嫌というほど張られたのだから、ゼンの尻には、きっと手形がくっきりついたに違いない。

「いってぇ! なにしやがる岩女!」

「おや言ったね! もう一発食らいたいかい!」

 五本のかっと開き、おかみはゼンを睨みつける。そう言われてはいどうぞと尻を差し出すのは物好きの仕業。ゼンはさっさとカウンターから飛び降り、体の小ささを生かして溢れる客の合間を縫って逃げ出した。しかし店の外まで行ってしまう訳ではない。せっかく一声ぶったのだ。客の興味はゼンに向けられている。これを手放す謂れはない。

「おい兄ちゃん。なかなか巧い語り口だなぁ。続きも聞かせろよ」

「おうおう。国王様の話よりも面白いならの話だがよぅ!」

 ゼンはするりと男らのテーブルに入りこんだ。おかみはちらと彼をみたようだが、しかしもう追ってはこなかった。口より先に手が出るが、しかし火が消えるのもまた早い。おかみはバレリア国民の典型ともいえる類の女らしい。それになにより忙しいのだ。“小さい”ことに構っていられる余裕はない。

「へへ。面白いに決まってら。ドキドキ、ハラハラ、ワクワク、全部含めて一気にポン、ってなもんよ。聞くだけで尻がソワソワ、やる気も勇気もグイグイ上がる、聞いて損はない冒険譚だわな」

 ゼンは拳を握って力説する。男の好奇心は刺激される一方だ。

「えぇ分かった! おい、おかみ! ここにカレーひとつ!」

「じゃあ俺はビールだ、ビールも一杯この御方に持ってきてやってくれ!」

 ちょっと待った、とゼンは慌てる。

「酒なんかいらねえや。腹の足しにもなりやしねえ。それより――肉団子。肉団子のスープを作ってくれないか、ほうれん草をたっぷり入れてさ」

 ――おれ、この丸っこいの好き!

 ゼンの脳裏をふとよぎる記憶。老人の屋敷で御馳走をふるまわれた際、嬉々としてスプーンで皿を叩くユアの言葉である。きんきんという耳障りな音に顔をしかめて見てみると、“丸っこいの”というのはどうやら肉団子らしい。厚いステーキや新鮮な魚に比べるといささか見劣りするスープだったが、ユアはにこにことそればかり食べていたっけ。


 ユアを置いていくことなど簡単にできたはずだ。なにしろ彼は眠りこけている。ゼンが飯屋からそのまま帰らず、ふいと足を別の道に向けたところで気づかなかっただろう。なのにゼンは戻った。木の陰に隠すように引っぱっていったユアの元に、すっかり湯気の消えたスープの皿を抱えて。

 俺もつくづく馬鹿だなあ、とゼンは呟く。うっすら感じてはいたけれど、俺って案外お人好しなのかね、と。

 ユアが普通の――つまり、ごく一般的な生活をしているということ。朝起き、まっとうな仕事をして夜眠る、という――人間でないことは分かっている。気高く美しい精霊たち、ゼンと化け鼠の間に一瞬で割って入る身のこなし、それに戦慄の悲鳴にも動じないあの不敵さ。

 もしかすると、彼は暗殺を稼業とする者なのかもしれない。人を殺せと教えられ、下される命令の是非を疑いもしない、それは非情で忠実な。

 そうと考えれば説明がつく。なぜ、ローハーを追われたのか。それに、彼が言っていた「悪いことをしたから」受けたという呪いの罰。血を吐くほどに恐ろしい呪いだ、そうそうのことで与えられる罰ではあるまい。だが、彼がした“悪いこと”が、決して犯してはならない殺人だったとしたら。命令に従わなくなったから国を追い出されたのだとしたら。たくさんの疑問がぴんと音をたてて繋がる。あの圧倒的な力も、食堂の店主の凄みも恐れなかった気楽さも、すべてはおぞましい修羅場を知っているからこそではないのか? そんな生を送ってきたからではないのか?

 だとしたら、とゼンは考える。

 あいつはきっと――俺も殺す。きっかけさえあれば。


 ユアはどうやら目を覚ましたらしい。寝ころびながら、肘をついて上半身だけを起こしている。木のがわを向いているから顔はみえない。ゼンは小さくため息をつく。普通じゃないと分かっているのに、彼の異常を恐れているのに、どうしてこう戻ってきちまうかねぇ。

「おい」

 呼びかけると、ユアは矢のような勢いでふり向いた。いつものあの、どこか抜けたような動きとはまるで別物である。ゼンはちょっと怯んだ。

 ユアは恐ろしく張り詰めた顔をしていた。小さく揺れる目を見開き、唇を噛みしめて。

「め、飯だけど……」

 ゼンはすっかり気押されてしまう。勝手に作り上げた暗殺者としてのユアの像が、しだいにくっきりと輪郭を現していく。が、次の瞬間、ユアは崩れるようにふにゃりと笑った。それだけでゼンの恐怖は蕩けてしまう。

