表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

西京都

作者: エンピツ✍

 「日本に第二の首都、いわゆる副首都を新たに西へ置くことを閣議決定しました。」


 第120代内閣総理大臣西村首相の発言は日本中を震撼させ世界的ニュースとなった。

 朝からそのせいで国会議事堂の中も外も報道陣で埋め尽くされていた。

 首相に向けられる多数のマイクとフラッシュ。それはテレビやネットを通して一日中報道され新聞、雑誌、SNSと瞬く間に拡散され流布していく。国会議論でも各野党からの集中放火で一杯だった。

 主な答弁としては目的と理由。そしてどれくらいの予算がかかるのかとメリットとデメリットを問う質問が言葉を変えて繰り返し飛んでくる。これに対し総理は「先ほど述べたとおりです」の一点張り。議題は良くも悪くも白熱し、半年は終わることはなかった。

 当然国民の間でも賛否両論のまま時間と計画だけが着実に進んでいった。

 2046年。人々の間で恐れられた天災。その中でも代表するのが津波、地震、火山噴火などがある。そして今技術が発展し、天災を予測できるようになった時代。

 そして2046年7月。富士山が噴火するという予測がされた。

 日本政府と専門家の見解では被害はおよそ500万ほどだと推定された。また関東、東海を中心に火山灰による健康被害と大きな通信障害と公共交通機関の停止によって大きな混乱が起こることが予想された。

 そこで政府は2025年に国家プロジェクトとして日本に第2の首都として広島県、福岡県、岡山県が候補として挙げられた。

 3つの候補を絞る条件としてまず挙げられたのが都市開発の現状だった。

 理由は簡単、都市開発が進んでいるところほどいらぬ予算を費やさずに済むからだ。

 これにより岡山県は除外された。

 次に重要視されたのが地盤の強さだった。広島県と福岡県を比較すると福岡県には地下鉄が走っていることに対し、広島県は走ってなかった。広島県は埋め立て地の箇所が多く地下鉄を敷くのは困難であった。

 以上のことから福岡県に決定かと思われた矢先、第三の重要視として災害の発生、被害の少なさであった。過去のデータを照合させると広島県の方が、災害の被害は少なかったのだ。それに福岡県は阿蘇山や桜島の二つの火山が近いため、福岡より広島ということで話は進んでいった。

 これに反発したのが京都府民であった。京都は昔の日本の首都として栄えた町であり、我々を差し置いて首都の決定はありえないと抗議。日本の昔の首都とするならば大和政権が栄えた奈良がふさわしい原点回帰と声をあげた。これに対抗するように大阪府も加担した。歴史的背景を考慮するならば天下の台所として多くの人々が行き交い、都市開発も福岡や広島よりも進んでいると政府に訴えたが、京都、大阪、奈良も東京と同様、火山噴火と南地震の危険区域に指定されていると政府に拒否された。一部北海道を候補とする声もあったが、北海道は日本の最北であり、環境、面積などを考慮し、見送りとなった。

 以上のことから日本の副首都は広島県に決定するかに見えた。しかしここで広島県民から抗議の声があがった。政府も地元民から抗議を受けることは誤算であった。広島で賛成の声が目立つ中、同時に反対派の声も同じ割合を占めていた。

 理由として人口増加による物価、土地、価格の上昇、交通渋滞、離職率の倍増。さらに一番危惧されたのが地域の特色がなくなってしまうのでは?という声だった。さらには県名の変更。物議をかもすのは明らかだった。そして人口の流入によって生活の圧迫も懸念された。

 政府はこれらの意見を聞き入れながら慎重に議論を重ねていった。議論は難航していた。

 また経済的な課題としては引っ越しするお金がないという世帯の声。

 さらには変化を嫌う人間も存在している。

 国が何割か補助金を出したり、動画やテレビばなどで理解してもらえるように具体的な説明をして長きにわたる説得の結果2046年、広島県改め西京都広島が西の首都として繁栄した。

