ジャンヌが嫌いなものは実に分かりやすい。
無機質なのに美しい青空が広がるIDOBAの中で、三人のアバターはオープンテラスで腰を下ろしていた。
電脳世界の晴天という矛盾した光景は美しかったが、メスライオンの獣人ジャンヌは不愉快そうな表情を浮かべながら不本意にも再会したアバターの片方を睨みつけながら口を開いた。
「センスゼロね。貴方のアバター」
それは彼女の本物の憎しみが籠った言葉だったが、道化師の格好をした髑髏のアバター……トリックスターはキョトンとしていた。
「え? 何で? 髑髏なのにピエロって矛盾が良くない?」
「トリックシュターしゃんのアバターは中二っぽいんだょ」
彼の隣に座る眼鏡をかけた美幼女アバターである妹子が舌足らずな口調でそう告げる。するとトリックスターは骸骨なのにジト目と分かる目で睨み返した。
「いや、妹子ちゃんにだけは言われたくないね。あと何その喋り方?」
「SNWではこうしゅるって決めちゃの」
全く実りのない二人の会話を聞き流しながらジャンヌはストローでミルクティーをかき混ぜる。
そして未だにくだらない討論を続けようとする二人に目もくれずに不本意ながら尋ねた。
「それで? 貴方たちはアレ見つけてどうしたの?」
ジャンヌの問いに二人は顔を見合わせる。
回答前に顔を見合わせるというお決まりな行動展開はジャンヌを更に苛立たせるが、二人はそんなことを知ってか知らずか飄々と答えた。
「俺は一応作ったけどもうやめたよ。これ以上は無意味そうだし」
「あちしも作ってオチマイ。しょこからは何にもちなかったよ」
「妹子ちゃん。本当にその喋り方やめた方がいいよ?」
「にゃんで? 可愛いでしょ?」
二人のやり取りを無視するジャンヌは思案に耽りながら思わず独り言を呟く。
「……じゃ指示通りやってるのはガラハドさんだけって訳か」
「ガリャハドしゃん? 誰ちょれ?」
ジャンヌの独り言を聞き逃さなかったらしい妹子は疑問符を浮かべている。
だが嫌悪する人物からの問いに答える気はジャンヌにはない。彼女は妹子の問いに気付いていないように目を逸らしていたが、トリックスターが代わりと言わんばかりに説明を始めた。
「つまり、俺たち以外にもアレに気付いた子がいたってことだね。それがガラハドって子で、ジャンヌちゃんの言い方だとその子はまだ指示に従ってるってことかな?」
大方その通りなのだがジャンヌは答えるつもりはない。
何度も言っているが彼女はこの二人が嫌いなのだ。
今日もとある事情がなければ会うはずもないのだから。
ジャンヌは二人に目もくれず片手をかざしてマイページを開く。
宙に浮かびあがるその平面のページにはスケジュールや友人のアバターリスト&ログイン情報、移動ツールなど様々なコンテンツが保管されていた。
ジャンヌはその中から、先月IDOBAで行われた新入生のレクリエーション大会で見つけたあるデータを取り出した。
レクリエーションで行われたゲーム内のステージで所々に見つけた小さな壁の綻び。
それこそがジャンヌがわざわざこの二人を呼び出した理由である。
その綻びは三次元で構築されたこのIDOBAという世界を造り出すソースコードに隠された僅かな歪みのようなものだった。
そして、その小さな綻びは誰かが発見すると消えるように施されており、それと同時に気付いた者のマイページに妙なメッセージとあるデータが勝手に保存されたのだ。
〈第一ステージ 添付のデータを復元せよ。〉
添付されていたデータは新入生名簿一覧だった。
差出人も出現現象も不明なこの現象で唯一明確なことは一つ。
第一ステージということはそれで終わりではないということくらいだろう。
当然だが、慎重で真面目なジャンヌはこんな不可解なものに乗りかかりはしなかった。
しかし、気にならないと言えば嘘になるのも事実でもある。
他の友人に相談しようとも思っても、そのデータやメッセージは発見者以外に閲覧はできない。
