Relationship.1 -食べろ! そのクッキー-
冬休みまであと一週間となった日の朝、シンとした冷たい空気が部屋を包んでいた。
今年の冬は例年以上に寒いとは聞いていたが、まさかここまで寒いとは思わなかった。そろそろ布団から出なきゃいけないのに寒さとダルさでそれを身体が全力で拒否している。
まあ、こないだすごく頑張ったし、たまには自分へのご褒美としてずる休みでも。そう自分に甘えて、再び夢の世界へ身体を預けようとした時だった。
「おっはよー! ほらほら、早く起きないと学校遅刻しちゃうよ!!」
バカでかい声とともに僕の布団は勢いよくバサッと剥ぎ取られた。冷たい空気が待ってましたと言わんばかりに一気に僕を包み込む。
寒いッ! てかうるさいッッ!! もちろん声の主はあいつしかいない。
「おい、静かにしてくれ……。おじいちゃんに聞こえたらどうするんだ」
僕は凍えながら飛び起きて、至近距離じゃないと聞こえないひそひそ声でルタに厳重注意した。ルタはさすがにまずいと思ったのか、口を手で覆いながら「ごめん」と謝った。
優雅に二度寝しようと思ったのに台無しだ。しょうがない、あと一週間だけだし頑張って行きますか。
制服に着替えながら僕は身体の節々の痛みを感じていた。この前の戦いでは初戦ということもあったが、運動不足が体力面でかなり足を引っ張っていた。いくら超人的なパワーを手に入れてもそれを使うためのスタミナがなければ意味がない。
そこで、生まれて初めて腹筋や腕立て伏せなどの筋トレを習慣づけた。冬休みにはランニングも行うつもりだ。……三日坊主にならなければいいが。
日常的に運動をしていない人間が行う急な筋トレの効果は悪い方向に凄まじく、毎日絶賛筋肉痛だ。これも僕の平穏を守るために必要な痛みだ、我慢しよう。
『あ、そうだ。人がいるところにカラットが出てもなるべく人前で変身しないようにしてね。一般人に正体を知られると何かと面倒だろうし』
僕の注意を気にしてか、ジュエライザーの姿になったルタは僕の脳内に話しかけてきた。
了解。僕も変に注目されるのは嫌いだからね。だからルタもボロを出さないように頼むよ。
『はいはい、わかってますよ』
やれやれと呆れたような口調でルタは返答した。全く、本当にわかってるのか……?
ふと時計を見るとかなり時間が経っていた。ヤバい、急いで行かなきゃ遅刻してしまう。少し騒がしくなったけど、僕の新しい一日がまた始まった。
二時間目の授業が終わった後の休み時間。相変わらず僕は窓の外を眺めつつ、向こう側に座っているルタの動向を気にしていた。
人がいない時ならもう慣れてきたしどうでもいいが、学校などの人前では必要以上に僕に接してこないように登校中にお願いした。ルタはいつもの調子で承諾してくれたが、果たしてどうなるか……。
少しドキドキしながらも静観していると「ルタちゃん」と彼女を呼ぶ声が聞こえた。ルタのもとへ来たのはこのクラスの委員長の五十嵐奈乃さんだった。
ツヤのある黒髪を腰の辺りまで長く伸ばしており、世間一般が美人と聞かれてイメージするような端正な顔立ちだ。
その手には何か入っている小さな袋を持っている。五十嵐さん、まさかあれをルタに……。
「私、お菓子作りが趣味で。クッキー焼いてみたんだけど、良かったら食べてみてくれないかな?」
優しい笑顔で差し出す五十嵐さんにルタは「ありがとう」と言いながらも、少し複雑そうな表情を浮かべた。
そういえばあいつが何か食べてるところ見るの初めてかもしれないな。僕が食べてる時も何も食べてないみたいだし……ダイエットでもしてるのかな?
丁寧に結ばれている赤いリボンをほどいたルタは、その中身を取り出した。袋からは3枚ほどクッキーが出てきた。色的にチョコクッキーだと思われる。五十嵐さんはワクワクしながらルタに「召し上がれ」と促して、ルタも早速1枚口にした。ああ、食べちゃった……。
「うん、美味しいよ」
マ、マジか……あいつ味覚大丈夫かな。「良かった」と五十嵐さんは嬉しそうに微笑んでいる。
五十嵐さんはたまにお菓子を作っては友達などに配っていて、僕も一度もらったことがある。しかし、大変失礼ではあるがその出来栄えはお世辞にも良いとは言えず、はっきり言ってしまえば非常に不味い。五十嵐さん本人は天然、悪く言えば鈍感なので皆から不評だとは気づくことなく、せっせと作り続けているのが現状だ。
けど僕はそれ以前に、あの人が少し苦手だ。
ん……あいつ、さっきからチラチラ僕の方見てないか? 何か嫌な予感が……。
「正義も五十嵐さんのクッキー食べてみてよ、美味しいから!」
案の定、ルタは僕にクッキーを食べるよう手招きして呼び掛けてきた。完ッ全に飛び火だ。こんなの、断るわけにもいかないし、どうしたものか。
仕方なく僕は立ち上がり、ルタの席へ駆け寄った。五十嵐さんは何だか気まずそうな顔をしていた。僕だって、同じ気持ちだ。複雑な心境の中、クッキーを1枚手に取り覚悟を決めて口に放り込んだ。
んんっ! うおおおっ!! しょっぱ苦い!!!
これ、本当にクッキーを作ろうと思って作ったのか!? 目を瞑って食べると漢方薬か何かと勘違いしそうだ……。
あまりにも失礼な感想が脳内で展開される。だがそこに、誇張は一切ない。
「ん……う、うん、美味しい……」
むせそうになりながらそれを顔に出さないように何とか感想を伝えると、五十嵐さんはとても小さな声で「ありがとう」と呟きそのまま自分の席に戻っていった。
あの時から僕と五十嵐さんの関係はずっとこんな感じで、遠く離れてはいないが決して近づくこともなく微妙に拗れたままだった。