天道寺日向が見る美嶋高校の顔役たち。
美嶋学園高等学校は全国的にも文武共に秀でた高校として有名である。大学に進学せずとも、この高校の卒業者となれば多くの企業が関心を示すほどに……。その理由として、この高校の進級制度が異常に厳しいことがあった。
美嶋高校で進級するには学業面、運動面のどちらかで秀でた結果を残すことが必須である。学業面なら年度末の全国学年別模試で全教科全国平均点のプラス十点以上を獲得する。運動面では全国大会出場レベルの記録を残す。このどちらかを満たせなければ留年となり、留年すれば即退学という厳しいルールがあったのだ。
しかし、それ以上に企業がこの高校に注目する理由がある。それは、自主・自立という校訓に則った、校内運営を生徒が行うという点である。もちろん、OB・OGを中心とした理事会や後援会が後ろ盾になってはいるが、現行の運営は生徒会や各委員会、百を超える部活動の運動部筆頭部長、文化部筆頭部長等によって行われていた。
この生徒会・委員会・部活動の三つの勢力がほどよいバランスを保つことにより、美嶋高校は見事なほどに安定した運営力を持っていた。この運営・経営という他の高校にはない実績が多くの企業の目に留まっていたのだ。そして今、その三権が一堂に会する臨時の三権評議会が行われていた。
生徒会役員・各委員会委員長・運動部&文化部筆頭部長が腰を下ろす円卓で銀縁眼鏡の似合う童顔の生徒会副会長鏑木康太郎は一人起立しながら先日起きた事件の経緯と対策を説明していた。
「車谷元教諭が示談金を払い、被害者の女子生徒はそれを受理。警察への被害届なども出さなくてよいという言葉を残しています。以上で元ボウリング部顧問、車谷新之助元教諭による女子生徒淫行事件の経緯説明を終えたいと思います。では引き続いて今回の事件における我が校の対策についての説明に移りましょう」
鏑木が目配せをすると、切れ長な目をした冷たい表情の尾島あきら生徒会会計が、円卓にはめ殺しにされているタブレットの上で指を滑らせる。すると、それぞれのテーブルにデータが滑り込むようにして映し出された。
全員に資料が行き届いたことを確認した鏑木は銀縁眼鏡の位置を直しながら再び説明に入った。
「まず、至急我が学園に必要となるのは新たなボウリング部顧問、そして二年生の体育指導教諭の人材確保です。この人材は現在募集しており、人件費節約も兼ねて車谷元教諭同様に両方を兼任できる人物が好ましいと考えています。今の所、応募者は七名。内三名が理事会より推薦を得た人物です。皆様の手元に届いたデータにはその三名のみ記載させていただいております。そして事件の被害者である女子生徒に関しては示談が成立していますが、我が校の責任も少なくはないと考え治療費としてリストにある金額で今後の治療の手助けを行えればと思っております」
リストに載る金額を見て評議会の面々は騒めく。そんな彼らのリアクションを想定していたのか、鏑木は自らの提案に加勢ともいえる補足を行った。
「被害者の女子生徒は先々月中学を卒業し、この学園に入学して一月も満たない新入生です。成人男性から性的暴行を受けるというのは、我々が思う以上の恐怖があったはず。その心に負った傷は計り知れません。ここにある金額は少なすぎることはあっても多すぎることはないと思っています」
鏑木のド正論とも言える補足を聞いた総務委員長の天道寺日向は呆れたような溜息をついた。
「(はぁー……そんなこと言ったらーもう誰も高いって言えないじゃーん)」
これでは一方的な決定事項の報告であり会議、議論の意味はなくなる。
……となれば彼女がここにいる意味もなくなる。
……となれば家に帰って昼寝に興じたい。
日向は心の中でそんな願望を思い浮かべると、頬杖を付きながら欠伸をかみ殺した。
日向の中にある鏑木康太郎という男の印象は“勝ち戦しかしない策士”である。つまり今回の淫行事件の説明・対策を鏑木が担うと聞いた時点で、すでに追及する余地はないと考えられなくもない。現に周囲の面々は心の奥底で日向と同意見なせいか、額面に対して問題提起することはせず沈黙を保っている。
そんな中、静寂を切り裂くかのように日向の右前に座る生徒が手を挙げた。
「一つよろしいかな?」
「(うわー古君が手挙げちゃったー面倒くさそー)」
日向は発言者が文化部筆頭部長の古市和樹だと確認すると、うんざりした表情を作った。
