神薙平八の醜い身と心に越路流星は辟易する。
食とは人間に許された最高の贅沢である。
過去の偉人が残したその言葉に感銘を受けて以来、神薙平八は食欲へのタガを外すことを心に決めた。そしてその代償に彼は自分の股間を直に見ることが出来ない身体を得ることになった。
まるで風船に手足の生えたかのような醜い姿を持つ平八だが、彼はそれを不便に感じたことはないことはない。
「おちんちんを使う機会なんておしっこの時とエッチの時だけでしょぉ? それって別に目視が必要ということではないじゃなぁい?」
そのデリカシーのない言葉こそ越路流星が平八と初めて交わした会話である。
昨年の4月……つまり自身の入学式を思い返した流星は、来月に演劇部で公演する舞台の台本を手にしながら平八をチラリと見た。
「あれから益々醜くなったわね。部長」
「にゅふ? 何の話だぁい?」
昼休み終了の予冷が響く一室で、後頭部にまで段差が出来た肥満の身体で平八が振り返る。
その姿は誰がどう見ても醜く滑稽だった。
平八が身体を動かすたびに彼の座るハイバックチェアは悲鳴のようにギシギシと音を鳴らす。
そんな椅子の思いも知らずに平八は手に付いたスナック菓子の油を汚く舐めとっていた。
「ゲフッ……ん~このスナック味が落ちたなぁ。化学調味料の配合を間違えたんじゃないかなぁ?」
油と唾液にまみれたまま彼はキーボードに手を伸ばそうとする。
その行動を訝しげに見ていた流星は思わず声を荒げた。
「ちょっと! 外見だけでなく行動まで醜くなるつもり!?」
流星はそう告げると、簡易除菌照射器を手にとって長テーブル上滑らせる。
平八は手元でピタリと止まった除菌照射機を見て「にょほ! ありがとだねぇっ!」と言ってから涎塗れの手で照射機を受け取ると、おざなり程度に手にかざしてからキーボードに手を伸ばした。
「ん~? あれぇ?」
平八は手を伸ばすがデスクの上に浮かぶキーボードに手が届かない。
彼の腹部がデスクに当たっているせいでそれ以上腕を伸ばせないからだ。
平八は「フヒュー」と息を鳴らしながら特注サイズの制服の胸ポケットからハンカチを取り出す。
そして、三重になってしまった顎の1つ1つの隙間にハンカチを滑らせて汗を取り除いた。
平八は椅子を回転させ横向きになると、何とかキーボードを浮かばせる手のひらサイズの映写機を手に取り、それを臍辺りに置いて自らの腹部にキーボードを映し出させることにした。
CBという美形が当たり前の世界で、平八の醜さはある意味個性的と言えるかもしれない。
それでもその醜さの化身ともいえるような姿は観ていて不快にさせるものがあった。
個性的ではなく醜いものは、どうあっても醜いのだ。
流星はその残酷さに悲しみを感じながら、再び彼を咎めるように注意した。
「部長。“レ・ミゼラブル”をご存知?」
「にゅふ? 勿論知ってるよぉ?」
「あなたの行動は晩年のファンティーヌのように滑稽だわ。いいかげんB変という場面転換が必要ではないかしら?」
演劇部の花形スターならではの流星の言葉に平八は珍妙な笑みを浮かべた。
「にゅふふ! 残念無念! 新しいCBはもう少し掛かりそうなんだよねぇ~」
思わず目を背けたくなるような笑顔を振りまきながら、平八は贅肉の上に浮かび上がるキーボードを短い指で起用に叩いていた。
流星は再び溜息をつくと一度足を上げて勢いよく立ち上がり、彼女の美しいスタイルをクッキリと浮かび上がらせた。
制服のバリエーションが豊富な美嶋高校において、流星の選んだパンツスタイルはもはや彼女の為にあると言ってもいい。中性的な顔立ちとショートボブに切りそろえられた髪はまさに男役女性の代表格ともいえる姿だった。
「さっきから何をやっているの? 昼休憩ももう最終楽章よ? ……って何よこれ……」
平八が熱心にキーボードを叩き上げながら作っている企画書に目を向けると流星は思わず閉口する。
そして平八の外見ではなく、内面の非情さに引き攣った表情を浮かべた。
「にゅふふ! 頭いいと思わないかぁい? これでウチに来る依頼二件同時にクリアだよぉ?」
悪気もなく無邪気に……まるで漢字テスト中に、教室内の掲示物に答えを見つけたかのような笑みを浮かべる平八に流星は顔を顰めたまま答える。
「本気でこれを進めるつもり? ネジが飛んでるわね」
「にゅふ! 彼女には連絡しちゃったからねぇ! あとは足立っちに任せるよぉ」
「そういえばあの童貞坊やだけど。まだあの仮面付けさせるの?」
「勿論だよぉ。その方が緊張しいの彼には良いんじゃないかなぁ?」
「緊張しいの後輩と醜いブタの先輩……妙な組み合わせね」
「ふぬぅ! 越路っち! ブタはいくらなんでも失礼じゃないのかぁい!」
「あら? 豚は決して体脂肪は多くないの。そしてブタを醜いとは思わないわよ?」
「ならぃよし!」
不毛な会話に終わりを告げるかのように昼休み終了前の予鈴が鳴り渡る。
予冷を合図に流星は平八に背を向けるとそれ以上何も言わずに掃除ロッカーの方へと歩いて行く。
ロッカーには“潤滑部”と書かれた千社札が斜め掛けで張り付けられていた。