そこでジャンヌはIDOBA内で同様の現象に出くわした人間がいないか探すために、そのデータを添付したスレッドを立ち上げた。
そして、真っ先に書き込んできたのが残念なことに目の前の二人だったのである。
唯一の救いはそのスレッドを立てたおかげで、ジャンヌたちより少し後に気付いたらしいガラハドとういう女子生徒と友人関係を持つことが出来たことくらいだろう。
ジャンヌがこれまでの経緯を振り返っているとトリックスターは残念そうに口を開いた。
「とりあえず俺たち以外に気付いてた人いたんだね。俺の予想外れたなー」
トリックスターの言葉にジャンヌは思わず振り返る。
彼らを嫌悪し今の今まで存在さえ忘れていた彼女だったが、トリックスターの口から出た予想という言葉に興味があったのだ。
「予想? 何のこと?」
ジャンヌの質問が珍しいのだろう。トリックスターはどこか意気揚々と答えた。
「今回の件に気付いたのは俺達三人だけだと思ってたからね。同中の三人が揃うなんて偶然とは言い切れないでしょ?」
「ちゅまり同じ中学の子があちゅめられたってこちょ?」
妹子の問いにトリックスターは飄々と答える。
「最初はね。それが外れたとすると、何か候補を絞って探り当ててるって感じかな?」
「候補ってにゃんの?」
「さぁ? 生徒会の新メンバーとしてスカウト? はたまた噂の潤滑部だったりして!」
「えぇ! しゅごーい!」
「……」
二人のバカバカしい会話にジャンヌは改めてこの二人が嫌いであると自覚した。
これ以上二人と同じ空間にいることさえ憚られたジャンヌは、テーブルに手をかざしてミルクティーの料金を支払う。
そして、飲み切っていないミルクティーをマイページに片付けた。
「あれ? もう行っちゃうの? 同中同士久しぶりに語り合おうよ」
彼女のログアウト、もしくは移動モードを察したのだろう。
トリックスターがそう尋ねてくると、ジャンヌは不快感を露わにしたまま答えてやった。
「結構よ。何度も説明しているにもかかわらず理解出来ていないようね。トリックスター君。私は貴方たちが嫌い……失礼、大嫌いなの。出来れば顔も見たくないほどにね。ここに呼んだのも今回の件について何か知っているか聞きたかっただけよ」
彼女はそう言い残すと、軽蔑の視線をだけを残してマイページから移動ツールを選択し自習室に向けて消え去った。
◇
二人きりになったオープンテラスで妹子はしょぼんとしながら口を開く。
「ジャンヌしゃん……今回の件何かと関係あると思ったのかなぁ?」
「え? 妹子ちゃんこの件ただのいたずらだとでも思ってんの?」
「ううん。絶対にゃんかと関わってると思うよ」
トリックスターはまさか妹子がそこまで見抜けていないかと思ったことが杞憂だったと理解する。
そして、いなくなったジャンヌのことを思い出しながら呟いた。
「ま、ジャンヌちゃんはボウリング部の件と絡んでいるのかもしれないって思ったのかもね」
そう呟くトリックスターの予想に妹子は両手で頬杖をつき、ストローを吸いながら尋ねてきた。
「ズーッ……ボウリング部ってあの事件にょ? そりゃないんじゃにゃい?」
「……一切関わってないって思ってんの?」
妹子の意外な返答にトリックスターは思わず真面目な口調になるが、妹子はどこ吹く風で内股をキープしながらアイスココアを飲み切った。
「んーボウリング部の件の人は別だと思うにょ。多分間接的には関わってんりゅんだろうけど」
「あぁそういうことね。それなら俺と同意見だね」
「ほんちょに!? あちし嬉ちい!」
「うわ! くっつかないでよ! 今度ランコミで知り合った子にようやく会うんだから! こっちでロリコンとか噂立てられたらどうしてくれんの!」
やがて、IDOBA内に昼休みの終了五分前の予鈴が響き渡る。
それを合図に二人は「じゃ」と言ってIDOBAからログアウトした。