29 ハクタの町への帰還
「はああ……やっと見えてきた……」
ジンはその後小一時間ほどかけてゴブリングレートの魔石を採取し、ハクタの町の外壁が見えるところまで辿り着いた。
早朝から始まった侵攻戦だったが、帰ってくる頃には随分日が高くなってしまっていた。
「町の様子は……遠目にもわかるくらいには被害があったようだな」
外壁は崩れ、迎撃兵器のバリスタも一部、壊れているように見える。
町の中はこの位置から確認できないが、少ないながらも太い煙が登っていることから、やはり街中にゴブリンが侵入してしまったということなのだろう。
「ソル殿は無事だろうか……」
ジンは疲れた体に鞭打ち、約束が果たせているかを確かめるため足早に町へと向かった。
「ジンさん、お帰りなさい!」
「ああ、ただいま」
冒険者ギルドで出迎えてくれたのはマゼンタだった。
出かける時も帰ってきた時も同じ顔で対応してくれることに、なんだか腐れ縁めいたものをジンは感じ始めていた。
すぐにギルドからの依頼達成の手続きが行われ、10万クルスを受け取れることになった。
ただ、ジンはそれをギルドに預けることにした。なんだか衝動的に使い切ってしまいそうだったからだ。
ついでに依頼達成の証拠として、ゴブリングレートの魔石も提出する。目立っては面倒なため、麻袋に入れたまま鑑定してもらうこととした。
そこまで手続きをした後、ジンは忙しく動くマゼンタに尋ねる。
「俺は前線に出ていたから全体の状況が掴みきれていないんだが……ゴブリンとの戦争は勝ったってことでいいんだよな?」
「そうです!! 他の冒険者の方から聞いた話なんですけど、2時間くらい前ですかね? ゴブリン達が急に統制を失ったようで、平原は大混乱だったみたいです。お陰でギルドはこの有様ですが……町への被害は少なかったのでまあ、よかったかもしれないですよ」
「……なるほどな」
普段は酒場みたいな冒険者ギルドであるが、今は野外病院めいたことになっている。
怪我人が多数いるために、机を撤去して寝転がって治療できるスペースを確保。順々にカップに分けた回復薬を渡されるか、ギルド職員から回復魔法を受けている状態だ。
以前、ギルド職員からは回復は有償と言われたことがある。
そんな中でも回復薬が配られていること、また回復薬も1人1瓶ではなく細かく小分けして分けられていることを考えると、
「もしかして、回復薬やマジックポーションが足りていないのか?」
「……その通りなんです。防衛のために備蓄も回してもらっていましたが、底をつきかけているんです……」
「ナナシ草が取れない影響か……」
マゼンタがうなずく。
(確かに異常事態ではあるのだろうが、一体なんなのだろう……これから更に何かが起こる前触れではないといいのだが……)
ジンが懸念材料として色々な可能性を考えていると、思い出したようにマゼンタから声がかけられる。
「そういえば、テレンス様からも依頼を受けていましたよね? 一度会いにきて欲しいって伝言をいただいてます。最初に会った応接室にいらっしゃいますよ」
「ほう、テレンス殿が。今から会いに行っても大丈夫なのか?」
「はい! テレンス様はいつでもいいとおっしゃっていました。道案内は必要ですか?」
ジンは首を横に振ると、カウンターの席を立ってギルド職員専用の扉の奥に進んでいった。
「依頼達成の報告に来たぞ、テレンス殿。……いつもの盾はどうしたんだ? それにソル殿の姿も見えないようだが……」
ジンは扉の奥に立つテレンスに挨拶をすると、最後に会った3日前からテレンスの変わった点を指摘する。二つとも大きな差であったためにすぐ気がついた。
「依頼の達成、お見事だ。まさか本当にあの怪物、ゴブリングレートを討伐するとは思っていなかった。……盾なのだが、町にきた襲撃者によって壊されてしまった。これは新調したものだ」
その事実にジンは驚く。悪くてもゴブリン達の乱戦の中で使い物にならなくなった、と考えていたからだ。
「盾を壊すほどの相手が町に入ったっていうのか……それにしては被害の大きい北門から冒険者ギルドに至るまでの間の被害は、少ないように思えたが?」
「それが、どうやらお嬢様だけを狙って侵入したらしい。……不甲斐ないことだが、侵入者に対しては全く歯が立たなかった」
「では、もしやソル殿は……」
顔面蒼白になるジンを見て、テレンスは急いで訂正する。
「いやいや、お嬢様は無事だ。ギルドマスターが加勢に来てくれたおかげではあるが」
「そうか……無事なら良かった。俺も全力で戦った甲斐があるというものだ」
「今、お嬢様はギルドマスターをはじめとした高レベルのギルド職員の護衛下にいらっしゃる。面会は私を含めて全て謝絶している状態だ。あれほどの襲撃の後なのだから仕方がないとはいえ……」
「寂しいか?」
ジンが茶化して聞いてみると、この堅物は意外にも微笑みながら答えてくれた。
「正直な。記憶にある中で、お嬢様のお側を長時間離れたのは見習い卒業の表彰の時くらいだ」
「それって、何年も前の話じゃないか?」
「そうだ、何年も前だ。お嬢様と出会ってから、お嬢様は私の全てだったのだ。だからこそ、今回の襲撃者の男を許すことはできない」
ギリッ、と強く歯ぎしりをするテレンスに、ジンはかける言葉が見つからなかった。
(俺に忠義を尽くす相手がいたことはない。日本で働いていたのは最初から最後まで自分のためと言っていい。今だってそうかもしれないのに……だからこそ、テレンス殿の悔しさの一部ですらわかってやれない)
その事実が、ジンには悔しかった。
しばしの沈黙の後、テレンスはバツが悪そうに頭を掻きながらジンに向き直る。
「……すまないな。お前に愚痴を言っても仕方がないというのに」
「いいさ、たまにはそういう時もあるだろう」
「そう言ってもらえるとありがたい。……そうだ、お嬢様からお前に手紙を預かっている。直接労に報いることができず申し訳ない、とな」
「その言葉だけでも十分なくらいだが……もちろん受け取らせてもらう」
「内容は後で確認してくれ」
「……そういえば、テレンス殿が最後に会ったソル殿はどんな感じだったんだ?」
「お元気であったぞ。ただあのときは物々しくてだな……」
しばらく主にソル関連の雑談をしていると、部屋のベルが鳴った。外で誰かが呼んでいるようだった。
しばらくして扉が開く。訪問者は青い髪が特徴の受付嬢、シアンだった。
「お話中のところ失礼します。ギルドマスターがジン様をお呼びです。時間が空き次第お話がしたいとのことです」
「今度はギルドマスターか……お前も忙しいな。無理して向かわなくてもいいのではないか?」
「気遣ってくれてありがとう。だが問題はない。すぐ向かうよ」
「ありがとうございます」
ジンはテレンスにお礼のつもりで手を振ると、彼からは会釈が返ってきた。




