『楽しい』
結果的に真っ二つに割れたものの空振りに終わったことから、チーム『俺はスイカを割るために生まれてきた男だ』の最終得点は9点となった。
メルラさんの見事な指示の分が加味されているとしても、少々厳しめの採点と言えるだろう。
二人が悔しそうにスイカを頬張るのを横目に、僕の意識と目線は『戦場』に向いていた。
二組目はいかにも仲の良さそうなカップル。指示というよりはずっとイチャイチャしてるようにしか見えなかったが、目立ったミスは意外と少なかった。
そして次は、筋骨隆々の二人組。そのパワーを存分に活かして障害物をなぎ倒していく様は圧巻の一言に尽きた。スイカの割れ具合もまずまずで、現在暫定一位だ。
正確性、自然体、ゴリ押し。三者三様の攻略法を目の当たりにした。さて、僕はどう挑むべきだろうか。
脳内シミュレーションしてみるも、いまいち想定できない。逡巡している僕の目の前には、再びどこかで見たことあるような二人組が──
「さあ、続いてはチーム『食堂「うま」をよろしくお願いします』のお二人! 今回唯一の親子での参戦となっております!」
あの親子、スイカ割りを利用して宣伝してやがる……!
海パンの腰周りにお腹が座っている大将さんと華奢な身体を可愛らしいピンクの水着に包んだ将子ちゃんの姿がそこにはあった。
「よーし! 優勝すれば、うちも繁盛間違いなし! ついでに出ていった母さんも帰ってきたり……あいてっ! 何すんだ!」
「夢物語はいいから、早く準備して!」
大将さんの大きな背中に、早すぎる一枚の紅葉が咲く。相変わらずの厳しさだ。夢くらい見させてあげてくれ。
そんなこんなでスタートした味田親子であったが、やはりというかなんというか、大将さんの巨体が思うように前に進まず、将子ちゃんの的確な指示もあまり意味を成していなかった。
運良くパンは当たりを引き当てたものの、スイカはあまり綺麗に割ることができず、結果は7点と何とも残念な結果に終わってしまった。
「お父さん、夜食とビール2週間禁止」
「むっ、無慈悲! 将子の無慈悲!」
「その分の支出が減るし、お父さんも痩せられる。一石二鳥じゃん」
娘の容赦のなさに、父はついにみっともなく泣き出してしまった。まあ、将子ちゃんもきっと悔しかったのだろう。
しかし、それまでの組が順調に進んでいた分、目に見えて上手くいっていなかったコミカルな親子の姿は観客の目をよく引いていた。ひょっとしたら、いい宣伝にはなったのかもしれない。
「あっ、皆さん! 食堂『うま』をどうぞよろしくお願いしますー!」
ペコペコ頭を下げながら、去り際にも宣伝をぶち込んでいた。抜かりがない。
思わぬ白熱した盛り上がりを見せるスイカ割り大会は滞りなく進んでいった。熱狂と歓声の渦に巻き込まれ、気づけばもう7組目の挑戦だ。
上手不上手、見事な結果に散々な結果。その姿は様々であるが、全てに共通していたのは「楽しんでいる」ことだった。
どんな結果であれ、皆白い歯を見せて笑顔を浮かべ、割ったスイカを口いっぱいに頬張る。それを見る人々にも「楽しさ」は波及していった。
僕も何とかその波に乗ろうとしていた。
けど、いざ近づくと波は予想以上に高くて。
宝石を削ってばらまいたような水面の輝きは、思ったよりも眩しくて。
今のこの空間における熱狂が最高に楽しいものだとは分かっている。でもそれは客観的に、だ。
僕の心は、気づけばまた日陰を探していた。
「…………みくん……石海くん?」
ハッと夢から覚めたような感覚に陥る。五十嵐さんが僕を呼んでいたことに、気づかなかったみたいだ。
「大丈夫? なんか心ここに在らずって感じだったけど」
少し心配そうな瞳で僕を見つめる彼女。
しょうもない悩みに気を取られて彼女を困らせたりしてはいけない。平静を保った微笑みを顔に咲かせた。
「ごめん。ちょっとボーッとしてた。それより、そろそろ僕達の出番だね」
また何か余計な気を回させてしまうことを懸念して、強引に話題を変えた。
それを特に気に留める様子もなく、五十嵐さんは「そうだね」と軽い返事。
言葉が出ようか出まいか迷う沈黙の後、彼女は静かに口を開いた。
「いろいろ考えてみたけど、やっぱり作戦はなしで行こう」
「えっ? それでいいの?」
五十嵐さんはこれまでの挑戦の全てをよく観察していた。きっちりした性格の彼女のことだから、堅実な作戦を立ててくれると勝手に期待していたのだ。
「けど、作戦がないとどう動けばいいのかが……」
「大丈夫だよ。指示は完璧にやるから。それに……」
そこで言葉を区切り、7組目の挑戦者に向いていた顔を僕の方に向けてきた。
「作戦に縛られるより、自由にやった方が楽しそうだから」
柔らかな笑顔が視界に貼り付けられ、全身がゾワゾワと奇妙な震えを起こした。本当に、何なんだこの感じ。
「そういうもんなのかなぁ」
