「後の祭り」
5
「キゴウ。戻ってきたか」
声が遠くから響いてくるが、頭の中で意味にならず通り過ぎていく。
「聞いて、キゴウ」とケイがキゴウの肩をゆする。まだ状況が呑み込めず顔をしかめていると「いや、やっぱ大丈夫か? しんどそうだな」とケイは察した。
「大丈夫だから、言って」とキゴウはそこで、何となく状況を察してケイに返事をした。
「うっし! じゃあ」とケイは決意を吞み込むようにする。「さっきの試合、世界ランク3位がいたんだってよ。最後まで良く逃げ切ったよ。すげぇなお前。凄いポイント稼いでるぞ。すご、やっぱお前すげぇんだな」
「3位?」
「そうだよ。そいつとやり合ったんだぞ!」
そういわれてもどこか実感が無かった。思考回路がまだショートしていて、整理をする力が残っていないようだ。
「とにかく一回治癒したほうがいいよ。ね、キゴウ。ケイ、私達は少し待とう」柳がそういって、掌でキゴウの目を閉じさせた。
空間を治癒モードにして、深い海の中に潜っていく。
「後で落ち着いたら、飲みに行こうよ」最後に柳からそう聞こえた。
治癒が終わり、眠りから覚める。精神は大分落ち着いていた。
あの戦いの鮮明なイメージと危機感が消え去り、起きてすぐ忘れてしまった夢のように曖昧になっている。
――一度仮想から出て天井を見上げた。
何もない空中には、柳からアドレスつきのメッセージが来ていて、“飲み屋”にいるとのことだった。キゴウはまたログインして、二人がいるというに座標に向かった。
夜の街は黄色の光をまとって輝いている。
タイル状の赤い地面の上を、賑やかに人々は通り過ぎる。小さい長方形の箱が人の間を恐る恐る進行し、水たまりを弾き広げる。
水に匂いが辺りに充満する。所々に街灯が水たまりの中にも宿っていた。
世界の設定を瞬時に頭はダウンロードした。過去のパリという街並みを再現しているらしい。
緑色に切り替わった信号を、この世界のルールに沿って渡る。
交差点の角に、ケイたちがいる店はあった。
店内に入ると、角の少し静かになっている机で二人は飲んでいた。そこの空間だけ世界の音量は抑えられて、しっとりと声が通りやすくなっているようだ。
キゴウはそそくさとケイの隣に座った。
「よぉヒーロー」とケイは既に出来上がって、顔がほんのり赤くなっていた。
「最高に上手いな。俺はこんなものを知らなかったのか。人生損してたぜ。メタバース最高ぉ」と彼はグラスを掲げた。
店の客たちの何人かが、ケイに合わせて愉快に杯をあげる。
「おぉ気が利く演出だな」とケイ。
「ちょっと冷ましてよー。めんどうくさいから」とキゴウが言うと「まぁいいじゃん。初めてなんだから」と珍しく柳がケイを庇った。
「いやぁ、なんか上手いも食えよ。うめぇぞ。こんな上手いの初めて」とほっぺに肉を膨らませながらケイが言う。
「そりゃ、そう感じるようになってるからね」
「味気ねぇこと言うな。味が落ちる」
ケイは満足げにグラスで酒をあおる。仮想の中にいると、自然主義的な振る舞いはむしろ顕著になるようだ。
ぷはーとわざとらしく彼は息を吐きだして、ジョッキを机の上にドンと置いた。
「キゴウ、アレやばかったぞ~」と意気込んだ口が動きだした。「観客もちょ~盛り上がってた。凄ぇ早さだったな~。ほとんど見えなかったぜ」
「観客って」
「そりゃ世界3位の試合だから、視聴者数もすごかったんだ」
「そうなんだ」
キゴウからすると外の世界のことなので、まったく実感がない。
柳も頷いて「すごかったよ」と笑う。
ケイは疑わしいが、柳が言うならそうなのだろう。
「俺達リアルにいけんじゃねぇの、本当に。3位とあれだけやりあっちゃうんだから」
「逃げただけじゃん。しかも向こうはやる気無かったっぽいし」
「いや、だってキゴウもブランクあけだろ?」とケイは何を言ってもポジティブだった。
「昔の記憶もほとんどないのにこの強さですよ。いや、神ですわー」
「とりあえず私達は速攻で死んだだけ」と柳が冷たい横やりを入れた。
「馬鹿、俺は初めてですよ。それで3位と相対すまで残ったんです。もう十分なんです!」
「キゴウに助けてもらってただけでしょ」
「ちがっ 俺達は二人で」「ハイハイ。おこぼれやろう」と二人がワタワタやり合う所で、キゴウは割り込んだ。「実際ケイは凄かったよ。初めてなのにあんな爆発を起こして」
「爆発?」
「そうそう。あぁそうか。分からないか?」
キゴウはケイと柳に、あの飛行の方法について説明して聞かせてやった。
「コイツ……霧しか出せないのに、自滅効果は凄いって……どんだけチキンなの」と柳が苦しそうに笑っている。ケイは憤怒して、何故か天を向いて神に祈り出す。キゴウは「それだけケイに潜在能力があるってことだから」とフォローをいれる。
そんなこんなであっという間に時が過ぎた。いつも3人でいるが、こんなふうに騒ぐことは初めてかもしれなかった。ゲームのアルコールが効いていたのかもしれない。
次第に店の人達はいなくなっていき、何もかもが静かに落ち着いた。キゴウ達のテンションに合わせてゲームがそう演出してくれたのだろう。
3人は店を出る。風の冷たいレンガの上を歩きながら「行けるかもな、現実に。俺達三人で」とケイは二人と肩を組んだ。
「行ってどうするの?」と柳が聞く。
「分からん。でも、なんかとりあえず、行く宛があったほうが良い」
キゴウは頷いた。柳はいつも通り口元だけで微笑した。
望めば仮想の中で全てを叶えられる世界。
欲望はとうに昔に消費され尽くし、何かをしたいと願望を抱く人間は稀だった。その願望がいわゆる光であって、何もすることがない人間は、何かをしたい人間の後をついていくだけだ。
ケイは光で、形のない道に行く先を見出す人間だった。
キゴウは彼がどこに向かうのか。その道をたどっていくだけのNPCだった。