1-2 右も左も
トイレから出てみると、そこは宿屋の一室だった。水洗トイレやシャワー、電灯のようなものがあるのにスイッチが無くて使い方が分からない。
窓から外を見てみると、石畳の道路に石造りの建物が並ぶヨーロッパのどこかみたいな街並みが見えた。
とりあえず偵察がてら散歩でもと思って階段を下りる。外に出ようとして宿屋のおかみさんらしき女に呼び止められた。
「あんた、今晩も泊まるのかい? 夜ごはんは?」
口ぶりから察するに既に連泊していたような感じだが、どうしたものか?
「まあ……行く当てもないし……」
おかみさんは眉をしかめる。
「あんた、お金持ってるんだろうね?」
陽平は慌てて尻ポケットや胸ポケットを触るような仕草で財布を探した。しかし、身に着けているのは高級そうなローブだったから、どこにポケットがあるのか分からなかった。
「あんた、なにやってんだい!? そんな立派な身なりしてるくせに、一文無しじゃないだろうね?」
陽平は首をブンブンと振る。
「たぶん部屋に財布を忘れてきたんだと思います! ちょっと探してくる!」
陽平は部屋に駆け上った。
しかし、いくら探しても財布どころか持ち物一つ見当たらない。
そうこうしていると複数の足音が階段を上ってくるのが聞こえた。
「憲兵さん、この部屋だよ!」
ノックされて開けると、二人組の憲兵がめんどくさそうに尋ねてきた。
「あんた金持ってないの? 無銭宿泊?」
「えっと、金が、財布がちょっと見当たらなくて、決して悪気があるわけじゃなくて払いたいんだけど……」
憲兵達は首を傾げた。
「あんたその身なりでステータス画面使えないの? 亜人……じゃないよな?」
憲兵の一人はいぶかしい顔のまま唱えた。
「王国憲兵グレン・ゲインズの権限においてステータスを強制開示」
すると、陽平の前にステータス画面のようなものが出現した。
「ヨウヘイ・ミツハシ四十歳……変わった名前だな。ジョブは賢者で……って、賢者? 初めて聞くジョブだな。おいおい、レベルは99のカンスト様かよ。なんだ、ちゃんと金持ってるじゃねーか」
憲兵が示すところには金額らしきものが書かれているが、そもそも文字が全く読めなかった。
システムボイスが聞こえてくる。
「フォルステール語を日本語に翻訳しますか?」
憲兵が出したステータス画面の横にダイアログボックスが出てきた。はい・いいえのほかに、以降全ての言葉を翻訳するというチェックボックスがあったのでチェックを入れて、はいを押した。すると、壁に貼ってあったポスターやら何やらまで全て日本語に見えるようになった。
ステータス画面を盗み見たおかみさんは機嫌が良くなって憲兵達に言った。
「無駄足を踏ませてすまないねぇ、そうだ、良かったら」
そう言って一旦台所に走っていったおかみさん。グレープフルーツのような柑橘を紙袋いっぱいにつめて戻ってきた。
「これ、甘くておいしいから、良かったら持っていってちょうだい」
憲兵はにこやかに受け取り礼を言うと、陽平に振り返った。
「あんた、職業が空欄だったようだが失業中だな? 観察対象リストに入れたから三日以内にギルドに行って職業をもらえよ。じゃないと監獄行きだからな」
三日以内に就職しないと監獄行きと聞いて陽平は青ざめた。せっかく異世界にきたのに苦手な『労働』が追いかけてくるなんて。愛想笑いで憲兵達を見送ったものの、どうしていいか分からない。
「それにしても、ステータス画面やストレージの使い方を忘れるなんて間抜けな人がいるもんかねぇ? 昨夜はそんなに酔ってたようには見えなかったけど」
おかみさんに教わってステータス画面やストレージの使い方が分かった。
お金は提示されたダイアログボックスに同意するだけのキャッシュレス決済だし、必要なものをストレージから選べば手元に現れるという便利なシステムだった。
どおりで、財布を探す人間というだけで怪しまれたというわけだ。ちなみにトイレや電灯も微弱な魔力を流して作動させるもので、すぐに使えるようになった。
「あんたほどの人ならきっといい職業をいただけるよ。さっさとギルドに行っといで」
おかみさんに尻を叩かれて送り出された。
メインストリートに面したショーウィンドウや出店を眺めながらぶらついていると、ギルドがあった。いわゆる冒険者ギルドのようなところだが、冒険者以外の仕事もここでもらうらしい。
スイングドアを押して入って行くと、冒険者達が飲み食いして賑やかなバーがあり、その奥に受付があった。三つほどある受付にはそれぞれ事務員風の格好をした可愛い受付嬢がいた。