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3 狂った常人

 結果として、戴冠式の方針に慎ましさを選んだのは正解だったと言える。

 ローハーの歴史上、これほどしめやかな儀式典礼があっただろうか。飾りつけは極限にまで抑えられ、皇城の織物はすべて黒に取り換えられた。その質がいいことに変わりはないが、それでも普段のような豪奢ぶりは随分と息をひそめてみえる。あくまで亡き先帝を尊ぶ考えは、多くの臣民の涙を誘い、大臣らをして唸らせた。

 饗される調べもまた格別に素朴であった。なんと笛の音一本の演奏だったのだ。さすがにこれは意気消沈、と眉をひそめる大臣もいたが、これも概ね好意的に受け止められた。これは皇后――いや、いまとなっては皇太后か――の過ぎた放蕩ぶりに、ここ最近非難が集まっていたためでもある。新たに起った若き皇帝、グレイスのこの姿勢は、臣民たちの不満を解消してなお余った。その点でも、やはり選択に間違いはなかったのだ。

 こうして、新皇帝は掲げられた臣民の諸手に迎えられることになった。まだ三十路の域にも届かない若者が、それも皇一族とは血の繋がりがないにも関わらず、こうして起ったことを考えてみると、例外のない好調な滑り出しである。

 血縁。グレイスの足場のうち、もっとも脆い部分のひとつだ。しかし血統派がこれを大声に攻撃できずにいたのは、偏に先帝レザフのためだ。彼はグレイスを実子と同等、いやそれ以上に掛けがえない存在であると、ことあるたびに言ってきた。血の繋がりだと? 馬鹿らしい。余とグレイスとは、より濃く真義で交わっているのだ、と。小さな島国ローハーで、皇帝の言葉ほど絶対の力を持つものはない。

 緑雲の林を抱く庭園には臣民がひしめいている。その先のほう、皇一族の始祖が書き残したと伝えられる書物の数に習い、一〇一段ある石段の上にも、人が黒々と集まっているのがみえる。グレイスが露台に姿を現すと、それが一様に湧きあがった。身が竦むほどの歓声である。

青冥せいめい! 青冥皇嗣!」

 口々に叫ばれるこれはグレイスの愛称である。彼の瞳が青空の色をしており、またその明晰な頭脳は名剣のように切れることからつけられた。清流のような響きのこれを、先帝もいたく気にいっており、よくグレイスをこう呼んだものだ。もっとも、これからは青冥皇帝となるわけだが。

 グレイスの瞳はここにきて初めて揺れた。皇城は灰でしかなくとも、臣民の生きる城下町は彼にとって色鮮やかな花畑なのだ。臣民はそこを舞う蝶だ。彼らの幸せを守ることが、グレイスに残された唯一の生き甲斐であり役目であった。皮肉にも、グレイスが粉骨を尽くして叶えようとする臣民らの夢が、彼の忌む贅沢まみれの皇城のうちにあることを、若い彼はまだ知らない。


   第三話  狂った常人


 嬉々とした声に包まれていても、脳裏をちらつくのは別れ際にニンフがみせた笑顔ばかりだ。豪放で痛快な笑顔だった。二十余年前、グレイスがこの上ないわがままを畳みかけ、死刑を目前にしたニンフと面会したときにも、彼はあの笑顔をグレイスにみせなかったか。

「さて。すこしばかり女の力を借りねばなりませぬ」

 昨夜のことだ。グレイスはニンフの言葉に眉をひそめた。いったいなにを言いだすのか。

「女と申しましてもこの世の者ではございません」

 まるで謎かけだ。

「精霊か」

「さようにございます」

 頷きニンフは口早になにかを呟いた。吐息の掠れに混じってしまいそうに小さな声だ。しかしそれがもたらす結果ときたら。

 凪いだ空に風を吹かせ、枯れた土地に雨を降らすのが精霊の業だ。このときも、お決まりの季節風すらすっかり逆に流してしまうほどに、風の精霊ウィンディーネは強大な力をみせつけた。彼女はニンフの召喚に従って白の世界からやってきたのだ。ただ姿を現すだけでこの様だ。いつもながら、彼女ら精霊のもつ力には恐れ入らされる。

