異変の生じた日常
――悪い、夢を見た。
人が死ぬ単純な悪夢。
眠るたびに何度も何度も。最近よく見るのだ。
ただ、命を絶つのはいつも決まって同じ少女。
「死ねない」
そして、いつも同じセリフを吐いて死ぬ。
今日は自らの胸を包丁で突き、噴水のように血を噴射させ、死んだ。
昨日はトラックの前へと飛び出し、紙くずのようにされ、死んだ。
一昨日は……と、毎晩必ず見せてくる。
日数としては、繰り返して既に四日。
何故こんな夢を見るのか、何処を探しても理由が見当たらない。
悪夢を見るように呪いをかけられた———と言ってもここ最近で人に恨まれるような非道徳的な行為に心当たりはないし。気づかないほど人の心を捨てている訳も無い。
ならば、こちらの側の恨みか? と言うのも明後日の方を指摘している。
何故なら既に四回も死んでいる少女。その姿形、声に至るまで全く知らない赤の他人。
つまり、その少女を恨む以前にまるっきり見覚えがないのだ。
夢の少女からの一方的認知の可能性はあるが、それも恨まれるような事をした覚えはないので可能性としては低い。
まぁ、「たかが夢」と切り捨ててもいいのだが、同じ登場人物で同じ結末の夢を四日連続見ると流石に目覚めが悪過ぎる。
早くこんな日々は終わってしまえと。
そんなこんなで、今日の俺も寝不足で平常運転だという事だ。
◇
とある路線バスの車内。
後部座席の窓側の座席に腰をかけ、バスが進むと同時に過ぎ去る景色の線を無意味に眺める。
乗車人数はごく少数。
運転手と俺を含めると合計で六人だ。
各々、他の乗車客から離れた座席に座っている。
俺が何故バスに乗っているか、もちろん移動のためだ。
だが、その理由が余りにも良い子過ぎるから聞いてくれ。
――十月十日。
つまり、今日だ。
その日の朝、俺こと『椎名剱』は、ある重要なミッションを託された。
内容は超重要物の運搬。
少し聞いた話なのだが、中身は相当な代物らしい。
もし、このミッションが失敗に終われば、俺は二度と顔を見せる事は不可能だと考えている。
依頼者は、高校二年生で十七歳の俺より二十ばかり年上で、女性だ。
この女性——コ—ドネ—ムをMとしよう。
Mとの関係としては一本線で済む、単純な結びつき。かれこれ、十七年近くは同じ関係が続いている。
すると。
「高杉小学校前——。お降りの方は——」
「やっと、到着か」
まるで、遅かったなと言わんばかりの口調で、目的地周辺のバス停だと確認する。
ここまでの運賃を支払い、早々と下車。
すれ違いざまに、二人の乗客がバスに乗車するのを横目で視認した。
天候は晴れ。
もくもくと、雲が空にゆったりと浮かび、太陽の日差しが包むように体を照らす。
時刻は午前十時を回った頃。
黒に近い茶髪に黒眼。高二の平均的な背丈と体躯。
特技は無いのではなく、見当たらないと言いそうな、自分の事に全く無関心そうな少年だ。
言うほどの特徴も無く、すれ違う人が「ああ、男子高校生だ」と頭の奥の奥で思うだけの、つまらない外見。
名を銘栖剱。と何年か前はその名前だったが、今は椎名剱となっている。
そんな、彼。
今は依頼者、椎名ほとりの命に従い、所謂『お使い』を絶賛進行中だ。
まぁ、詰まるところコ—ドネ—ムMとはママ――母親のほとりの事で、内容はケ—キ作って遊びに行く予定だったが、急に仕事が入って行けないからケ—キ渡してきて。と言う理由だった。
やることも無く、暇を持て余すだけの土曜日だったので快く引き受ける事となり、こうしてお使いしている訳だ。
「えっと、確かここの道を左に曲がって——と」
ほとりの言う友達とは面識があり、幼い頃からの知り合いだ。
しかし、最近はめっきり会うことが無くなり、家の場所もおぼろげに覚えているだけ。
幼い頃の不安定な記憶を頼りに進む。
幸い、高杉小の近くで真っ青なカラ—の家なので、日が沈むまで迷う心配はないだろう。
「あ、あったあった。あの家だろ」
少し遠回りした気がするが、無事に着いたのだから、気にしない気にしない。
しかし、窓の縁も屋根の瓦も玄関の扉も。鮮やかなまでに青一色。凝視していたら、目が死んでしまいそうなほど違和感を覚える。