 西京都の誕生により西の地方も観光産業や都市化の発展が進み、景気が上がり土地や物価の上昇。そしてそれを気にもさせない年収の増加。

 西京都周辺地域はかつてないインフレーションの波に飲み込まれていった。人々は浮かれていた。

西の首都当初の目的まで忘れるほどに。

 それから三年後の夏。富士山の噴火が起こってしまった。被害は主に関東、東海を中心に、東北、北陸、近畿と一気に広がった。

 首都の東京は直撃し、完全に機能不全に陥っていた。

 西京都に滞在する内閣が率先して動き、

 また火山灰による一酸化炭素中毒や肺や脳への後遺症によって苦しむ人が続出した。

 現場は地獄だった。噴火から一夜明けた朝から自衛隊やレスキュー隊員があちっこちに姿を見せる。救助活動や噴火によって倒壊した家屋や建造物のがれきの撤去。交通の制御など多くの仕事に追われていた。その様子はテレビを中心とするメディアでも連日報道された。

 取材で現地を訪れた永石もその光景には生唾を飲み込むだけだった。

 これが本当にかつての東京の姿なのか……?と思うもこれは映画でもなければCGでもない。正真正銘今現在起きてしまったものだと改めて認識せざるを得なかった。

 日本ではなくどこか別の国に迷い込んでしまったのではないかと思ってしまうほどに。

 そして男の取材に答えてくれるものはほとんどいなかった。当たり前と言えば当たり前だ。優先されるのは被害範囲と被害者の総数、また生存者と行方不明者と死者の把握。それを明らかにするためにのんきに取材に応じている時間などありはしないのだ。

 だが、たった一人だけ男の取材に応じてくれて者がいる。その方はご老人であった。奇跡的に被害が少なかったということもありすぐに話をしてくれた。

 語られた内容はやはり現地の悲惨な状況だろう。大勢の死者、行方不明者の捜索、機能停止した首都とそれによる町の混乱。幸いにも西京都が迅速に対応したため少しは良くなったが、それでも全体で比べれば一割にも満たない。老人の言葉は一つ一つが重いものであった。決して軽視できない……いや、してはならない地獄のような日々。

 富士山の噴火は何度もシミュレーションされ何度も避難訓練や現場を想定されていたがそれをあざ笑うかのように被害は甚大だった。東日本全域が被害を受けたといってもいい。

 当初予想されたのは一千万世帯と言われていたが実際は7千万にも及んだ。政治家や専門家たちにとってこの数字は思いもよらぬ誤算だったに違いない。

 そして被害を受けた者たちは西に逃げた。

 しかし、彼らは簡単に受け入れられなかった。体に火山灰を浴びた人々は『灰人』と呼ばれ差別された。酷いところでは暴力を振るわれ亡くなった人もいる。

 二次災害の被害も各地に広がってこの問題は深刻さを増した。

 なぜ人はここまで非情になれるのだろう?今は多くの人々が大変な時期で人と人が手を取り合って生きていかなければならないのに。いくら自問しても答えは出ない。そんな移り変わりゆく世界をただ漠然と見ることしかできなかった。

 報道記者として日本各地を渡り歩き取材を行った。

 被災者側の困窮した生活を目の当たりにして俺は生唾を飲み込んだ。今自分にできることそれはこの現状を一人でも多くの人に知ってもらうことだとクローズアップしTVで伝えたりもした。

 取材には様々な人が協力してくれた。取材を続けていくうちに俺は言葉を失っていった。何も言うことができなかった。

 どんな言葉を投げかけても嘘っぽく聞こえてしまうのでないかと被災している彼らと被災していない俺とでは立場が違う。彼らは家族を失い、友人を失い、住む場所を失い、そして生活を奪われた。

 西日本の方々にも取材を行った。返ってきた言葉は被災者側への不安視の声。それは同情であったり、厳しい言葉であった。

 そして彼らの声を聴くことで分かったことがある。人は何か大切なものを守るときに非情になるのだと。

 分からないからこそそれを排除しようとする心理が働く。

 いつか人々がそんな恐怖を捨てて手と手を取り合うが日がくればいいと切に願っている。


                                       ~FIN~

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