 ウィンディーネは褐色の肌に白い髪をしている。青碧の瞳、細い首筋、白い薄絹に涼やかな装身具。これらすべてを一纏めに言い表す単語があるとすればこれだ。――美しい。

 精霊はどれも女の姿をしている。どうしてなのか分からないし、知る由もないだろうが、彼女らは皆一様に美しい。しかしそれにも階級があるのだ。精霊の世界にも階級か、と魔法の講義を受けてグレイスは内心ため息をついたが、ただ人間のそれとは違ってわりと自由なものらしい。どうもころころと変わるようなのだ。彼女らの言う階級とは即ち力の強さ、彼女らを使役する魔導師の力量を示す値にすぎない。これが高まると身の輝きやら髪の長さ、装身具の美麗さまで変わってくる。やはりどうしてなのかは分からない。しかし、そういう階級ならば悪くない、とグレイスは思うのだ。言わば己の鏡である。ローハーで威張る階級のように、それで行動の範囲を規定などする馬鹿げたものとはまるで違う。

 ――皇嗣にはお変わりなく。今日も優美でおられますこと。

 ウィンディーネは恭しく頭をさげる。まるで人間のような口の利きようではないか。彼女が浮いてさえいなければ、どこの美人かと思ってしまうほどな自然さである。グレイスはわずかに頷いてみせた。それからニンフに向き直る。

「それで、ウィンディーネになにをさせると言うのだ」

「遁走の手引きを。……こちら」

 懐に入れ、なにやらごそごそとまさぐっていた手を取り出すと、ニンフは小さな紙包みをつまんでいた。よくみると粉が包まれているようだ。

「眠り薬です。こそりと調合しました。いつかお役にたつときもあるかと思い、煎じた多くの薬のひとつでございます」

 グレイスは呆れて口を開けた。ときどき、小僧の使いのようなことをさせられると思っていたら、こんなものを作っていたのか、あの小部屋で。まったく、この老人は底知れない。

「まさか毒など煎じておらぬだろうな」

 ニンフはちょっとばかり肩をすくめる。

「ニンフ」

 尖った肩がさらに跳ねる。いたずらを咎められた悪童のようだ。

「煎じました、煎じました」

 観念したのかニンフが吐いて、グレイスは大きなため息をつくはめになる。なんという奴。誰に服させるつもりであったか。呆れ半ばにそう問うと、ニンフは意外にも真面目な顔をした。

「毒と薬は表裏一体。なにも悪事にばかり働くというわけではございません」

「馬鹿を申せ。それは原料のうちの話。ひとたび毒として調合されれば、二度と薬にはなり得まい」

「では、ユアはこのまま処刑なされませ」

 ウィンディーネが吹かせたわけでもないのに、強い風がびゅうとグレイスの髪を揺らした。

「なぜ」

「彼は毒です」

 グレイスの口内はあっという間に渇いてしまう。先ほどまでのおどけはどこへやら、ニンフの瞳は鋭い。

 毒という言葉が頭を巡る。ユアは毒。皇一族のために調合された、人を殺めるに躊躇いをもたない生きた兵器。

「逃げるとなれば行き先はバレリア。人の多い国です、特に港町などは。もしそこでユアが毒を吐けばどうなります。――惨状です。たくさんの命が奪われましょう」

 グレイスは言い返すこともできない。正論だ。

「私のような魔導師の端くれ、とてもユアを止めることなどできますまい。彼が一度でも怒気を発すれば」

「しかし彼の命は限られている」

 かろうじてニンフの言葉を遮るも、形勢はいっかな動く気配がない。魂吸いの呪いですな、とニンフは言った。グレイスは首だけで頷く。

「皇帝に叛けばそうなりましょう。生きてひと月の命。苦痛の一ヶ月でしょうな」

 すっかり黙ってしまった皇嗣を、ウィンディーネが心配そうに見守っている。しばらくの間を置いてから、ニンフは静かに言葉を続けた。

「……しかし、やはり私は行きましょう」

 グレイスがゆっくりと顔をあげる。

「あなた様は私の命だ。あなた様の苦渋と、見ず知らずの人間の命。比べられるものではございませんが、それでもあなた様を選んでしまうのは、逃れられぬ私の傲というものでしょう」

