冷やし中華
手早く着替えを済ませた僕達男性陣は、一足先に海の家に赴いた。
砂浜から一段上がったそこは屋台とフードコートが一体化したような形になっている。屋根も付いており、この猛暑も多少は和らぐ。
適当な席に座り、卓上のメニュー表に目を配った。
冷やし中華やかき氷といったド定番から、カレーうどんやピザといったちょっと珍しいものもあるようだ。
潮の匂いを乗せた扇風機の生温い風を感じながら選択肢を絞っていると、女性陣を連れたルタがこちらに手を振り、駆けてきた。スカイブルーの水着が驚くほどよく似合っている。
「お待たせ~!」
「おっ、来た来た。こっちこっち」
小城さんはどこか嬉しそうに手招きする。
ロッカールームからここまでの道中、彼は美人とすれ違う度に後ろ髪を引かれるように振り返っていた。「クリスタルライザーの認知度調査」をすると言っていたが、本当は目的が違うのではと疑ってしまいそうになる。
スケベ記者に呼ばれた女性陣が揃い、全員集合した。ここから合流という設定のルタとメルラさんが大和さんに軽く挨拶を済ませると、全員が着席してお待ちかねのランチタイムとなった。
だが、僕はそれどころではない。
そんなつもりはないのに、小城さんのせいで変な方向に意識が逸れていってしまう。
「石海くん、どうかした?」
そして、あろうことか五十嵐さんは隣に座ったのである。
青いラインが入った長袖パーカーを着ているので、幸い上半身の露出はほとんどない。
しかし、いつも下ろしている長髪をポニーテールにしている。
たったそれだけのことでドギマギして心の隅がくすぐられるくらいには、僕は童貞だった。
「いっ、いや、何でもないよ」
子どものようにはしゃぐ心の臓を必死に落ち着かせてみる。が、彼女の健康的な太ももが視界に紛れ込み、思考を乱す。
そんな僕の気持ちなど知ったこっちゃないであろう彼女は、「そっか」と会話を切り上げてくれた。と、思いきや。
「何食べるか、もう決めた?」
彼女は肩を寄せて、僕の目の前にあるメニュー表を覗き込んできた。
日焼け止めだろうかシャンプーだろうか、よく分からないけど何だかいい匂いが鼻から脳を突き上げ、思わず失神しそうになる。
意識を保とうと正面に顔を上げる。すると、目を細めてニヤつく小城さんの表情が飛び込んできた。
悪い顔だ、悪い大人の顔だ!
この状況を客観的に楽しんでやがる!
「せ、せっかくだから、僕はこの冷やし中華を選ぼうかな!」
「あーやっぱり定番だよね。じゃあ私もそれにしようっと」
緊張のあまり変な日本語になってしまったが、まあ良しとしよう。
少しは冷静になれただろうか。まだ先は長いし、こんなんじゃやっていけないぞ。
皆それぞれ頼みたいものを頼み、全員の分が揃ったところで一斉に食べ始めた。
小城さんはビールも頼んでいたので、運転させるためだけに大和さんを連れてきたんじゃないかとつい心配になってしまった。
僕も汁がよく絡んだ麺を箸で掴んで、そっと口に運ぶ。程よい酸っぱさと麺の旨味が口いっぱいに広がって、普通の冷やし中華なのにとても美味しかった。
「うん、美味しいね!」
ちゅるちゅると麺を啜って、もぐもぐと噛みながらこちらに微笑んでくる五十嵐さん。
バッチリ目が合い、頷きながらも目を逸らした。
今日の僕は、ちょっとおかしい。どうしてしまったのだろう。
小城さんに変なことを言われて変なことを意識しているのだろうか、彼女の顔を直視できない。
けど、多分それだけではない。
なぜこんなにも不必要に心臓の鼓動が速いのか、僕には分からなかった。
ダメだ。何がダメなのかも分からないけど、とにかくこんな気持ちじゃダメだ。『ダメ』な物を払い除けるように、ズルズルと勢いよく麺を啜った。
一通り食事も終わると、小城さんと大和さんは取材に出かけていった。
本当に取材する気があるのか疑問は残るが、気にしないでおこう。しっかり者の大和さんが付いてるし、きっと大丈夫だ。
