第四章
目が覚めると、何故か私は自分の部屋のベッドに寝ていた。そして枕元には母が座っていた。
「お母様、私どうしたのかしら? 今日は学院へ行っていたと思うのですが」
「ええそうね。でもロバートン殿下とのお話の最中に気を失ったのよ。そしてその場にいたラリアットがあなたを連れて帰ってきたのよ」
「アッ! そうだ……私、殿下にとても失礼なことをしてしまって……
でも、ラリーお兄様はあの場にはいらっしゃらなかったわ」
「あなたは気付かなかったみたいだけど、いたんですって。男ばかりの中で話をすると、良からぬ噂を立てられる恐れがあるからって。
それに王家の侍女だけでは、我が侯爵家が苦情を申し立てる恐れがあるから、見えない場所に隠れていろと命じられたのですって。
我が家は本当に王家からの信頼を無くしてしまったのね。ラリーもアンドレイも今更だけど反省しているわ」
アンドレイは長兄で、王城で文官をしている。
「申し訳ありません、お母様」
「リラが悪いのではないわ。
男の子達を煽ったお祖父様やお祖母様が悪いのですもの」
「お祖母様もですか?」
私は母の言葉に驚いて聞き直してしまった。だって私を甘やかさないようにみんなに命じていたのはお祖母様だったんですもの。
「あなたはお祖母様が大好きだったから、今まではお祖母様を批判するようなことは控えていたわ。
けれど、やはりお祖母様を信奉し過ぎると色々と弊害が出てくるから、そろそろ話をしておくわね。
お祖母様があなたを愛しているのは間違いのないことだわ。でもだからこそ、貴女とロバートン殿下との婚約は、お祖母様にとって許し難いものだったの」
母がお祖母様を否定するのを初めて聞いたので、私は本当に驚いてしまった。
母と祖母は実の母娘のように仲が良かった。そう、実の息子よりも。
「お祖母様は王家を、というより前国王陛下を憎んでいるの。だからあなたを王家に嫁がせたくないのよ。
六年前のあなたの十歳の誕生日のこと覚えているでしょう?
せっかくのパーティーにお祖父様とお祖母様の具合いが悪くなって参加できなくなって、あなたはとてもがっかりしたわよね」
「ええ。朝まではお元気だったのに驚いたわ。それに翌朝挨拶もされずに、療養のために領地に出かけられたと聞いてずいぶん心配したわ。確か戻られるまでに二か月くらいかかったわよね」
「本当はね、領地へ行ったのではないの。お二人は別々の病院へ入院していたのよ。
あの日、大聖堂からの契約魔法の通達があったでしょう?
お祖母様はあなたとロバートン殿下の婚約のことを知って怒り狂ったのよ。
まるで気が触れたのかと思ったくらいよ。実際おかしくなっていたんだけど。
だってお祖父様の杖を取り上げて、それでお祖父様を何度も打ち続けたんだもの」
六年前の真実を聞かされて私は驚愕した。
私とロバートン殿下の婚約は約百五十年前に、我が家のご先祖である侯爵家の嫡男と、後に女王となられた王女様が結んだもので、お祖父様とは直接関係していない。
しかし、四十年数前に起きたお祖母様の悲劇の元凶は、お祖父様とロバートン殿下の祖父である前国王陛下だったのだそうだ。
自分を不幸のどん底に落とした男の孫と、自分のたった一人の孫娘を結婚させるなんて、絶対に許せることではなかったらしい。
祖母にとっては契約不履行によるペナルティよりも、憎しみの方が勝っていたらしい。
✽✽✽
祖母の名前はフランセスといって、名門伯爵家の令嬢だった。そして子供の頃からカルトン侯爵家の嫡男アルバートと婚約をしていた。
二人は共に才色兼備。しかも国一番の美男美女のカップルとしてとても評判で、政略的な婚約にもかかわらずとても仲睦まじかった。
しかしいつしかそんな二人に影が刺し始めた。伯爵家が事業に失敗したのだ。
フランセスは質素倹約を強いられることになり、次第に華やかさが消えて行った。
それでも元が良いので、彼女は十分美しかったのだが、侯爵家のアルバートの態度は段々と冷たくなっていき、別の女性の影もチラチラと見え隠れするようになった。
フランセスは冷たくされても婚約者のことを信じて、日々努力を重ねていた。
