2-10 エマさん
マデリンの母で王妃のエマはサンレーム城にいた。フォルステール王国西部のサンレーム公爵領、すなわちジェイコブ王子の領地内である。
「エマ様、公爵様が戻られましたのでお支度を」
本来なら王妃様と呼ばれるはずのエマだが、この城ではエマ様と呼ばれていた。
メイドの手を借りて安楽椅子から立ち上がろうとするエマ。
そこへジェイコブが入ってきた。
「ただいま、エマさん。楽にしててくれ」
「ありがとう、ジェイク」
ジェイクと愛称で呼ばれるジェイコブは臨月に入ったエマの大きなお腹を優しく撫でた。
「順調かい? 俺たちのプリンセスは」
エマはクスっと笑う。
「あなた、今朝も訊いたわ。パパは心配性ねぇ」
お腹に話しかけながら愛おしそうに撫でる。
胎児の性別は医師の魔法によって判別していた。ジェイコブはすでにプリンセスと呼んで、我が子の誕生を心待ちにしていた。
「目に入れても痛くないほど可愛がるつもりだが、次は男の子を産んでもらわないとな」
エマは少し困った顔をする。
「ニワトリじゃないんだから、そうポンポン産めないわ。若くもないんだし」
「そんなことないさ、エマさんはまだまだ若くて可愛いよ」
四十一歳にしては童顔で肌つやもいい。マデリンの姉と言っても通用するぐらいの美しい人だった。
「まったく、父上の奥さんは魅力的過ぎて困る。兄上など初恋のミアさんにご執心で、いまだに独身でいるぐらいだしな」
ジェイコブがいたずらっぽくキスをするとエマも応じて濃密に口づける。
「父上のお嫁さんに手を出して、悪い子ばっかりね」
「いや、兄上は手出しはしてないさ。奥手だからね。あの手の男は永遠に初恋の聖女様に憧れ続けるのさ」
元々、ジェイコブの世話係だったメイドのエマを国王ジョージが見初めて結婚したといういきさつがあった。六つ年上で若いシングルマザーのエマはジェイコブ少年の初恋の人だった。
ジェイコブはエマを自分の城に軟禁こそしているが、乱暴したことはなかった。じっくりと時間をかけてエマを口説き落とし、父に横取りされた初恋の人を取り戻したのである。
エマは余裕のないシングルマザーの境遇から我が子共々抜け出したくて王妃になった。結婚してみるとジョージは優しく、愉快な人で大好きだった。だが、二人の王妃を亡くして老け込んだ王は若いエマを満足に抱けず、孕ませることもなかった。
そして、冷めかかっていたエマの心の隙にジェイコブが入り込んだ。かつてはメイドの立場で密かに抱いていた坊ちゃんへの思いを蒸し返され、二人はいつしか相思相愛の関係になっていたのである。
「そうだ、若くないと言えばね、魔王城にはやはり巨大なマナの霊脈口があるそうだ。あそこを攻め落とせば若返りが可能になるよ。それに……」
オスカーによれば、亡くなった二人の王妃は聖王の血を引く子どもを産んだために早逝した疑いが強いのだという。初代の王妃アビゲイルは王子を二人産んだし、二人目の王妃ミアは元々丈夫な人ではなかったこともあって、ジュリアンを産んだ時点で病弱になっていた。
「霊脈の力を使って体を癒せば、何人でも俺の子を産めるようになるさ」
「もう、しょうがない子ね……」
濃厚に口づけ合い、じっとりと熱を帯びた視線を交わす二人。
「マデリンは巻き込まないから安心してくれ。ジュリアンの子は産んでもらうが、一緒に霊脈口で癒せばどうってことないはずだ。そのためにも俺とジュリアンで魔王を倒し、父上には正式に引退してもらう」
野心に溢れる王子はお腹の中のプリンセスに配慮しながらも、力強くエマを抱くのであった。