09 僕たちがあげるのは、ちょっとしたきっかけ
翌日。今日も外は雨だ。
恋愛相談部の部室である図書準備室は、校舎の端ということもあって、周りはとても静かである。ただ、雨の日は校舎内で、運動部が活動をすることもあるため、いつもに比べて騒がしくなる。運動部の皆さん、頑張ってください。
部室には、いつも通り部員である俺と長門先輩に加えて、教室から一緒についてきた彩がいた。それぞれが、これからやってくる人物のための準備をしていた。
「ねえひーくん、この机の上の本が邪魔なんだけど」
「それ後で使うから置いておいて」
「美祢君、資料まとめておいて」
「それこの前のじゃないですか。先輩がまとめておいてくださいよ」
二人はゆったりとした動きで、準備を進めている。来客がいつ来るかわからないから、と焦ってしまうのは俺だけなのだろうか。
「し、失礼します」
と、あれやこれやとやっていると、待っていた人が来た。先週と同じく、運動着を着た小野田君である。
「どうぞ、そこに座って」
長門先輩は、いつも通り長机のところにある椅子へと促した。
小野田君は、ゆっくりと椅子へと向かった。その間に俺は机の上を整理していた。
「それでは時間も惜しいので、さっそく今回の件について話をしましょうか」
「お願いします……」
「今回、あなたが見たという下松さんですが、恋愛相談部の見解としては、すべて『あなたの見間違い』という結論に至りました」
「……え?」
土曜日の調査でも、三回とも下松さんの姿は確認することはできなかったし、それ以前のことについても、友人からの証言もあったことだし、見間違いでまず間違いないだろう。
問題は、『どうして見間違いをしたのか』ということだろう。
一度や二度ならまだしも、出先で何度も見間違いをしていた。さらにその度に、何かにおびえたような表情もしていた。何か事情がなければ、そんなことはないだろう。
「今回一緒に出掛けて、三回ほど小野田君が下松さんの姿を見たけれど、それぞれの場面である共通点を見つけたんだ」
「共通点……?」
俺の言葉を聞いて、小野田君は顔を上げた。
「いずれの場面でも、俺が小野田君の近くにいなかった。つまり言い換えれば、小野田君と彩の二人きりになっていた時に、下松さんの姿を見ていたんだ」
そう、一回目は更衣室、二回目はトイレ、三回目はコンビニの中と、俺は小野田君のそばを離れていて、彩と小野田君の二人きりになっていた。だから実際に小野田君が、『下松さんの姿を見た』と言った瞬間は見ていなかった。
「そして、その時のみに下松さんの姿を見たということは」
俺は一度大きく息を吸って、呼吸を整えた。
「以前に誰か別の女子と二人きりで出かけた、つまり浮気をしたことがあるのではないですか?」
「っ……」
小野田君の表情がこわばった。
見間違えや幻覚といったものは、その多くが精神的なものからくることが多い。加えて、小野田君の表情は何かに怯えているようにも見えた。
そういったところから、おそらく浮気をしたことがあるのではないか、という結論に至った。
「二週間前……」
ゆっくりと小野田君は話し始めた。
「部活のマネージャーと二人きりで遊びに行ったんです。明には話していなくて。映画館とか買い物をしたりしました。その途中で偶然、明の姿を見てしまって」
「その場で話したりはしたの?」
ずっと黙って聞いていた彩が口を開いた。
「いや、俺がすぐに見つけたから、すぐに隠れてあちらには見られなかったんだけど、それからずっと本当は見られていたんじゃないかって、怖くなっていたんです」
そこまで言うと、小野田君はうつむいてしまった。
彩は心配そうに小野田君を見ている。
「あなたがすべきことは二つに一つです」
小野田君が話してからの重い空気の中、ずっと目を瞑っていた先輩が口を開いた。
「一つはこのまま黙り通すこと。ただその場合、あなたが彼女と付き合い続けている間は、幻覚と闘い続けることになるでしょう」
「はい……」
「もう一つは、きちんと彼女に話すこと。話したうえで謝ること。許してもらえる保証はないですが、現状は改善される可能性があります」
俺ならどちらを選ぶだろう、と考えていると、彩が机の下で俺の膝に向けて、二本指を突き刺してきた。
またしばらく沈黙が続いた後、小野田君がゆっくりと顔を上げた。
「きちんと明と話してきます」
その目はさっきまでとは違い、意志のこもった目だった。