「うん。だって皆、楽しそうでしょ?」
皆が「楽しそう」なのは、皆が「楽しんでいる」のは、自由だから。そう言いたいのだろうか。
正直、作戦は欲しいところだ。生身の身体能力はかなり低いし、それを補う効率的で合理的な行動のための指針となりうる。
いくら指示があるとはいえ、事前にある程度の形は欲しかった。しめしめと言わんばかりに、不安が心に忍び込む。
僕は何かに縛られて、自由になれていないのか。
「──余計なお世話、してもいい?」
深く考え込む僕に、五十嵐さんはどういう感情なのかよくわからない顔で訊いた。
かつて僕に対する彼女の行動を表現した『余計なお世話』という言葉がそういう使われ方をしていることに、少し複雑な気持ちを覚え、返事が遅れた。
「そんなに深く考えなくても、いいと思うんだ」
彼女の見つめる先には、スイカ割りに励む大学生の二人組。もしかしたら、そのもっと先の海を見ているのかもしれない。
「でも、こんなに皆楽しそうなのに、僕一人楽しめなかったら……」
「それだよ。『なのに』じゃなくて『だから』でいいんだよ」
平坦な口調からは彼女の感情が読み取れず、心が落ち着かない。怒られているのか、何なのか。
「悲しいこととか苦しいことって、なんでそうなのかっていろいろ考えちゃうと思うんだ。具体的な感情の形とか、その感情の向かう先とか」
確かに、あの時の僕は悲しい事をいちいち思い返しては、余計に悲しんでいた。少し前の自分の酷い有様が脳内に甦る。
未だに、彼女の感情は分からない。
「けど、楽しいってそうじゃない。もっとふわっとしてていいんだよ。『楽しそう』だったら、もう『楽しい』でいいんだよ」
五十嵐さんの頬がゆっくりと優しく持ち上がる。その横顔が眩しくて、直視できない。
「って、自分でも何言ってるのかよくわかんなくなっちゃったけど……。とにかく、何も心配するようなことはないよ」
「とは言っても……」
納豆のように粘っこく、自分が楽しむことに懐疑的で慎重な僕。だが、五十嵐さんの言うことに賛同できないわけではない。
ルタたちが海辺で楽しそうに遊んでいるのを眺めていた時、不思議と僕も嬉しい気持ちになった。僕自身は何もせずに、ただじっと日陰に座っていただけなのに。
これが五十嵐さんの言う『楽しそう』だったら『楽しい』ということなのだろうか。けど、感じたのは『嬉しい』って気持ちだったし、そこに『楽しい』という感情は含まれていなかったはずだ。
彼女の言った通り、よくわからない。感情の矛先があやふやでふわふわしていて、こうしてうだうだ考えていることがひどく無意味に思えてくる。
「大丈夫! きっと石海くんなりに楽しめるよ」
五十嵐さんは『楽しい』という気持ちをもっと単純に、軽く考えている。それは決して軽んじているわけではなく、その性質を掴んでいるんだ。
僕は当たり前のような感情をどこか掴み損ねている。だから、気づかなかった。僕と話す五十嵐さんが『楽しそう』なことに。
深く考えなくてもいいと言われた矢先に深く考え込んでしまう僕のどうしようもなさを慰めるように、海風が優しく肌を撫でた。
「なんか……いろいろ考えてたら、逆によくわからなくなってきたよ。『楽しい』とか『楽しくない』とか、どうしてそうなのか、とか」
「ごめん、困らせちゃったかな……?」
小高い山を作っていた五十嵐さんの眉が、一瞬にしてハの字に傾く。代わりに僕が山を作ってみせた。
「いや、おかげで考えたって仕方ないって気づけたよ。ありがとう」
「そ、そっか。なら良かった……」
『楽しい』『楽しくない』論争に自分の中で一応の区切りをつけた僕を前に、五十嵐さんはどこか疲労感のある安堵の表情を見せた。
おそらく、本当に『余計なお世話』にならないように最大限気を張っていたのだろうと思う。僕にとってはその全てがありがたいことなのに。
かつて僕が軽々しく彼女に放ったその言葉は、予想以上に彼女の足枷になっている。
謝るのは今じゃない気がする。
けどいつか絶対に、胸を張って謝罪するんだ。
少し痛む心に、自分との約束を刻んだ。
五十嵐さんとの対話と自問自答に全神経を使っていたせいで、スイカ割りの方をすっかり忘れていたことに気づく。ふいに『戦場』に目を向けると、ちょうど7組目が終了したところだった。結果はあまりよくなかったみたいだ。
次の8組目が終われば、待ちに待っ……ていたわけではないが、ともかく僕達の出番だ。全身を何かに縛られるような感覚が走り、グッと緊張感が高まっていく。
もう後に引くことなんてできないんだ。思い切り楽しんでやる!
「さあ! 8組目は今回唯一の女性ペア! チーム『初めての海、最高です!』の挑戦です!」
意気込んだところで、またズッコケた。
見知った母と娘が張り切って準備運動をしている。今度は思わず声に出てしまった。
「出るのかよ!」