そんなわけで、僕達もそこからは自由行動となった。
すぐにルタとヒスイ、将子ちゃんはビーチボール片手に大はしゃぎで海へ飛び出していった。ルタの首にはしっかりガラクもぶら下がっている。
あの二人は海をその目で見たことが無かったので、本当に楽しみにしていたのだろう。
今日という日を心から楽しんでいるその笑顔を見ていると、何だか癒される。
「ひゃっ、冷たい!」
「これが海……どこまでも青いですね!」
その新鮮なリアクションを、将子ちゃんは微笑ましく見守っていた。程なくして三人はビーチボールで遊び始めた。
「ヒスイさん、行きますよー!」
「うおっとととっ、お母さん!」
「いよっと! ほい、将子ちゃん!」
客観的に三人ともかなりの美人なので、周辺の男性の中には目を奪われている者もいた。
そのうちの二人と同居しているだとか言ったら、どんな反応を示すのだろうか。
三人娘が楽しくボール遊びに興じている頃、浜辺では、サングラス姿の大将さんが砂に埋もれていた。
──砂に、埋もれていたのだ。
砂風呂という奴だろうか。
その大きな体躯が足の先から首元まで完全に砂で覆われている。何だかよくわからないが、とにかく幸せそうな表情を浮かべていた。
足元の砂を手で押し固めている黒い水着の女性はメルラさんだ。ということは、メルラさんが大将さんに砂を被せたのか。
何をやってるんだか、やらせてるんだか。
そして、これは本当にどうでもいい話なのだが、メルラさんは何と言うか、その、とても大きかった。
「大将様、砂加減はいかがでしょうか」
「いや~、気持ちいい。最高だよ、メルラちゃん」
大人びていて艶っぽいメルラさんと、文字通りおじさんの大将さん。二人がこんな会話を繰り広げていると、何か良からぬ誤解を生みそうである。
ていうか、砂加減って何ですか。
「あれ、そういえばあいつはどこに行った」
メルラさんの近くにあいつがいないことに気づき、目を細めて沖の方をじっと見る。
すると、三人娘から十数メートル離れたところに、緑の浮き輪と小さく揺れる銀髪を発見できた。
特に誰かと何かするでもなく、本当にただ浮かんでいるだけのようだ。あれがあいつの楽しみ方なのだろうか。
エコーは分かりやすいようで分かりにくい。
行動原理がはっきりしている時もあれば、今みたいに何を考えているのか分からない時もある。
飄々とした奇妙な言動が目立つが、それで本心を隠している気がする。僕の考え過ぎかもしれないが。
まあ彼が何を考えていようと、もう敵に回ることはないだろう。これも勘だ。けど、根拠なき確信が心のどこかにあった。
さて、こうして皆をジロジロと観察している僕は──
「暑いなぁ〜」
パラソルの下に敷かれたブルーシートの上で、ただ座っていた。うちわ片手に。
皆思い思いに楽しんでいる中で、なぜ僕は日陰でじっとしているのか。その理由は過去に遡る。
余命宣告を受けたばかりの中学生の頃。
まだそれを他人事のように感じていた僕は、灼熱の夏場に体育の授業に普通に参加していた。
ところが、その授業後に僕は倒れてしまったのだ。
原因は炎天下での長時間運動だった。
それからトラウマになってしまって、特に日差しが強くて気温も高い日なんかは運動を控えていた。
クリスタルライザーになってからはあまり気にしていなかった。
しかし、人知を超えた力を持っていないただのハダカの僕は、改めて身体に気を遣う必要があった。
「えぇー!? 正義も一緒に遊ぼうよ〜」
「悪いな。皆で楽しんでくれ」
子どものようにせがむルタを丁重にお断りして、ここでのんびり皆を眺めることにした。
時刻は昼過ぎ。太陽が最も本気を出す時間帯に突入していた。
その日差しは、ギラギラなんて言葉では形容できないほど強く鋭く、眩しかった。
ずっとここにいるのも、何だか退屈だ。少しくらいは太陽の下を歩いてもいいだろうか。
重い腰を上げようか上げまいか悩んでいた、その時だった。