「どこに行っちゃったかと思った」

 鈴のような声だ。いつの間にか止まっていた足を、ゼンは再び前に進める。

「……飯を調達してたんだよ。ほら、あんたの分」

「うわっ、丸っこいのだ」

 手放しに喜ぶユアは、子犬のように無垢だ。しかし、嬉しそうに綻ぶのと同じ口が、昨夜は呪いの言葉を叫んでいたのだ。いけないいけない、悪いやつ殺せ。ゼンはもう一度体を震わせた。それに気づいたのか、ユアが皿から顔を上げた。そして肉団子を頬張ったままの口で、にっこりと笑ってみせたのだ。

 ――あんた、一体何者なわけ。

 喉まで出かかった疑問は、そのまま呑みこむことにした。答えを聞くのが怖かったのだ。仮にユアが「おれは人殺しです」と認めたところで、ではさようならと逃げられるか? ――いや、とゼンは首を振る。できない、できそうにない。こんなにもか弱く、世間を知らず、先の命の短さを思わせる少年を、ひとりで放っておける訳がない。目を離せばゲボリと血を吐くのだ。それに何より、彼は命の恩人である。

 ユアはきっと、俺を殺す。きっかけさえ与えれば。

 やはり躊躇いなく、もしかすると、唇に薄い笑みさえ浮かべて。

 ――それは駄目だ。

 ゼンはぎゅっと口を引き締める。それは駄目だ、絶対に。人を殺しちゃいけない。ユアを、このままにしておいてはいけない。

 その時、遠くの方から、高々と吹き鳴らされる笛の音が聞こえてきた。鼓膜を突き刺す高い音に、ゼンは思わず耳を塞いだ。ユアは持っていた木のスプーンを取り落とす。これがスープの入った皿でなくてよかった、とゼンは思う。身ぶり手ぶりの大演説で手に入れた食事だ。もし彼がこぼそうものなら、昨夜の恐ろしい出来事など忘れ、その頭に拳骨を見舞っていたかもしれない。

 ゼンにはちょっとした甘い考えがあった。こいつは、ユアは、どうやら俺に少しばかり懐いているらしい。あの老人のように明らかな害意さえみせなければ、俺には手を出さないかもしれない。そんな考えがあったから、ゼンはここに戻ってきたともいえる。人懐っこい笑みを向けられると、この少年も自分にとっては脅威でないと思ってしまうのだ。やはり、彼は過ぎたお人好しであった。


 さてどうしよう、と町をぶらつきながら考える。朝餉は食った。で、昼餉はどうする?

 四六時中食事のことを考えなければならないのが日暮らしの性だ。ある時は飯をかっ込みながら、もう次の飯はどうと考えなければならない。常に飢えと背中合わせの生活なのだ。

 隣を歩くユアは暢気なものだ。どうやら癖らしい鼻歌をうたいながら、通りすぎる人をちらちら窺いなどしている。雑踏が珍しいのか、どうも先ほどから落ちつかない。

「よう、ユア」

「うん?」

「あんた、体は平気かよ。その、血を吐いたりとかはさ」

 ユアはからりと笑う。

「今はへーき」

「本当かよ」

「うん。分かるの」

 午時ひるどきの商店街は賑やかだ。誰もが目的をもって歩いている。ぶらぶらと当てもない風でいるのは、ゼンたち“なんでも屋”くらいのものだ。彼らは滅多に自分から動かない。飢えが募ればそうもするだろうが、こちらから声をかければ、どうしても足元を見られがちになる。多少の差にみえるが、声を掛けるのと掛けられるのでは、その後の展開に大きな違いが出てくるのだ。長い日暮らし生活のお蔭で、その辺りの知識は豊富なゼンである。

 時々耳に飛びこんでくる噂話を聞いてみると、どうやら先ほどの大音響、かの貴人率いる船団があげた、出発の合図であるという。あれは敬弔の訪いではないか、と推測する知識人がいた。どの船も黒の旗を掲げていたらしいのだ。それを聞くとゼンの大きな鼻がひくひく動いた。ほう、儲け話のにおいがする。

「おうおう、あんたの言うとおり、ありゃ敬弔でローハーに向かう船だよ。あんた、よく分かったねぇ」

 ちんちくりんの坊主にあんた呼ばわりされた男は、幾分むっとした様子である。しかしゼンの口ぶりには気になる部分があったらしい。引っぱられるようにして向き直る。

「その言いようだと、おまえさん、せんにそのことを知っていたらしいね。その上、あたしよりもちっとばかし詳しいことだって御存知のようだが」

「知ってるともさ。俺はね、ローハーの誰が死んじまったかってのも知ってるよ」

「そりゃ、あたしにだって察しはつくさ。大方皇帝さんだろうよ。あれだけの大船団だ、そうじゃなきゃ割に合わない」

 男が着るゆったりとしたローブは、この国の学者が好む衣服だ。ゼンはにやりと笑みを浮かべる。人間というのは、これがどうして、賢ければ賢いほど知識に貪欲であるらしい。これは釣れたも同然の獲物である。

