美祢真弘の場合
人生において他人を好きになるというのは、不可避なことである。
よく、「俺は好きな人はいない」、「俺って人を好きになれない」なんて言っている人がいる。しかし、それは大きな勘違いであると思う。そんな人に限って、何人も好きな子や気になる子がいるに決まっている。
万が一、本当に好きな人がいないとするなら、それは二次元にしか興味を持つことができない、もしくは人という存在に興味を持つことができないような、特殊な人間だけだろう。いや、その人たちも実際には、二次元のキャラクターに対して『好き』という感情を抱いていることになるが、今それは置いておこう。
だが一方で、恋人をころころと変えていくような人のことは、『ビッチ』だとか『たらし』だとか、言いたい放題にされる。たしかに、恋人を変えるのは俺もどうかとは考えるが、好きな人が変わっていくのは、当然のことであると思う。
なぜそんなことが言えるかって?
それはこの俺こそ、常に誰かを好きになっているからである。
ここで勘違いしてほしくはないのだが、決して俺が重度の女好きというわけではない。また、二次元のキャラクターを好きになっているというわけでもない(いや、たしかに好きなキャラクターはたくさんいるが・・・)。常に三次元だ。
小学5年の時に初恋を経験してから、いま現在に至るまで、常に誰かを好きになっている。ある時には、クラスでリーダーシップをとっていた子、別のある時には、たった一度しか話していないが、とてもいい印象を受けた子を好きになったこともあった。
でもそれらの恋はどれも叶うことなんて一度もなかった。
いや別に、告白して振られたということは一度もない。その子を好きになって、告白しようかどうしようか迷っている間に、その子が他の男子に告白をされたり、逆にその子が他の男子に告白したりということがあったからである。
その度に、『なんで告白しなかったんだ』、『俺が言ってもOKもらえたんじゃないの』といったことを考えた。でもそれらは全て、〝時すでに遅し〟である。
まあしばらくは後悔して、いじけていることが多々あったが、二週間もすればきれいさっぱり忘れてしまう。というか、そう考えるようにしてきた。そこで引きずり続けてもいいことなんてないし、ましてや『別れろ』なんて呪いやその系統に走ってしまったら、それこそ一生誰かと付き合う事なんてできなくなってしまう。
まあそんな感じで、新しい恋へと自分を導いていくのである。
この考えは、これからも変えていく気はないし、万が一変えるようなことになるとしたら、それは俗にいう運命の人に出会った時だろう。
美祢真弘、彼女いない歴十五年。俺は自分に誇りを持ち始めている。