実行委員
私立鳥谷学院中等部は、今年設立九十年目の、ここらへんではかなりの名門校で、ここに入り高等部を卒業できれば将来安定とも言われる。全中等部生徒数は約三百名と、やや少なめ。俺は親に勧められて、必死に勉強し入学した。神谷も「祖母がさ、ここに行けって言うから。ま、どこも行きたいトコ無かったから別にいっかーって」らしい。完全舐めてやがる。
その鳥谷に今日も朝がやってきて、生徒がどんどん校門をくぐる。
——突然だが皆さん。学生時代にあなたはどのようにして登校しました? 徒歩、自転車、バス、電車。因みに俺は自転車。そして学校の門をくぐって、下駄箱で靴を履き替えて教室へゴー。ですよね。大抵の人はそうでしょう。
主人公の彼女の場合はいかがでしょう。
まず家を出ますね。ほうほう。そこからダッシュ。わお。木に登ります。……へぇ。山道を最短距離で進みます。とても人が通れないところも通ります。……。学校が山に面しているので、そこまで木を伝っていきます。猿? 門を飛び越えます。いろんな物を足場にして校舎の壁を登っていき、三階の廊下の窓に手を掛けます。そこから中に入って、教室に到着。
……ホント、人間業じゃない。
「おはよー、陽介」
ほら、そんな主人公のおでましだ。あ、頭に葉っぱ飾ってる。似合うよ。
「もう秋だねー。豆腐屋のおばちゃんの服が赤になったよ」
判断基準がおかしいねー。
俺は、十三回も隣の席になったせいで、神谷に懐かれていた。別に悪い奴ではないから適当に受け流してるけど、神谷と話していると他の男友達が寄ってこない。それが非常に困る。曰く、「神谷とまともに話せるのはお前しかいない!」だそうだけど、これは慣れだ。三年間隣だから出来る技なだけだ。俺が特別なわけじゃない。
それに、まともに話せるのは俺だけじゃないぞ。
誰かって?
「あ、せいらちゃんおはよ!」
せいらに駆け寄ってくる小柄な人影。名前は春野こころ。「身体は小さいけど心はデッカイ!」と自己紹介で言っていた通り、小さい。中肉中背の俺の肩くらいしか身長がない。彼女は今年初めて神谷と同じクラスになったのだが、神谷と普通に話せる。というか何故か神谷に懐いてる。
「せいらちゃん、宿題やってきた?」
「うん。理科で何でも良いから観察しようってやつだよね。ほら」
「…………なあに? それ」
「見ての通り猫観察日記だよ」
そんな宿題出されてない。
春野がどれどれと神谷の日記とやらを覧る。
「なになに。『九月六日。家の中に野良猫が遊びに来た。よく見かける猫で、白と茶のまだら模様のヤツだ』」
チラリと覗くと、紙の右上に猫の絵が描かれていた。全体的にバランスがおかしいのだが、部分部分がすごくリアルに描かれていて、上手いのか下手なのか判断しかねる絵だ。
『一週間前、此奴が池で溺れていたから助けてやった。一か月前は他の猫と喧嘩していて、あたしが止めてやった。さらに一年前は今の三倍くらいの大きさまで太ってて、笑ってやったら、以心伝心して仲良くなった』
……どんどん遡っていくのな。しかも最後の文の繋がりが意味不明だ。これは果たして日記と言えるのか。つーか、猫の何を観察したんだ? 完全に『あたしと猫』じゃないか。
俺は呆れたが、春野はそうではなかったらしい。目を輝かせている。
「凄いね! 五年三か月と五日前まで書かれてるなんて!」
なんという微妙な数字。そんなにその猫のこと憶えてたのか。確かに、それは凄いな。
神谷がにやりと笑む。
「まあね。あたしとそいつの絆は海より深いから。ま、そいつもうすぐ寿命なんだけど」
おい。あっさり言ってくれるな。海より深い絆はどうした。
「でもね、せいらちやん、宿題は『犬観察日記』だよ?」
「まじで?」
まじで? 知らん知らん、そんなの。俺やってねーよ。
「まぁ、犬も猫も同じ哺乳類だし、いいんじゃない?」
「そっかぁ」
そっかぁ、じゃねーよ。俺達一応三年だよ。滅多なことがない限り受験無しで高等部進学だけど、だとしても内申点気にしろよ。てか何で三年にもなって犬を観察しなきゃならねーんだ。
神谷は興味が失せたのか日記帳を鞄に放り入れると、春野の肩を勢いよく掴んだ。
「それよりこころ! もうすぐ文化祭だよね? 文化祭って、あたし達何すんの?」
「え? まだ決めてないよ? 今日の五時間目に実行委員を決めて、それから出し物決めるんだよ」
「あたし実行委員やりたい‼︎」
「ええ⁉︎ せいらちゃんが⁉︎」
春野は微妙な顔をした。せいらちゃんが実行委員なんて出来るの? といった顔だ。やめておいた方が良いだろ。これは個人の問題じゃなくてクラスの問題だぞ。神谷にやらせたらとんでもないことになるのは目に見えてる。俺は断固反対だ。が。
「いいね! せいらちゃんがやるなら、私も立候補しようかな」
はやまるでないぞ、春野。
神谷と一緒に実行委員なんて、精神がもたないだろ。
……いや、そうでもないか。俺は溜め息を吐いた。
春野こころ。彼女が神谷と仲が良いのには訳がある。初めの出会いは一年の頃だったという。
その頃春野は、背の小ささを馬鹿にされていた。よくあるやつだ。名門校といえど、中学一年生。子供は子供。精神的には他の子となんら変わらない。という訳で、彼女は高いところに私物を置かれて困っていた。そこへ神谷が通りかかる。背の高い神谷は、背伸びしたらすぐ届く高さだったため……春野を肩車して取らせてやった。らしい。『あたしの身長プラスあんたの座高だから、二米近いねぇ。巨人だ』。それからというもの、春野は神谷と連むようになった。
そう、春野は変人好きなのだ。
よって俺なんかよりよっぽど強い。精神面が。
その時チャイムが鳴った。生徒達が一斉に席に着いていく。
……この後はもう皆さんお判りだろう。
宣言通り、神谷が実行委員に立候補したが、やはり反対意見多数で可決されなかった。正しい判断だと俺も思う。そしてその代わりに春野が実行委員となった。春野に神谷がくっついてきそうだが、まぁ、まだ良しとしよう。
——そこからだ。女子生徒一名は少ないため、男子も一人決めなければならなかった。しかし、大抵こういうのは中々決まらないもので、クラスを引っ張っていくようなリーダー性のある奴はおらず、誰も手を挙げなかった。よってくじ引きになったのだ。誰が今年の文化祭実行委員になるのか。居残りも多く、責任重大、やることたくさんの、超面倒くさい役に一体誰が——。
はいはい、やりゃあいいんだろ。