Relationship.3 -楽しめ! その時間-
学校の最寄り駅から2駅目で降りて10分ほど歩いた所に、両親が住む僕が本来帰るべき家がある。なんてことはない普通の一軒家だが、普段ここで生活していないせいかどこか懐かしく感じる。
母の車がある。もう帰って来てたみたいだ。カギは掛かっていなかったので普通に入った。あえて「ただいま」は言わない。
「おかえり、寒かったでしょ」
台所にいた母はせっせと忙しそうに夕飯の支度をしていた。「うん」と頷いた僕はリビングのソファーに座って、沈黙が訪れた時のためにあらかじめテレビの電源を入れておいた。
夕方のニュース番組が今日の出来事を淡々と伝える。包丁とまな板が接触する音をBGMに、僕はそれを頭を空っぽにしながら眺めていた。
母は中学校で先生をしており、国語を教えている。小学生の頃は漢字を、中学生の頃は古典をよく教えてもらっていた。母はあまり喋らないから何を考えているのかよくわからない。
けど、時折見せる笑顔には確かに優しさが滲んでいる。僕が余命宣告された時には涙を流していた。僕はまだ何も親孝行できていないな……情けない。
「お父さん、今日は遅くなるって」
僕は「そうなんだ」と適当な返事をした。父は商社で働く普通のサラリーマンだ。自分に対しても他人に対しても心配症で、僕が20歳で死ぬと分かった時は本当に慌てふためいてて少し面白かった。
優しい母と心配症の父、二人に対してどこか後ろめたさのようなものを感じ始めて、気づいたら距離が離れていたのかもしれない。僕がわけのわからないバケモノと戦っているなんて知ったら、父は卒倒するんじゃないだろうか。
「この前のテスト、どうだったの?」
母は目を細めて唐突に期末試験の出来を聞いてきた。
まずいな。今月の期末テストでは国語の最低点を更新してしまった。国語の教師である母に真実を話して醜態をさらすなんて、できるはずがなかった。
「うん、まあそれなりの出来だったよ」
うまく誤魔化せたかと思ったが母は「ふ~ん」とまるで全て見通しているような視線を僕に向けた。
ごめんなさい……めちゃくちゃ点数悪くて今週のクリスマスイブに補習受けることになりました。勉強もしっかりしなきゃいけないな。
その後も僕は自分から何か話すことはなく、たまに飛んでくる母の質問に無難な返しをしながら暖かな部屋でゆったりと過ごしていた。
食事を終えて風呂も済ませた後、出来立てのカップ麺を片手に僕は二階の自室に上がった。「夜食なんて珍しいね」と母に言われたが食べるのは僕ではない。
「うわああ、これがカップ麺かあ。ちゅるちゅるしてるねー」
謎の擬態語とともに感想を述べたルタ。そう、腹が減っているかと思いルタに作ってあげたものだ。
「早く食べないと伸びるぞ」
割り箸を渡すと綺麗にパキッと割ったルタは麺を数本掴んで口に運んだ。僕がいちから作ったわけではないが、食べたことがないであろうものに対する感想は気になったので「どう?」と味を聞いてみた。
「うん……ちゅるちゅるしてるね」
ルタはフフッと苦笑いを浮かべた。ちゅるちゅるって何なんだ……もしかしてあまり口に合わなかったのかな。するとルタはカップの上に箸を置いて、珍しく少し真剣な面持ちで話し出した。
「前から言おうと思ってたんだけど、どうやら味がわからないみたいなんだよね。奈乃のクッキーもどんな味かよくわからなかったし」
突然のカミングアウトに僕は言葉を失った。本当に味覚がなかったのか。そりゃ感想なんて言えないよ。あんな顔で僕に助けを求めるはずだ。
「じゃあ今まであんまり食べてなかったのは……」
「うん、そんなにお腹が空かないのもあるけど、やっぱり食べても何も感じないのは気持ち悪いから」
真顔ではあるが淡々と喋るのでルタが何を考えているのかはよくわからない。けど、人間にとって食べることは大きな楽しみの一つだ。ルタがその楽しみを感じられないことに僕は気づけなかった。
なんでだろう……何だか少し悔しい。
沈黙が続く予感がした僕はふいにカップ麺を手に取って、箸でごっそり麺を掴むと一気にズズッと啜った。まだ冷めてなくてそこそこ熱かったが、勢いに任せてどんどん口に運んでいってあっという間に平らげた。
ルタは「こいつは何をしているんだ」といった顔でポカンとしている。そりゃそうだ。端的に言えば食べ物を横取りされたのだから。僕だってなぜこんな奇行に及んだのかわからない。ただ、身体が本能的に動いてしまったのだ。
「ふう……そうだな、ゲームでもするか」
不思議がっているルタを尻目に僕はテレビ台の引き出しからしばらくやっていなかったゲーム機を引っ張り出した。急いでテレビに接続した後、何も言わずにコントローラーをルタに渡した。「なにこれ」とルタは興味深そうにジロジロとそれを眺めていた。
僕はルタを楽しませようとしていた。誰かを楽しませようとするなんて生まれて初めてのことかもしれない。
テレビには世界中で売れた格闘ゲームのタイトル画面が映されている。ド派手なエフェクトが飛び交う画面に「おおー」とルタは少し感動していた。
「よし、やるぞ」
僕がゲームをスタートさせると、ルタは「うん!」と元気よく返事をした。なんだかよくわかってないんだろうが、それでいいんだ。
一通り操作方法をレクチャーした後、僕たちは飽きるほど戦った。センスがいいのか、ルタはすぐにコンボを覚えて僕を圧倒していくが、歴戦の経験者としてのプライドが僕をそう簡単には倒させなかった。
久しぶりに誰かと遊んだ。すごく楽しかった。こういうのが友達なのかなって、こういうのが友達だったっけって思いながら。
僕には友達も恋人もいない。だけど、誰かとの関係の中で僕は生かされている。それは間違いない。
性格上、これ以上広げるのは難しそうだけど、せめて今ここにある関係は大切にしたい。そうすれば、3年後に「この関係を大事にしながら生きてきて良かった」なんて思えるかもしれない。
結局、何十戦もした後で僕はいつの間にか眠っていた。ルタも机に突っ伏して笑顔でぐっすりだ。むすっと起き上がり、テレビを消して、カップ麺のゴミを片付けようと手に取った時、ある事実が頭をよぎった。
……あれ? もしかして……僕、ルタと間接的に……!?
僕は自分の浅慮な行動を猛省しながら再び眠りについた。