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五月の綿裏包針  作者: 五月の綿裏包針
ざわつく五月八日
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四十物将生は何でも知っているが東條那由香の気持ちには気付かない。

 昼休み中ということもあって、校内からは賑やかな声が聞こえていた。

グラウンドや屋内運動場からは運動部の声が響き、文化棟から吹奏楽部のチューニングやピアノの音、合唱、芝居じみた演劇部の発声練習も聞こえる。


いつの日かこれらの声や音を懐かしむ時が来るのだろう。

四十物将生はそんなことを思いながら、窓の外に広がる広大な美嶋高校の景色を眺めていた。

生徒たちの賑やかな声と雄大な景色、これだけで生徒会長としての幸せは充分噛みしめられるのだ。


「じゃあ四十物君。僕は先に教室に戻るね」


青春の音と一緒に鏑木の声が将生の耳に届く。

背もたれに両腕と顔を乗せる逆座りで外を眺めていた将生は、いつものようにワイルドでありながら無邪気な表情で振り返った。


「あ、はい。お疲れっした」


生徒会長でありながら副会長の鏑木に敬語を使う理由は至極単純で、将生にとって鏑木は一学年上の先輩だからである。


 将生は二年生にして美嶋高校の前期生徒会長の座に就いた。

これまで後期での二年生生徒会長は存在したが、前期でその役を担ったのは史上初らしい。

そんな将生に対して鏑木は軽く手を上げて生徒会室を出て行く。その後を会計の尾島が付いていくが、尾島の方は将生に見向きもしなかった。


 生徒会室は広いのだが承認待ちの書類や自治体からの要望書、事前対策のための資料などでごった返していた。しかし二人減っただけで人口密度が和らぎ、どこか広くなったような気もする。

人気がなくなった室内で、将生は一般生徒用の椅子から立ち上がると、書類の山を避けて歩を進め、自らの座席……生徒会長専用の座席に腰を下ろした。


「四十物君。先月の総務委員会に届いた目安BOXについてなんだけど」


将生以外の人気が無い部屋の中で書類の山の向こうから生徒会書記補佐にして同級生である東條那由香(とうじょう なゆか)の声が届く。

人の気配を感じ取りにくい中でも将生は彼女がいることをしっかりと把握していたので、その声に驚くことなく答えた。


「リスト化が済んだんだろ? 俺のタブレットに送っておいてくれ。明日は評議会だから明後日の生徒会会議の議題にすっからさ」


「分かったわ。あと、今回のボウリング部の件なんだけど……」


「その件はカブさんに任せとけって」


那由香の問いに将生は食い気味に答える。

将生の中にもプランはあるが今は鏑木のターンなのだ。ならば彼のカードの切り時ではない。

そんな将生の心情が納得できないのか、那由香は不満気な声を上げた。


「でも今日の古市文化部筆頭部長の言い分だと予算の削減は厳しい気がするのだけど……」


「大丈夫だって。ったく。オメェは昔っから変なところは大胆な癖に自分以外の誰かが絡む案件に関しちゃ心配性すぎんぞ?」


「私のこと理解してくれていて嬉しいわ。でもそれなら少しは安心させてくれる?」


彼女の嘆願に将生は呆れたように声をかける。


「安心しろって。俺は俺で切り札は持ってるからよ。黙って俺を信じてろ」


一瞬の沈黙が流れる。

この瞬間――恐らく彼女は切り札の正体、そしてなぜその切り札とやらを使わないのかと考えているのだろうと将生は思っていた。案の定、那由香は予想通りの質問を繰り出してきた。


「信じてるけど……というか策があるならどうして?」


あまりに予想通りの展開に将生は再び呆れたように声を上げた。


「かぁーっ! なーに言ってんだ? 切り札っつーのは最後まで取っとくもんだろ? 何より今んなことしたら今回の件が終わっちまう」


「え? 終わるって解決するってことでしょ? それなら早いに越したことはないと思うけど……」


「この件はそう簡単に終わらせちゃいけねーんだよ。裏に根深いもんがあるからな。その膿を出し切らねーと車谷のおっさんの犠牲も無駄になっちまう」


将生の言葉を那由香がどれだけ理解できているかは彼には分らない。

やがて、小さな足音が近づき始め書類の山の中から誰もが見惚れる美女が顔を出した。


「加害者が犠牲者……ね。いいわ。貴方がそう言うのならそれが正しいんでしょうから」


幼さと妖艶さ、美しさと可愛さ、グラマーとスレンダー、相反する魅力を全て兼ね備えた東條那由香は、まるで全てを将生に委ねるかのように再び尋ねてくる。


「その代わり一つだけ教えて? 四十物君は早く古市文化部筆頭部長に予算削減を認めてほしいのかしら?」


時より見せる那由香の意味の分からない質問に将生は思わず眉を顰めながら答えた。


「んーまぁそうだな。その方が次の動きが考えやすいってのはあるな」


将生がそう告げると、昼休みの終了五分前となる予鈴が響き渡る。

それと同時に校内からも人が移動する足音が聞こえてきた。


「さーて、そろそろ行かねーとな。生徒会役員が授業に遅刻はマズいだろ」


将生はそう言って立ち上がると首を回しながら生徒会室の扉に向かって歩を進めた。


          ◇


 那由香は将生の背中を追いながらポケットの中にある端末を操作していた。

今しがた将生に言われたように、那由香は他人事に関して心配性な癖に自分の願望の為なら大胆になる所があった。

そしてこの二つの特徴は彼女の中で重なることがあるのだ。


 東條那由香は誰かの為となる願望……ひいては想い人の為ならば大胆になる人間だったのだ。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 素敵な世界観で綴られる人間模様がとても良いと感じました! 文章力も高く、状況がとても分かりやすかったです! 事件の真相も気になる所ですね…! [一言] 事件の真相とは一体? 加害者ではなく…
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