「ニンフ」

「頼む」

 最後の一言はウィンディーネに向けたものだ。ニンフの命令を受け、風の精霊はまたたく間に姿を消した。もちろん、例の薬包も忘れない。

 十のつく日の秘めごとのために、空が白むまでは、何人たりとも皇帝の寝室には近づけない。ただグレイスひとりを除いては。これは好都合だった。今宵、この階に警衛の兵はいない。その分上下の階を固めている。二階下まで降りてしまえば、あとは裏庭の切戸につづく隠れ道があるのをふたりは知っている。このニンフこそが作った道なのだ。彼が雷の叱責を降らせる前に、幼い皇嗣を遊びにお誘いしようとして。つまり、ふたつの階を下りてしまえばこちらのものということ。

 眠り薬をウィンディーネに運ばせるというニンフの計略は、見事にうまく働いた。警衛の兵士たちは、どれも謹直な男たちであったが、薬の誘惑には敵わない。崩れるように眠ってしまった中を、皇嗣と元死人が駆けぬける。あとに続くウィンディーネは、この逃走劇をどこか楽しんでいるようだった。

「ユアの居所に御心当たりはございますので? あれが勝手に動いたとなれば、彼の教育係も無事ではおりますまい」

 隠れ道を半ば滑りながらニンフが問う。闇の中だったがグレイスは頷いた。

「ああ。ひとつだけある」


 はたしてユアはそこにいた。海のみえる木、その頂辺に。

 グレイスがこうも彼に近づいたのは、これが初めてのことだ。グレイスの強靭な心臓も、このときばかりは激しく鼓動した。

 階級こそ“A”を戴いているものの、ユアは穢れた身の少年だ。皇一族の目に触れることなどあってはならない。しかし、それでもグレイスは一度だけユアの姿をみかけたことがある。会食に向かう回廊の途中で、ふと目をやった木の上にユアがくつろいでいたのだ。初めてみたにも関わらず、そのとき、グレイスには彼が噂の魂食らいであると分かった。グレイスがみている内に、厳つがましい男がばらばらと木に走っていき、木上の彼を引きずりおろして連行してしまったからだ。彼のローブが緑のことから、彼が皇城での自由を許された上五位内の階級にあるのは明白である。それでいてこの仕打ちとくれば、冴える頭脳が導く答えはひとつしかなかった。彼こそがユア=A=フロイアント、哀れにも情を奪われた暗殺者なのだ、と。

「あれが」

 呟くようなニンフの声で、グレイスははっと我に返った。

「魂食らい。初めて目にします」

 たしかユアの歳は十九ということだ。彼が生まれたのは、グレイスひとりを残してニンフが外界との関わりの一切を断った後ということになる。

 改めてユアに意識を戻し、グレイスは気づいた。――歌っている。ウィンディーネはもう姿を消しており、風は自然に吹くばかりだが、それに混じって鼻歌が聞こえてくる。ユアだ。ユアが歌っている。知らず、グレイスの足が半歩下がった。

「ユア=A=フロイアント」

 震えのない声でニンフが言う。さすがはかつて難癖ある大臣らを束ねた大人たいじんである。

 調子はずれの鼻歌がやむ。葉がこすれて音をたて、どうやらユアはこちらを窺っているようだ。

「だれ?」

「ローハー国第一皇子、グレイス=E=ロウ様であらせられる。降りてこい」

 うおっという素っとん狂な声とともに、大木の枝がひときわ大きく揺れる。葉とともに落ちてきた影があった。ユアである。音のない、しなやかな着地。

「うあ」

 ユアは心もち首をかしげ、無遠慮にもグレイスの顔をしげしげと眺めた。

「皇嗣だ。ほんもの」

「無礼な――」

「よい」

 いきり立つニンフを制し、グレイスは一歩前に出る。その荘厳さ。かのニンフが言葉も出せず、惚けたようにその面を見守るほどだ。

「ユア=A=フロイアント」

「うん?」

 もはや確認するまでもないが、と心の中でつけ足してから、

「皇帝を弑したのはおまえか」

「しーした」

 まるで不格好な発音に、グレイスは思わずため息をついた。そしてそのことに驚いた。たとえニンフの前といえども、一人のとき以外でこれほど明け透けなため息をつくのは今までになかったことだ。

