54.毒霧の壁
リチャード・ナイトラン大魔法卿は、左太腿の内側に古傷がある。
普段はなんともないのだが、この傷をつけた種類のラスカルジャークが近づくと魔力の共鳴がおこる。そして動けなくなってしまう。
傷は僅かなものであっても、共鳴が起これば全身が硬直する。一匹だけなら多少痺れる程度だが、数が多ければ瞬きどころか呼吸すら困難になるのだ。
物理的に封じられるだけなので、普段なら固定砲台として活動すれば何の問題もない。しかし、今リチャードが倒れている場所は、魔法を吸収する霧の壁で覆われている。動くこともできず、魔法も使えないのだ。
霧の発生源は解っている。
一面に植え付けられた毒々しい青と紫の麦モドキだ。黒紫に濁った霧が、植物全体から絶え間なく吹き出してくる。
リチャードは2日前にこの地にやって来た。抜き打ち調査をする為に、まずは疑惑の新種である青色麦の畑を目指す。去年更新された最新の地図には、畑の印がついている。作物の種類は総て麦として申請されていた。
(現地調査は領主任せにしたつもりはないが)
リチャードは現地に降り立ち、なだらかな丘陵に挟まれた広大な青色麦畑に愕然と立ち尽くした。
首席大臣としてのリチャードは、地方自治を推進しつつ中央からの公式調査団も定期的に派遣する方針だ。このレジェンダリー王国は人界防衛最前線で、出自不明の移民が常に流れ込む。
勝手にコロニーが作られていることも稀ではない。下手に取り締まると内戦になる。かと言って放置もできない。対ラスカルジャークの即戦力や、それを支える生産力は守り育てるのがリチャード流だ。
(中央に潜り込んでるゴルドフォーク出身者が調査団に入ったか?あるいは単純に記憶を塗り替えるか幻覚をみせたか?)
いずれにせよ、してやられたという状況である。
「なんだ?この土は」
根本から立ち上る毒霧に視線を落とせば、土も色がおかしい。青紫に変色し、所々に奇妙な物が突き出していた。
リチャードは屈んで異物を観察した。
「ラスカルジャークの棘、あっちには角や毛も」
どうやら畑の肥料には、ラスカルジャークの死体が使われているらしい。
「直ちに焼却許可を貰うほうがいいな」
畑なので、勝手によその領主が燃やすわけにはいかないのだ。
ラスカルジャーク討伐なら中央政府の許可は不要だ。そのかわり、誤認による被害を出せば重罪である。人里や自然環境の破壊も過剰と判断されれば賠償責任が発生する。
王族の強権は、あくまでも緊急時の迅速性を考えての制度だ。謎の多い凶悪生命体に脅かされる日常では迅速性と信頼が重要だ、とリチャードは思っていた。
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