10 ジンという名の男 Side:テレンス
ジンが医務室で僧侶の治療を受け始めた頃、テレンスは最初に待機していた応接室に戻ってきた。
「お帰りなさいテレンス、少し遅かったですわね」
そこにはジンとの面会の時には居なかった少女が、扉を向いて座っていた。
その姿を確認すると、テレンスは素早く応接室の扉を閉めて跪く。
「遅くなりまして申し訳ございません、お嬢様。ただいま戻りました」
「ええ、お帰りなさい。ってそんな顔をしないで頂戴。怒っているわけではないのよ」
と、少女は笑いながら続ける。
ハクタの町を目指していた時とは違い、ローブなどの身を隠すようなものは何も身につけていない。
その顔は人形と見紛うほどに整っており、美しい金色の髪も相まって“お嬢様”と呼ばれるに相応しい高貴な印象を受ける。
一方でその腰には、ゴブリンたちを退けた魔法の杖が在り、指には自ら光を放っているような煌びやかな指輪が付いている。
知識のある者が見れば、彼女が素晴らしい装備を身につけていることが分かってしまうだろう。
「お相手の方の職業を聞く限り、貴方が負けることはないと思っておりましたが、苦戦するような要素がありましたの?」
「……結果として一撃で叩きのめしましたが、その一撃を入れるまでに時間がかかりました。あの男は“超反撃”を的確に、かなりの高確率で使うことができました」
「それはまた……随分と戦いのセンスがある方でしたのね」
「お嬢様は魔法使いですので詳しくお分かりにならないかも知れませんが、決してセンスだけで片付けられるものではありません。針の穴を通すが如き集中力と、相手と自分の動きを正確に把握する視野が必要なのです!」
テレンスは熱弁するも、少女はふぅん……と興味なさげに相槌を打つだけだった。
「で、貴方はそんな超反撃使いの彼が黒幕だと思いますの?」
「戦う前はそうだと思っておりましたが……今はわかりません」
「あら珍しい。貴方でもそんな曖昧な答えをすることがありますのね。理由を聞かせて頂戴」
少女の問いかけに、テレンスは言葉を選びつつ答える。
「はい。高い実力と知識に対して職業と年齢が噛み合っていなさすぎるためです」
「知識に関してはわかりますわ。私も隣の部屋で貴方と彼との話を聞いていましたから。彼の情報はとても的確でしたわ」
「その通りです。驚くほど的確でした。ですが、ハクタの町の冒険者ギルド周辺に出現しない魔物だったとはいえ、組織が持っていない情報をたまたま個人が持っている可能性というのは低いものです。ましてや低レベルの無職。他の拠点での実績もあるはずがないのです」
無職がハクタの町以外の拠点で冒険者が務まるとは思えない。
そうテレンスが断じた理由は2つ。
1つは先の模擬戦でもわかる通り、非常に耐久力が弱いため。
冒険者は常に死と隣り合わせの危険な稼業。それ故に普通は攻撃力よりも生き残る力——防御力をつける。生きていれば、五体満足であれば、また稼げるチャンスはやってくると多くの冒険者が知っているのだ。
2つ目は、ハクタの町周辺の地域は弱い魔物のみが生息しているため。こちらに関しては詳しい理由はわかっていない。
現在最も有力な説は、地域ごとに魔物の好む餌がありハクタの町近郊では弱い魔物が好む餌のみが自生しているのではないか、というものだ。
テレンスは続ける。
「さらに年齢が18歳、であれば無職であることがそもそもおかしいのです。お嬢様のような高貴なお生まれの方は別ですが、平民は普通15歳で教会から職業を授けられます。授与は年1回とはいえ、3回もそれを逃すというのはさすがに意図的なものを感じます。……私はあの男が元奴隷であるなら信じていたでしょう」
「……つまりどういうこと? もっと簡単に説明なさい」
長い話は少女には不満だったのか、かわいらしく頬を膨らませながらテレンスに指示をした。
テレンスはふう、と一息吐き、
「知識と戦闘技術を考えれば、あの男は何者かに師事していた、学園などの機関に通って教育を受けていた、など一流の人間とつながりを持っていたと捉えた方が自然です。ですが、それならばより強くなれるはずの職業を持たないことと辻褄が合いません。……あの男に関する情報が足りなさすぎるため、敵か味方か以前に、そもそも何者であるか判断できないのです」
「なるほど、よくわかりましたわ。確かにそういう視点もありますわね……ふうむ……」
「ですが、あの男が無職であることもまた事実です。直接的な排除は叶いませんでしたが、お嬢様と私の脅威になるとは思いません。今はしばらく外部との接触を行わず、ハクタの町の保護下にあるのが一番かと思います」
「それは、そうなのですけど……」
考え込む少女を見て、テレンスは跪いたまま動こうとしない。
自分はお嬢様を守る騎士。故に進言はすれど、彼女の命令か、命の危険が無い限りは動かないとテレンスはその心の中で決めていた。
すると突然、パンッ、と少女がその両手を体の正面で叩いた。
「そうです、私良いこと思いつきましたわ!」
その顔は非常に上機嫌な笑みを浮かべている。
テレンスにとってそれは、幾度となく経験してきた面倒ごとの始まりの合図だった。
ようやくのお嬢様再登場です。