 グレイスはかぶりを振る。まるで無知なこの少年の前で、皇嗣の威厳をふりかざしたとて何になろう。そして先ほどまでとは打って変わった口ぶりでユアに語りかけた。

「ユア。皇帝を殺したのはおまえか」

 ニンフは目を丸くする。グレイスのこれほど自然な姿をみるのは初めてである。対するユアは無頓着に、こうてい、とおうむ返しに呟きなどしている。

「レザフだ。レザフ皇帝。……殺したのか」

 あっ、とユアは声をあげた。それから遥か星のあたりをみていた目をグレイスに向けて、

「うん」

 これだ。あっけらかんとしたこの調子。きっと平生とまるで変わりないのだろう。腹は減ったか? うん。そんなやり取りにすら聞こえる。やはり噂どおりなのだ。ユアは、人を殺すことになんの抵抗も感じない。狂人よりもずっといかれた“常人”なのだ。常人と言うのは、少なくともユア自身だけはそう思っているという点で。

 ニンフの顔が強張るのが分かる。グレイス自身もかつてない恐怖に震えている。しかし、それでもこの少年の前から逃げ出したいとは思わなかった。奇態なことだ。涙のない暗殺者と、むしろもっと言葉を交わしたいと思っている。

「グレイス様」

 ニンフに押しとどめられて気を取り直す。グレイスはまた足を一歩踏み出していたようで、ニンフはこれ以上ユアに近づくのは危険だというのだ。グレイスは頷き、再び足を戻した。代わりにニンフが前に出る。

「ユア=A=フロイアント。きさまの負う罪は重い。本来ならば即刻死罪となるところ、グレイス様には、特別な恩をもってこれを逃がせと仰せられる。罰は呪いで足りるとのこと。よってかく言うニンフが共連れとなり、夜のうちにバレリアへ逐電という次第。あり難く受けよ」

 ユアはいっそう首を捻るばかりだ。ニンフも元より彼に言い聞かせるつもりなどあるまい。役人としての立派な口上。グレイスに向けた、あまり素直でない別れの挨拶なのだ。グレイスもそれを分かっている。だから、朗々と涼しい彼の弁にじっと耳を傾けている……。

 晴れやかな顔でグレイスをふり仰ぐと、ニンフは最高礼の形をとった。ユアも慌ててそれに習う。どうやらこれだけはしっかりと躾けられているらしい。グレイスはぐっと顔に力をこめた。こうでもしないと妙な具合に緩んでしまいそうになるのだ。

 薄くなったニンフの頭髪。かつては届きそうにもなかった頭が、いま、皺で縮んで目の前に深く垂らされている。二十年分の思いがどっとグレイスに押し寄せる。グレイスはゆっくりと、言葉にできない――きっとしてはならないのだ――感情をこめて、ニンフの頭上を手刀で払った。同じようにしてユアの頭上も。ユアにはおそらく一度限りの返礼だ。こちらにも深い思いが湧く。心が動くことだけは、どう意識しても止められないものなのだ。

