第五章
「リラ、本当は貴女達自身に気付いて欲しいと思っていたの。でも色々な介入があってややこしくなったので、私もお節介をするわ。
このままでは貴女達はお互いに誤解したまま、不幸な婚約生活を送りそうだから。
貴女がロバートン殿下に一目惚れしたように、殿下も貴女に一目惚れしていたのよ。
殿下は貴女に会いたいと思っていたのに、王宮では女官達が、学院であの馬鹿息子を含む黒の塊が邪魔をして妨害していたのよ」
エエエッー!
殿下が私に一目惚れしたなんてあり得ないわ。だってあんなに私を睨み付けたじゃない。
そんな私の心の叫びが聞こえたのか、母がこう教えてくれた。
「貴女はいつも殿下を睨んでいると言っていたけれど、殿下は貴女を睨んでいたわけじゃないの。生まれた時からああいう目付きなのよ。
それで殿下は幼い頃からずっと苦労されてきたのよ。冷たくて怖い人だとみんなに誤解されてしまって。
しかもお祖母様に当たる前王妃様に嫌われて疎まれていらしたから、余計殿下に問題があると思われてしまったそうよ」
「どうしてご自分の孫にそんなことをされたのですか? 前王妃様はご立派でとてもお優しい方ですよね」
「確かにリラには優しく接して下さったでしょう。ご自分と同じく王家の被害者だと思っていらしたでしょうからね。
つまり前王妃殿下は貴女のお祖母様と同じで、前国王陛下を憎んでいらっしゃるの。
だから、お顔立ちが夫と似ているロバートン殿下を見るのがお辛かったのでしょう。理不尽な話ですが。
貴女は忘れてしまったかもしれないけれど、王妃殿下と私は学院時代からの仲の良い友人同士なの。だから、子供達の情報交換はずっとしていたのよ。
だけど、貴女はお祖母様の言葉しか信じなかったから」
「ごめんなさい……」
ご両親の国王陛下夫妻やお兄様である王太子殿下、そして昨年嫁がれたお姉様の王女様は、末っ子のロバートン王子殿下を本当にかわいがっていらした。
しかし、王家で一番の実力があった前王妃殿下から、誤った情報や悪い印象を与えられた家臣や侍女達からは誤解され、心無い扱いをされてしまった。
そのせいで、殿下はすっかり捻くれてしまって、素直に感情や言葉を出せなくなってしまったらしい。
それはそうだろう。なんでも歪曲して受け取られたら、誰でもそうなるわ。
母からは絶えず言われ続けてはいたのだ。ロバートン殿下はお優しい方よ。貴女を嫌っているわけではないのよ。だから素直に自分の気持ちを伝え続けなさいって。
でも嫌われていると思い込んで、諦めてしまった。どんなに努力しても無駄だと、愛されはしないと、早く諦めた方がいいと……
後悔の涙が溢れてきて止まらなかった。殿下の方がずっと辛い環境に置かれていたのに、自分ばかりが辛い思いをしているのだと思っていた。私は一人で悲劇のヒロインにでもなったつもりでいたんだわ。
何故こんな思い込みをしていたのかしら?
ああそうだ。こんな風に後ろ向きに考えてしまったのは、エレン=グリフレットの小説の影響だわ。
最後にザマァがあって、すっきり感があるけど、実際は愛を諦めて昔の男を見返すために、高位の貴族の相手を見つけるとか、高いステータスを持つとか、ライバルに復讐するとかいう話ばかりだもの。
でもそれで本当に幸せになれるの?
私は一人で生きていける自立した女を目指していたけれど、それって本当に自分が望んでいたことなの?
男嫌いなお祖母様にそう仕向けられていたせいではないの?
私が殿下と愛のない結婚をした後に、子供だけ産んですぐに離婚するように。
そう。お祖母様も前王妃殿下同様に前国王陛下が嫌いたった。
だからその陛下に似ているロバートン殿下と私が結婚するのがお嫌で、邪魔をされたんだわ。孫や小説のファンを利用して。酷いわ。
何故ご先祖の過ちを、なんの関係もない私達が背負わなければならないの!