しかし、ある日王宮で開かれた王太子殿下の個人的なお茶会の場で、ついに彼女は招かれていた数人の客人の前で婚約破棄を宣言されてしまった。
しかも新たな婚約者として、成り上がりの男爵家の令嬢まで紹介されるという屈辱を受けた。
フランセスは泣きながら家に帰ったが、なんと説明すればいいのかわからなくて、両親に婚約破棄の話をすることもできずに数日がたった。
そんな時元婚約者が突然やって来て、先日のことを謝られた。あれは罰ゲームだった。婚約破棄の話は本当ではないから許してくれと。
しかしやっていいことと悪いことがある。こんな侮辱は許せないから婚約を解消しましょう、とフランセスは言った。
ところがアルバートは書類を彼女に見せて、伯爵家の借金は自分が立て替えて返済してやった。もし婚約解消をしたいなら立替え金を一括で返せ、そう脅してきたのだという。
彼女の両親は娘が受けた屈辱を知らないまま、令息からの申し出を有り難く受け入れていたのだった。
フランセスは婚約をそのまま続行するしかなかった。しかしその婚約には疑問しかなかった。
アルバートが浮気をしていたの確実だ。かなり入れ込んでいたのは間違いない。だからこそ自分に婚約破棄を突き付けてきたのだろう。
それなのに数日後にはそれを撤回して、わざわざ高額の借金の返済までして、自分とよりを戻そうとするなんて怪し過ぎる。
それとなく探りを入れてみると、お金は侯爵家が用立てくれたわけではなさそうだった。一体誰がお金を用意したのだろうか?
その人物がわかったのは婚約破棄騒動から二年後の結婚式の日だった。
披露宴にやってきた王太子と夫が口論していたのを、偶然フランセスは聞いてしまったのだ。
王太子が夫のアルバートにあの金を返せと怒鳴っていた。
あの金と聞いて妻はピンときた。あの金の出処は王太子だったのかと。
金を返すつもりはない。そちらが勝手したことだろう。こちらがお願いしたわけじゃない。
これ以上いちゃもんをつけるなら、王太子妃殿下に全てばらすぞ!
夫は反対に王太子を脅していたのだった。
✽✽✽
「それってどういうことなの?」
祖父と前国王の関係がよくわからなかった。
「お二人は同じ年の幼馴染みだったの。そして学院に在学中に同じ女性に夢中になったらしいわ。二人とも婚約者持ちだったけれどね。
ピンク髪に黒い瞳の庇護欲誘う愛らしい少女だったそうよ。エレン=グリフレットの小説によく出てくるヒロインみたいに。
でもその少女、魅了の力持ちだったんですって」
「それではお祖父様がお祖母様を裏切ったのはその魅了の力のせいだったの?」
「そうみたいね。そのせいで婚約者であるお祖母様に婚約破棄宣言をしたらしいわ。
でも王太子殿下も彼女に夢中だったから、友人と結婚するのはまずいと思ってこう説得したんですって。
身分違いの男爵令嬢とは絶対に結婚はできない。それなら婚約者と結婚した後に、彼女を愛人にした方がいいよと。
そうなれば王太子も彼女と隠れて付き合えるとでも思ったのでしょう。そうでもなければ大金を出すわけないものね。
でも、息子の様子がおかしいと気付いたお祖父様の母上様が、息子を病院へ無理矢理に連れて行ったの。そしてそこで初めて魅了の力がかけられていると知ったのだそうよ。
慌てて祓ってもらったら、お祖父様はやはりその男爵令嬢のことなんて何とも思っていなったそうよ。
正気になったお祖父様はお祖母様に本当に申し訳なかったと真実を告げたそうよ。本当に愛しているのは君だけだと。
そして結婚式を挙げる日までにお祖母様の信頼を取り戻そうと、それはそれは真摯にお祖母様に向き合って、誠意を見せようと努力したそうよ。
それは今も変わらないわね」
お祖母様目線でしか見ていなかったけど、確かにお祖父様はお祖母様を大切にしているわね。そのことに私はようやく気付いた。
「それにしても魅了の力って本当に凄いのね。王太子殿下まで魅了してしまうなんて」
「いいえ。王太子殿下の方は魅了の力なんかに影響されていなかったわよ。ただの女遊び。王族は魔法除けの対策をなされているもの。
つまり王太子は彼女が魅了の力持ちだと知りながら、それを隠蔽していたのよ。
そのせいでお祖父様だけでなくたくさんの方と接触をしたために、貴族の中で婚約破棄する男性が急増してしまったの。