「え—っと。古江……であってるよな」
これ以外有り得ないと思うが、一応表札を確かめる。
もしかすると、奇抜な考えの持ち主が近くにもう一人居た。なんて可能性も無いとは言えないからだ。
「よし、あってるあってる。……流石にちょっと緊張するな」
チャイムを押そうと伸ばしていた指が、ボタンの直前で止まる。
顔見知りと言っても子供の頃だ。今となっては誰? なんて言われるかもしれない。
それに、どんな感じで接すればいいのかと、寸前で緊張が込み上げてくる。
「う—ん。やっぱり丁寧に対応した方が――」
など、あと十分間は自分の中でキャラを固めたかったが、
「――いらっしゃい。待ってたわよ」
突然、群青のドアが開き、優しい声と共に綺麗な女性が出迎えた。
「うひゃっ———」
これっぽっちも心構えをしていなかったので、変な声が出た。
出迎えてくれたのは、古江美波というこの家に住まう一人目の住人。
茶髪でロングな髪をゴムで一本に縛り、鎖骨辺りに垂らしている母性本能をヒシヒシと感じる女性だ。
「ん? どうしたの、どうぞ?」
「あ、ああ。すみません。さっさとお邪魔させてもらいますね」
「ええ、いらっしゃい」
と、早々と家内へと入り込む。
靴を脱ぎ、丁寧に用意されていたスリッパに足を置く。そのまま中へと案内され、リビングへと進む。
続いて顔を見せたのは、
「やあ、いらっしゃい。久しぶり」
この家の主人の古江見理。
全身見渡す限り、黒、黒黒。やけに体格の良い全身黒ずくめの男が、ふかふかのソファで寛いでいた。
「どうも、こんにちは。あ——、お久しぶりです。これ、母が作ったケ—キなんですけど……」
「ありがとう。美波、切り分けて皿にのっけてくれ」
見理がテ—ブルに既に用意されていた、皿を目線で示す。
「はい。わかっていますよ」
剱は持ってきたケ—キを奥さんに渡し、ソレを奥さんが台所へと持って行く。
「あっ、いやいいですよ俺は。直ぐ帰りますから」
「何だ? 別に今から様があるわけではないだろう」
「まあそりゃそうですけど」
嫌みな言い方だった。
まるで当然かのように、言ったのだ。
そこで、剱は少し不機嫌そうに返す。
「人の予定、勝手に占わないで貰えます?」
「ははっ、悪い悪い。いや、久しぶりに剱君と会うから楽しみになっちゃってね。本業占い師だから勘弁してくれよ」
「もしかして、俺が玄関であたふたしてるのも視えてました?」
「ああ、そう感じたからね。視えた訳ではないよ」
「どうだか」と口に出しそうになったが寸前の所で腹の中に飲み込む。
――古江見理。
彼は有名な占い師だ。
客の未来をズバズバと的中させ、今となっては時の人。
テレビなどには出演していないが、書籍など何本も出しており、占いに来る客も後を絶たない。
『占い師』の言う言葉が真実かはその占った本人しか知らない。適当な事を抜かしているか、もしかしたら本当の事を言っているか。
占ってもらったからと言って、その通りに生きれば幸せになれるなんて保証は何処にもなく、確定事項ではない。
だが、古江見理の占いはそうではない。
剱は確証に近い実感をもって、未来を予感、予言しているのでは無く。
未来を『視ている』と考えている。
つまり、未来視ないし、それに近い事を見理はやっているのだろう、という事だ。
しかし何故、剱は未来視に近いモノだと疑っているのか。
それは、表では占い師だが、裏では占い師もとい――魔術師だからだ。
『魔術』という存在がこの世界から消滅して、とうに五百年と経過している。
だから、今を生きている高齢者であろうが若者だろうが、魔術のマの字も知らず、そんなモノがあったことすら知らない人間も大勢と居るだろう。
見理がしているのは占いでは無く、魔術の行使と辿り着く奴など魔術師のみ。
それ以外の人は、魔術なんて不便なモノは消えたという固定観念で微塵も考えようとしない。
言い方は悪いが、イカサマだとは思いもよらないのだ。
もし、万が一、それに気づいた一般人がいたとしても、証拠を見つけることは不可能だろうし、証拠を探す必要も見当らない。
