10 雨の日と折り畳み傘
「ねえひーくん、一緒に帰ろ」
「あぁ、いいよ」
下校時刻になったため、俺たちは荷物をまとめて帰る準備を始めた。
結局あの後、小野田君はすぐにスマホで下松さんに連絡を取り、会う約束をしていた。少しいざこざは起こるかもしれないが、きっと良い方向になる、そんな風に思えた。
「では先輩、また明日。お疲れ様です」
「美祢君、お疲れ様。柳井さんもまたいつでもおいで」
「はい、ありがとうございます」
彩は深々と礼をした。というか、このような特殊な部活に、部員でもない人がいつでも来ていいものなのだろうか。
「あ」
昇降口まで来たところで、彩が不意に声を出した。
「どうしたんだ」
「傘忘れちゃった」
「どうするんだよ。先週折り畳み貸したから、今日は持ってないぞ」
「んー、濡れて帰るかなぁ」
そのセリフとは違って、彩はニヤニヤしながら俺の方を向いている。
はあ、と一息ついてから俺は傘を差した。
「一緒に傘に入るか?」
「うん」
俺と彩は傘の中で身を寄せ合いながら歩いた。傍から見ればカップルに見えるのだろうか。
「ねえ、そういえばさ」
しばらくの沈黙の後、彩が口を開いた。
「どうして今回のことが、精神的なものってわかったの?」
今回のことというのは、小野田君の一件のことだろう。
「これだよ」
俺は一冊の本を取り出した。そこには、一人の外国人の男性が、いろいろな衣装を着こなした写真が多く載っている。
「誰これ。有名なモデル?」
「レオポルド・フレゴリという、早着替えで有名な喜劇俳優だよ」
「へえ、でその人がどうしたの」
「この人にちなんで付けられた症状として、フレゴリ症候群というものがある」
「ふんふん」
「この症状は、身近な人が変装して自分に危害を加えようとするものなんだけど、こういった症状は精神的に追い詰められた状態で起こるらしいんだ」
「なるほどね。それで、今回も精神に何かしらの異常があったから、好きな人を見間違えてしまった、ということね」
「そういうこと」
「でもどうしてそんなこと知っていたの?」
「いや、前に友達との約束を破って遊びに行ったことがあって。その時に、遊びに行った先で、今回の小野田君と同じような現象に陥ったことがあったんだ」
「そうなんだ」
まあその相手というのが彩だったのだが。
彩のことが好きだったころ、二人で出かける約束をした。ただ、女の子と二人で出かけるということをからかわれた俺は、そんなことはないと見栄を張るために、そのからかってきた男友達と遊ぶことを選んでしまった。結果として、彩に対して気まずくなり、好きという感情も抑え込むようになった。
時間が経ち、彩に謝ることはしづらくなってしまった。
「でも、ひーくん、かっこよかったよ」
「何が?」
「なんでもない」
彩はふふっと笑った。その横顔は、昔から全く変わらない。
「ねえ今度さ、また一緒に出かけようよ」
「はっ?」
突然の誘いに、普段出ないような声が出てしまった。
「いや、この前服買えなかったし、今度は私の服を見てほしいし」
「まあ、そういうことなら」
というか、これはまさしくデートなのでは、と悶々としながら考えていると、彩の家の前に到着した。
「ありがと、ひーくん」
「あ、あぁ。また明日」
「そうだ」
玄関の扉を開けようとした彩は、カバンの中から何かを取り出した。
「これ、この前ありがと」
彩から渡されたものは、先週俺が貸した折り畳み傘だった。
「お前、これ」
「じゃあまた明日ね」
ここ一番の笑顔でそう言われた俺は、その顔に見惚れて何も言えなくなっていた。
「……まったく」
俺の顔は自分でも分かるぐらい笑っていた。
雨の日も、なかなか悪くはない。
第二章は、これで終わりとなります!