✽✽✽
私はあの浮気騒動の後、二週間ほど自室に引きこもった。色々と気持ちの整理をつけたかったので。
本当は早く殿下にお会いかったし、せっかく友人になれた生徒会の皆様と食堂でランチをしたかったけれど。
その間兄や従兄弟達が代る代る謝りに来たけれど無視したわ。だって本当に忙しかったんだもの。
ただロバートン殿下とはずっと手紙のやり取りをしていた。浮気騒動の直後、殿下から謝罪の手紙を頂いたの。
浮気を疑ったこと、きつい言葉ばかり投げかけたことに対して、真摯に謝って下さった。
だから私も心を込めて返事を返したの。今までとは違う、正直な自分の気持ちを込めた手紙を。
『全部自分が悪かったのだとわかっています。それでも貴方に疑われて悲しかった。誤解されて辛かった。
貴方に嫌われていると思うと苦しかった。
貴方のことがずっと好きだったから』
『初めて貴女を見た時から、僕はずっと貴女が好きだった。貴女は初見でも怖がらずに僕に微笑んでくれた、初めての人だったから。
でも僕なんかが君に好かれるはずはないと思っていた。だっていつも避けられていたから。だから正直君の言葉は信じられない』
『貴方が私を信じられないのは仕方のないことです。これはある二人の女性が、意図的に私達を妨害していたせいで起きたすれ違いだったのです。
貴方のご両親である両陛下にどうぞお確かめになって下さい。真実がわかると思います。
お妃教育に伺う度に私はかわいい動物達に慰められていました。彼らが殿下のペットであることは王妃殿下から伺っておりました。私のためにあのかわいい子達をご希望され、彼らの世話も殿下が自らなさっていたとも。
お茶会の時には王女殿下がいつも同席して下さっていましたよね。あれは、ご自分の代りに婚約者をサポートして欲しいと、ロバートン殿下が姉上様にお願いして下さったからですよね。王女殿下から教えて頂いていました。
好きでもない婚約者に対してもそんな気配りのできる殿下を、私は尊敬し、お慕いしていました。
でもさすがに、嫌われていると知りながら思い続けていることに、私は疲れて諦めようとしていました。
だから殿下にわざと反論して、喧嘩の真似事のような振る舞いをわざとしました。でも、あの後酷く落ちこみました。
しかし殿下からお手紙を頂いて真実を知りました。今度こそ私は絶対に殿下への思いを諦めたりはしません』
『両親から祖父母の話を教えてもらいました。祖母の気持ちは理解できるし、同情はしますが、それでも僕への待遇はやはり許し難いものがあります。
百五十年前の契約魔法といい今回のことといい、何故貴女と僕がこんな目に遭うのか……とても納得できるものではありません。
過去のしがらみからはもう抜け出して、僕は貴女と二人で幸せになりたいです。共に足掻いてくれませんか?』
『嬉しいです。あの自分勝手な契約魔法を結んだご先祖様には文句を言ってやりたいですが、殿下と巡り会えたことだけは感謝したい気持ちです。
殿下と幸せな未来を築くために、私も殿下共に戦いたいと思います。
それから殿下にはまだお話ししていなかったのですが、私達の関係をこじらせた原因が、実はもう一つあるのです。
それは我が家にかけられているある呪いです。しかし、その解決方法がようやく見つかったので、今度我が一族を集めてそれを発表したいと思っています。
その際殿下にもその場に立ち会って、第三者の立場で見解を述べて頂けると幸いです』
『今度は呪いですか?
さすがに僕も驚きを隠せません。しかし、貴女との明るい未来のためには逃げるわけにはいきません。共に戦う覚悟があります。
それに、いざとなれば王城の魔術・呪術対策部に相談してみましょう』
結局その後も私は、とある計画の準備のために、学院に休学届けを出し、王宮でのお妃教育も休ませて頂いた。
だから愛するロバートン殿下とはあの日以来お会いしていない。しかし手紙のやり取りだけはもう二月ほど続けていた。
以前の殿下は、私と顔を合わせるといつも冷たくて、捻くれたことばかり口にしていた。それなのに手紙では素直な気持ちを綴ってくれるので、その手紙はいつも私を幸せにしてくれた。
しかも、一昨日届いた手紙は私のために嫉妬してくれていたので、もう嬉しくてたまらなかった。
でもまた殿下に誤解されて拗れると困るので、すぐに返事を書いた。
そして祖母の執事で、勘違いの嫉妬の原因でもあるオルトさんに、その日のうちに直に王宮の殿下に届けてもらった。
『昨日殿下が街中でご覧になったというオルトさんは、本当に祖母付の執事です。そして私にとってはまあ身内でもありますから、かわいがってくれる親類のお兄様といったところでしょうか。
そのオルトさんと一緒にいたという格好のいい女性は、祖母の本を出して下さっている出版社にお勤めの社長秘書さんです。
オルトさんがずっと片想いをしていたので、先日私が仲立ちをしてあげて無事恋人同士になりました。
決してオルトさんが浮気をしたわけでも、私が彼に騙されていたわけでもありません。
私は殿下の婚約者なんですよ! よその男性になんか目移りするわけがないじゃないですか!』
『すまなかった!
オルト卿からも恋人のことを惚気けられてしまった。だから僕も貴女とのことを負けじと惚気けてやったよ。
明後日ようやく貴女に会えますね。待ち遠しくてたまりません。早く時間が過ぎてくれればいいのに。
愛するリラティーヌへ……
貴女の恋人ロバートンより……』
✽✽✽
そしていよいよ、百五十年にも及んだその呪いを解く日になった。もちろんそれは精神的な呪解という意味だけれど。
カルトン侯爵家のホールには溢れんばかりの親族が集まっていた。彼らは祖母の六十五歳の誕生祝いに集まってきたのだ。
現当主の父がパーティーの開始を宣言すると、身内の音楽家が静かに室内楽を奏で始めた。
そこに、侍従達が山積みされた本を載せたワゴンを押して入って来て、来賓客一人一人にその本を一冊ずつ手渡した。
「この本はエレン=グリフレット女史の最新作です。わざわざ今日お出で頂いた皆さんへの引き出物です。
お帰りになってからじっくり読んで頂きたいところですが、せっかくなのでサラッとこの本の内容について、この本の編集を任された娘より説明させてもらいます」
父がこう説明すると、
「なんなの、これは……
どういうつもりなの?」
祖母が怒りを表したので、招待客はざわついた。しかし、突如そこへロバートン王子殿下が入って来たので、ホールはシーンと静まり返った。
私が殿下にカーテシーをすると、殿下は相変わらずの三白眼ながら口元に優しい微笑みを浮かべて、挨拶代りに軽く頷いてくれた。
するとさすがに祖母も、殿下の前では怒りをグッと抑え込んだのだった。
読んで下さってありがとうございました!