現に、見理は人の役に立っているのだから、それでいいだろう。
ついでに、だがその儲けで児童養護施設や幼稚園、保育園を設置したり、公園に遊具を設置したりと子供が大好きなおじさんだというコトは、今は置いておくとする。
「そうだ、ほとり君にこれを渡しておいてくれ。」
そうやって、ポケットの中から小さな箱を出した。
「なんですか、これ」
ケ—キを運ぶ手が止まる。
「不運を招かない指輪だよ」
そう、彼はグッズとして無料で厄除けのネックレスなどを渡しているのだ。
これに文句を言う捻くれ者などそうはいまい。
「へ———って、母さんもお客なんですか……」
「ああ、つい先週顔を見せてくれてね。少し悪い予感がしたので、作っておいたんだ」
「それで今日渡すつもりだったと。わかりました」
「頼むよ、彼女専用に作ったから絶対に渡しておいてくれ」
そう強く念を押される。
「――そうだ。剱君も占ってあげよう」
唐突に。
「それいいわね! いつ彼女が出来るかとか占ってもらったら?」
「よ、余計なお世話ですよ」
「遠慮はいいぞ、お金も取らないから。ささ二階の私の部屋へ」
「ん——なら、ちょっとだけ」とOKし、見理の自室へ。
まあ予想はしていたが、やはり薄暗い。
連れてこられた部屋は、占いをするにはもってこい? の薄暗さと空気の肌触りをしており、唯一日光の入る窓を二重のカ—テンで閉ざされている。
ぼんやりと見える大きな本棚には、びっしりと分厚い本が並べられ、光は目の前のロウソクの火、ただ一つ。
見理は目を閉じたまま、数十秒を経過させる。
その間、ピクリとも動かない。
息を吸った時に動く筈の肩すら一ミリも動いて無いように見えるので、心肺蘇生法を試そうかと何度か思った頃。
「そうだな」
重い口が開く。
剱は無意識に唾をゴクリと飲み込んだ。
「先ずは――剱君、最近人が死ぬ夢ばかり見ているね」
ズバリと。
同時に悪寒が全身を撫でていく。
その悪夢を思い出した事、それを言い当てたことに対しての恐怖だ。
剱は言葉で反応する事が出来ず、顔を縦に振る動作で応える。
「同じ女の子が何度も死ぬ夢だ。君はその子に覚えはないし、恨まれることはしていない」
その通り。
「ふむ。だが、悪いが君はこの子と会っている」
「――――――、え?」
頭の理解が少し遅れる。
「い、いつですか!? と言うか会ってるって事は実在の人物ってこと」
「そこまでは判らない。だが、心配しないでくれ。会ったのは今日だ。君の考える魔術的な呪いでも何でも無い。恐らくは出来過ぎた偶然だ」
「きょ、今日ですか!? 夢に出てきたような真っ赤っかの女の子なんて見てないけど」
見理は、剱の考える魔術的な何かという事もお見通しらしい。
剱は家を出てからの光景を蘇らせる。
主に映るのはバスの車窓から過ぎ去る景色。
「ああ、会ったと言ってもすれ違っただけらしい。君が認識していないという事はアッチも認識していないだろう」
「そうですか……」
「なに、落ち込むことは無い。私は占った後、その先を目的としているんだ」
徐に机の引き出しを手探りする。
すると、何かを取り出し――
「これを預けておこう」
剱の手に落としたソレは―――どう見ても髪留めだった。
「はは、あ――これで髪縛れと?」
「いいや、ソレは君が身につけるモノではない」
「それはどういう―――」
「それは自分で考えるんだ。確かに、君の言う通り私は視ている。だが、それを教えてしまっては、困難など無に等しいだろう。しかし、それでは人間の苦しみがなくなってしまう。成長は無くなると思わないかね?」
「―――――」
「ふ、まぁいい。ところでだが」
剱は髪留めをポケットの奥へと押し込み、席を立ち上がろうとする。
「――君は今も魔術は嫌いか?」
答えは恐らく無い。
幾ら考えようと、その答えは判らないのだ。
だが、
「――いいえ」
「では――死んだ父親は?」
「さぁ、それこそ占いで当てて下さいよ」
「そうしたいのだが、私は未来専門でね。しかも出来て一週間だ。それに、今の事は占えないな」