日向の中にある古市和樹という男の印象は“自己顕示欲の塊”である。彼は所属する吹奏楽において神のように崇められていた。現に彼が入学して以来、吹奏楽部は全国吹奏楽コンクールでゴールド金賞を逃したことはなく、その実力は確かなものである。そんな彼は恐らく普通の高校に所属していれば校内一の有名人と呼ばれてもおかしくなかっただろう。しかし、この美嶋高校ではそうはいかない。何故なら彼以上に影響力を持つ生徒会が存在するからだ。自己顕示欲が強い古市にとってそれは何よりも許し難く、敵対心を持つべき存在だっただろう。その証拠に彼が生徒会の意見に盾突くのはこの評議会の定番行事になっていた。
そんな反骨心むき出しの古市は進行役の来栖小百合生徒会会計補佐の許可を得ると、まるで臨戦態勢を整えるかのごとく制服のジャケットを伸ばしながらゆっくりと立ち上がった。
「なるほど。生徒会のご意見は理解できます。しかし、これだけの治療費をどこから捻出するおつもりでしょうか? 僕の記憶では先月の定期評議会で提出していただいた前期予算案では到底まかり切れない額面と思いますが?」
古市の質問に鏑木が再び手を挙げる。来栖からの許可を得ると鏑木は再び立ち上がった。
「予算に余裕がないのは当然です。予算の見直しについては……」
「前置きは結構。僕が聞きたいのは結論です」
「古市文化部筆頭部長、発言は挙手後に」
答弁を遮った古市は来栖の注意を受けて「フン」と鼻を鳴らす。鏑木はというと余裕の表情で説明を続けた。
「端的に申し上げて、前期予算の中から捻出します。問題はどこを削るかという話になりますが、部活動内の問題ですので、当然各部部費の予算から捻出します」
鏑木の説明に古市が再び手を挙げるが、日向は彼が何を言いたいか分かっていた。部活動の問題とは言え部費の削減は許し難いのだろう。何よりも古市の表情は闘争心を出しながらもどこか満足気だったから間違いない。
「(鏑君の説明が予想通りだったんだろうなー分かりやすいよねー古君はー)」
日向はこの後の展開が既に見えてしまったので会議自体に興味を失い、昨日塗ったネイルを眺めて時間をつぶすことにした。
◇
古市は想定通りの鏑木の返答に意気揚々と挙手する。
彼は自分のそんな心情には誰も気付いていないだろうと思いながら、勝ち誇った笑みを浮かべ来栖の許可を受けてから勢いよく立ち上がった。
「それはおかしいですね。今回の件は教員の問題であって部活動の問題ではない。我々部活動の部費から削減されるというのは納得しかねます。責任を負うべきは、ずさんな教員の管理体制を敷いた者たち、つまり生徒会にあるのでは?」
古市は嘲笑するように生徒会役員たちを見下ろす。
生徒会会計の尾島はその眼光を迎え撃つが、鏑木と彼の隣に座るワイルドさが滲む端正な顔立ちの青年は古市の眼光を全く意に返していなかった。
その姿が余裕に映り古市は益々苛立ちを募らせて言い放った。
「部費削減に関しては筆頭部長二人の承認が必須のはず。納得のいく説明がもらえるまで僕は承認するつもりはありませんよ」
古市は言うだけ言って腰を下ろすと議事堂は静寂に包まれた。
古市の想定ではこれ以上の審議はない。
生徒会側も恐らくこれ以上の説明資料は持ち合わせていないと踏んでいたからだ。
「え、ええと、ではその、あ、四十物生徒会長! 最後に何かありますか!?」
古市を含む評議会の面々からの視線に耐えかねたのか、来栖は古市が最も憎らしく思う生徒会長に救援依頼にも似た視線を投げかけていた。
鏑木の隣に座っていたワイルドな好青年……美嶋高校生徒会長の四十物将生は組んでいた腕を解いて立ち上がった。
「んじゃ、今日の臨時評議会はこんなとこで。カブさん……じゃなくて鏑木副会長は明日の臨時評議会までに今回の件のとりまとめといてください。他の委員長さんたちは生徒間の混乱しないように配慮を。筆頭部長さんたちは……」
将生は敵意を向ける古市と隣の高柳椿運動部筆頭部長の方に振り向く。
そして、そのワイルドな顔立ちからは考えられない屈託のない笑顔で告げた。
「夏の大会とかに向けて頑張ってください」
将生のそのギャップのある笑顔は多くの女性が虜になるであろう魅力があった。
しかし、それが古市をさらに苛立たせたのは言うまでもない。
昼休憩の時間を十数分残して臨時評議会は閉会した。