それでようやく問題が表面化して、彼女は捕まったの。そして、王太子殿下はかなり大目玉を食らったという話よ。それでもたった一人の王子様だったから廃嫡はされなかったみたいだけど」
なるほど前国王がかなり遅く即位して、かなり早めに退位したのはそういうわけだったのかと妙に納得してしまった。
あの時代は王妃殿下のおかげでこの国が栄えたって、家庭教師がそう教えてくれたわね。
「本当にクズよね。国を揺るがすような失敗をしたくせに、あの前国王は罰則を受けて、支給される小遣いが減った文句を言っていたらしいわよ。そしてその挙げ句遊ぶ金欲しさに、お祖父様に金を寄越せ、返せと理不尽に言って来たらしいのよ。
しかもお祖父様達の結婚式に現れて、お金の返済を要求してきたんですって。頼みもしないのに、勝手にお祖母様の実家にお金を振り込んだくせに。
その時お祖母様は運悪くそのやり取りを聞いてしまったのよね。それでお祖母様は全ての悪事が王太子による策略だと知ったらしいの」
それは当時の王太子を恨むようになるだろうな。王太子が早く対処をしていれば、婚約者だった夫はもっと早くに正気になり、自分も人前で婚約破棄などをされずに済んだのだから。
祖母は祖父を許したかったんだろう。しかし頭では許せても心がそれを受け入れられなくて苦しかったんだと思う。
だからあの秘密基地に籠もって、王太子や国王を悪者にした小説を書いて、その恨みを晴らしていたんだろう。エレン=グリフレットという作家になって。
不敬罪にならないように架空の国の出来事に置き換えて。
「お祖母様が男嫌いなのは、やはり前国王陛下のせいですか?」
「あら、お祖母様が男の方を嫌っていると気付いていましたか?」
「そりゃあ気付きますよ。あれだけお嫁さんばかりかわいがっていれば。世間でも評判ですよ。嫁に行くならカルトン侯爵家って」
祖母は男嫌いであることを表面上には出さなかった。
しかし実の息子や一族の男性に対して、結構冷たかった。そして繰り返し繰り返し妻を愛し、大切にして、尊重しろと言い含め、問題が起きると妻側に立った。
子供心にフェアじゃないと思ったこともしばしばあった。
「でも、お祖母様はお父様にだけはいくらか優しい気がするのですが、それは跡取りだからですか?」
私がふと浮かんだ疑問をぶつけると、母はちょっと困ったように笑ってこう言った。
「跡取りだからというより、貴女が生まれたからでしょうね」
その後私は、我がカルトン侯爵家にかけられているある呪いの話を母から聞かされて、あ然となった。
契約魔法に、魅了に、そして今度は呪いですか?
なんでこの家はこんなに面倒な魔法に振り回されているのだ!と頭を抱えたくなった。
契約魔法のことは通知が届けられるまで知らなかったんだから仕方がない。
しかし、呪いの方は何故魅了の時みたいに呪解しなかったの?
淑女らしくないだろう難しい顔をして唸っていた私に、母はこう言った。
「貴女達の婚約をお祖母様が酷く嫌がったわ。だから、貴女をロバートン殿下からなるべく遠ざけようと色々仕組んだみたいなの。
貴女は王宮でお妃教育を受けに行っても殿下が会いにも来てくれないと言っていたけど、それはお祖母様の息のかかった女官達のせいだったみたいよ」
「エッ? もしかして、あの方達はお祖母様のファンだったのですか?」
思わずそう言ってしまった私は、慌てて両手で口を塞いだが、母は呆れたような顔をしてこう言った。
「ねえリラ、貴女は本気で私がエレン=グリフレットの正体に気付いていないと思っていたの?
男性陣はともかく、我が一族の女性陣は皆気付いていましたよ。話の中を鑑みれば普通気付くでしょ。
賢い王宮の女官の皆さんもお祖母様の正体がわかっていたからこそ、お祖母様の指示に従ったのでしょう。
あんな昔の契約に縛られている貴女を、悲劇のヒロインだと思って同情したのよ。
その実、ただ想い合っている婚約者同士を引き裂いて苦しめているとも気付かずにね」
「想い合っている?」
意外な言葉が聞こえてきて、意味がわからず思わず首を捻った私に、母は優しく微笑んだのだった。
読んで下さってありがとうございました!