「馬を連れていくがいい。好きなものを選べ。私にしてやれるのはそれくらいのものだ」

「十分でございます」

 言いながらニンフは持っていたマントをユアに被せた。夜の闇によく紛れる色のマントだ。

「おまえは警衛上がりの大臣だったな。厩番にも門番にも、きっと見知った顔がいよう」

「ええ。彼らはきっと驚きましょう。幽霊と魂食らい。おとなしく道を譲らぬ訳がありませんな」

「この期に及んでまだ軽口とは。私が言うのは穏便に行けということだ。知己相手におまえの舌を振るえば無理な話でもあるまい」

 ニンフはからからと笑う。ユアはひとり蚊帳の外だ。グレイスとニンフの顔を交互にみやってばかりいる。

「御安心を。心得ております。それよりも心配なのはあなた様だ。眠り薬はそう長く効く代物ではありません。さ、御戻りを」

 グレイスは頷く。しかし足が動かない。なんの話、とまるで状況にそぐわない調子で、ユアが歌うように割って入った。あの厳めしさはどこへいったか、ニンフはすっかり祖父のような顔をしている。おまえの恩人様に御別れを言うのだよ、などと優しく声をかけなどもする。そうかと思えばさっとグレイスに向き直り、お早く、と口を尖らせて急きたてるのだ。それでもグレイスが動きかねていると、ニンフは腰に手を当てて踏ん張った。仁王立ちというやつである。

「そのようなことで、国の長を勤められると御思いですか。老人に少年ひとり、さっさと見送られずにどうなさる。あなたはローハー臣民全員の希望なのですぞ!」

 声をひそめてはいるものの、その勢いは昔そのままだ。ああ、とグレイスは息を漏らす。胸を温かいものが満たしていく。

「さすがは鬼人ニンフの一喝。不肖の身も引き締まる」

 グレイス精いっぱいの茶目っけだ。ニンフは顔中で笑った。そして次の瞬間にはそれを一層引き締めた。グレイスも皇一族の顔つきに戻る。

「では」

「うむ」

 呆気ないほど短い会話である。それを機にふたりはそれぞれに踵を返す。ふり返りはしない。ニンフに促されながら、しかしユアはぐずぐずとごねているらしい。なんなの、とニンフに訊ねる声がする。訳がさっぱり分からないのだろう。

 グレイスは大股に歩いた。どれほど気を張り詰めていたのか、ふと我に返れば自室の前というあり様である。帰りの道はどうだったのか、頭を捻ってもてんで思いだせそうにない。しかし城の静けさをみると、どうやらこちらもニンフたちも、うまく事を運べたようだ。

 回廊から空を見あげる。上階の兵士にみつかってはと、すぐに陰へと引っこんだが、丸い月が夜闇に浮かんでいるのがみえた。雲はしばらくお出かけらしい。

 美しい月だ。

 逃げるふたりの足元を少しでも照らしてくれたなら、とグレイスは願う。十の指を組み合わせ、月に向かってひたすらに。


義兄様あにさま

 まだどこか幼い声に、グレイスはぶるりと身を震わせる。

 どうやら汗をかいているらしい。吹きつける風がいやに冷たい。心配そうにこちらを覗きこむのは血の繋がらない弟、ヤマだ。母親に似た目鼻立ちをしていて、顔の輪郭がもう少し引き締まっていれば、もっと匂いたつ若者だろうにと陰口をたたく者がいる。見目優れたグレイスを引き合いに出し、どちらがどうと論じる者さえいるのだ。しかしグレイスには彼がどうあっても可愛い義弟だ。彼の実母ダレスとは違い、ヤマはよくグレイスに懐いている。血筋や継承のあれこれを全く抜きに、ただ純粋にグレイスを尊敬しているのだ。それだから彼を排そうとする母の気持ちがどうも窺い知れないらしく、グレイスに向けるのは多くが困惑したような笑みだ。優しいばかりが取り柄の少年である。

「御顔色が悪いようです。人の熱気に中てられましたか」

 汗をつまみ、グレイスはにこと笑った。

「大丈夫だ。心配には及ばぬ」

「そうでしょうか」

 浮かない顔を崩せないヤマの、やや丸い肩をグレイスはぽんと撫でる。それをみた臣民はわっと再び湧きあがった。すかさずダレスが傍に寄り、グレイスの手に自分の手を重ねてくる。念入りに白粉をはたいた手だ。臣民の歓声は止まない。美しき兄弟愛、美しき親子愛――。

「もしも義兄様が倒れられましたら」

 臣民に向かいほほ笑んだその口で、ダレスは平気でこんなことを囁くのだ。

「ヤマ。あなた様が御起ちにならねばなりませんのよ」

 庭園は歓喜の渦の中にある。海を渡った大国にいるふたりにも、この歓声は届くのだろうか。季節風がこれを運んでくれるのだろうか。若い皇帝は、ただ彼らの平穏を祈る。

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