「そうそう、皇帝さ。あんた流石だ、切れる頭をお持ちのようだね」

 学者風情の眉間が曇る。なんだ、この少年は。みたところ薄汚い乞食のようだが、これでなかなかローハーについて詳しいらしい。

 ゼンは知る由もないが、この男、ローハーを長年調べている学者である。しかし、探し歩けど見つけられる事実など知れたもので、精々が百隻戦争の断片的な記録くらいのものだ。“秘鑰の国”とはよく言った二つ名である。闇に包まれたかの国は、このエルヴァニア世界を揺るがす鍵を握っているような気がしてならない。謎に惹かれるのが学者の性分。そういう理由で、ローハーを研究材料とする学者は多い。この男もそのうちの一人だ。

「俺はね」

 と、ゼンは声を潜めた。つられる男は顔を近づける。ユアまで迫ってきたものだから邪魔で仕方ない。ゼンは彼の頭をぐいと後ろに押しやった。

「ローハーにちょっとした……知り合いがいる」

「なんと!」

 ゼンのにやり笑いが深みを増す。ユアが余計なことを言わないよう、その胸をしっかと押しとどめながら、ゼンは止めの一言を放った。

「へへ。秘密だよ、旦那。その知り合いから聞いた話、あんたにだけは教えてやってもいいぜ」

 かくしてゼンは昼餉の獲得に成功したのである。


「おい、いいな」

 押し殺した声で言うと、やはりユアはいつもの「うん?」である。

「この先、あんたは何も言うなよ。全部俺に任せておけばいい。分かったか?」

「なにも言わない」

「そう。にこにこ飯を食ってりゃいい。了解?」

「りょーかい」

 二人は男の家に招かれた。どうあっても他人に聞かれたくない、という男の申し出のためである。万が一同志に聞かれることがあってはとの思いからだろう。ゼンとしては食事にありつけさえすればいいのだが。

 屋敷とまではいかずとも、割かし大きな家である。そうもあろう。勉学はゆとりのある者が興じる娯楽のようなものだ。ゼンなど学校に行った例がない。

 もう一度小声で、黙ってろよ、とユアに念を押してから、ゼンは大芝居をぶち始めた。つまり、嘘八百を並べたわけだ。

 ユアから得られた知識など僅かなもの。元より彼に頼るつもりなどなかった。皇帝の名前がレザフということだけは事実だが、それ以外はてんで口から出まかせだ。しかし手八丁口八丁のゼンが喋ると、これが確からしく聞こえるのだから恐れ入る。学者はほうほうと頷き、目を好奇心に輝かせて聞き入るから、ゼンとしても真実を話している気になってくる。それで余計に弁が立つ。ユアはただ、おとなしく言いつけを守ってにこにこしていた。

「それでな、このレザフ皇帝、散々悪事を働いた末に御臨終ときたわけだが、これがただの死に方じゃねぇのよ」

「ほう。どんな」

 話の真偽など確かめようもないのだ。どうせなら華々しくて話題性のある嘘をと、ゼンはことさらに息まいた。

「これがね、なんと暗殺だったわけ。夜の内に――ぐさりよ」

 学者は息を呑んで唇を噛む。

「それも酷い殺され方だったらしくてね。骨は折られるわ肉は裂かれるわ、そりゃ目も当てられないあり様だったらしいよ。おまけに恐ろしいのは、レザフを殺したのは彼の懐刀の――」

 そこまで一気にまくしたてると、ゼンはぴたと口を閉ざした。学者は一声も漏らさずにその続きを待つ。

 黙りこんだゼンの心臓が、とくりと渇いた音をたてた。適当にでっち上げた話だったが、いやまてよ、と心が制止をかける。何か、何かが強く引っかかる。記憶が、ユアの言葉が蘇る。

 ――呪い。

 ゼンはごくりと唾を飲む。温い汗が頬を伝うのを感じる。

 ――罰なの。おれ、悪いことしたから。

 “悪いこと”。

 ゼンは心の中で呟いた。

 ――おまけに恐ろしいのは、レザフを殺したのは彼の懐刀の――ユア=A=フロイアント。皇帝殺しの禁忌を犯したかの少年は、呪いの罰をその身に受けて……。

 欠けて離れた取っ手とカップが、ぴたりと合わさったかのような感覚。ゼンの中で、なにかが確実に繋がった瞬間だった。溜飲が下がる――いや、そんな清々しいものではない。むしろ、余計胸が騒いで落ち着かない……これは。

 もう一度唾を飲みこみ、パンを咀嚼するユアに目を向ける。ゼンの視線にも気づかず、ユアはコーンの粒を執拗に追い回している。たどたどしい扱いのユアのフォークは、鮮やかな黄色をしたその粒を、うまく捉えてやることができない。

 なんなのだ、あまり勿体ぶるなと先をねだる男の声が、ゼンには随分遠くに聞こえた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