地獄
昭仁たちの前に現れたのは、八尺瓊勾玉に封印されていたはずの大嶽丸であった。
先日、ここ京都の平安神宮に保管と監視されるために運ばれたばかりであった。
「何なんだよ…この鬼は⁉︎」
(それに少し息苦しいさがある。そのせいなのかはわからないが鼓動が早くなってきた)
昭仁はまだ鬼の正体が大嶽丸であることに気付いていなかった。隣にいる和真と佳純を見ると2人にもこの鬼が見えているようだ。
「おい、まさかこの鬼が見えてるのか?」
「その…まさかだよ。昭仁、これは何なんだよ!」
まさかとは思いたくないが、昭仁の脳内にはこの鬼の正体が大嶽丸なのではないかと推測出来ていた。
「大嶽丸…なのか?」
「我の名を知るか。それに貴様は我々と同じ臭いがする。何者だ?」
(はぁ? 俺と同じ臭いだと? どういうことだ? いやそれよりだ。逃げないとダメだ。でも春晶さんは東京に行ってる。誰がこのバケモノを…)
頭の中で大量の情報と思考が駆け巡る。後ろにいる、佳純は恐怖のあまり何も口にせず、ただそこに立ち尽くしていた。昭仁は大きな声をあげた。
「和真! 佳純! 逃げるぞ!」
昭仁の大きな声で和真と佳純はハッと我をを取り戻して走り出したが、力が思うように入らず上手く走れない。
怪異師としての力は確かにあるが、こんな化物と戦って勝てるわけがない。死ぬに決まっている。昭仁は逃げるように走りだした。和真と佳純を守ることなど頭になかった。
「キャァ!」
震える脚を無理に動かしたところで、走れるわけもなく佳純は転んだ。昭仁と和真は転んだ佳純に目を向けた。後ろから大嶽丸が近づいてくるのが見えていた。だが昭仁は、恐怖の余りに佳純の元に駆け寄れなかった。
「佳純!」
昭仁より先に動いたのが和真だった。
「おい! 和真、危険だ!」
「佳純は俺が守る! 佳純は俺の大切の人なんだ!」
怪異師でもない和真の行動は死を選んだも同然だ。それでも昭仁の脚が動くことはなかった。
「佳純! 大丈夫か? 俺の手に捕まって走れ!」
「ありがとう、和真!」
佳純がギュッと和真の手を握ったとき、大嶽丸の妖気が和真を喰らおうとしているのが昭仁に見えていた。
「和真! 避けろ!」
だがその声が和真の耳に届く前に、禍々しい妖気が和真を喰らい始めた。
「な…なんだこれは?」
和真は危機を感じて、握っていた佳純の手を離して『走れ!』の一言を残して妖気に喰われてしまった。
和真の悲痛の叫びだけが聞こえる。走って逃げろと言われたはずの、佳純はその場に座り込み、目からは大量の涙を流していた。
「和真! 和真! どうして…何がどうなってるの⁉︎」
和真の悲痛の叫びが聞こえなくなると、妖気の中から現れたのは小鬼だった。小鬼を見て佳純はポツリと一言を放った。
「和真…なの?」
佳純の声を聞いても小鬼は反応を見せることはなかった。
「佳純! いいから逃げろ! 逃げるぞ! もうそいつは和真じゃない!」
「そんなこと…ないわ…だって、ほら和真の面影があるじゃない…」
もう何を言っているのか、昭仁にはサッパリわからなかった。人間は窮地に立たされると、正しい区別も判断も出来なくなるのかと思い知った。
「それに…和真を置いて逃げるなんて…出来ないわ。だって私は…和真の彼女だもん」
小鬼は誰を襲うことなく、何かに耐えるように、もがき苦しんでいた。和真の自我がまだ残っているのか?
結局、何もしない小鬼は大嶽丸に踏み潰されてしまった。
小鬼の飛び散る血と肉が佳純の顔と服を赤く染め上げる。
「あ…あ…和真…あぁぁぁぁぁぁぁ」
顔に付着した血を指で拭い取り、佳純は狂気した。佳純は振り返って昭仁の顔を見つめた。
その顔は死を選んだ表情をしていた。
佳純の元まで大嶽丸が近づいてくると、佳純の腕を指で掴んで持ち上げた。抵抗することなく、涙を流し笑っていた佳純の精神は既に崩壊していた。
佳純を口元まで運び、大きな口を開き食そうとした。
「では、この女はいただくとしよう」
「和真…今…私も行くからね」
そして昭仁の目の前で佳純は大嶽丸に食べられた。口に中からは一瞬だけ佳純の声が聞こえた。その後は骨を砕く音と、人肉をすり潰す音が聞こえるだけだった。
(俺が見ているものは本当に現実なのか…。なら…どうしてこんなことに…?)
道路に座り込みガタガタと震えながら、今目の前にしている光景が夢であってくれと、何度も自分の頬を抓ってみたり、顔を殴ってみたりしても、痛みはあるし、血だって流れてくる。
それを感じて初めて、現実を突きつけられていることを理解した。この時、涼月のとある言葉が脳裏に蘇る。
『一般人とは深く関わりを持つな』
この意味が、今起きていることを言ってるとしたら既に後悔はしている。親友を守ろうとせず、逃げ出した自分の行為が非人道的であったことを。
動けなくなった昭仁のポケットからヒラリと一枚の御神籤が落ちた。清水寺で引いた凶の文字が書かれた御神籤だ。そして昭仁は、ある項目に目を奪われた。
【失物】…早くに来る。大切なもの。




