そうだ、海へ行こう
夏休み。
その五文字は、学校と呼ばれる教育機関に通う全ての人間をどこまでも魅了してやまない。
どこまでも広がる青空の下、人々は煌めく宝物を探しに冒険に出るのだ。
友達とバカ騒ぎするも良し。
家族と忘れられない思い出を作るも良し。
恋人とレモンのように爽やかで甘酸っぱいひと時を過ごすも、また良し。
とにかく、誰かと何かをするのにこれほどうってつけの季節はない。
屋外プール、海水浴、夏祭り、花火大会etc……。
この時期限定のイベントの多さも、夏休みという約一ヶ月半の休暇の価値を大きく引き上げているのだろう。
しかし学校に通う我々には、青春を謳歌する自由を与えられた代償に、宿題という残酷な義務を背負わされる。
毎日コツコツこなすか、終盤にまとめて終わらせるか、諦めて手をつけないか。人間性が色濃く出るところである。
そして、一部の人間はその宿題以上に残酷な現実を味わうことになる。それは……
「──暇だ」
月日は8月初頭。僕は途方もなく暇な毎日を、ダラダラと浪費していた。
エアコンをガンガンに効かせた涼しい部屋で、何も起こらない現状をただ嘆く。
主体性の無さか、引きこもり癖か、単純に友達がいないからか。
その理由を少し考えてみては何だか暗い気分になり、忘れるように時間を潰す。気づいた頃には、時間を無駄にしている。
ルタや五十嵐さんがいるではないか。
神様は僕にそう言うだろう。
だが、彼女たちしか友達がいない僕と異なり、彼女たちには僕以外にも友達がいるのだ。
僻んでなどはいない。当然のことなのだから。
今日もルタやヒスイは友達とどこかへ遊びに行っている。
けどむしろ僕は嬉しかった。右も左も分からないはずのこの現代社会で、彼女たちに多くの友達が出来たことが。
それに僕はあくまで暇なことを嘆いているのであって、誰かに誘われたいなどと思っているわけではない。
こちらから誰かを誘うなど、とても怖くて出来やしない。そもそもインドアだから、遊びに行こうとも思わない。
僕は、この膨大な空白の時間を潰すことさえ出来れば、それでいいのだ。
──それで良かったはずだった。
だがこの半年とちょっとで、僕の心はすっかり孤独という状況から引き離されてしまっていたようだ。
孤独という氷を仲間という炎でじっくり時間をかけて溶かされた僕は、いつしかその火を灯し続けなければダメになってしまう体質になっていた。
この際、暇だなんて言ってられない。
一生に一度の高校三年生の夏休みだ。僕も何かしなければ!
と、意気込んではみたものの、窓の外はもう夕闇に包まれている。
はぁ、決意しただけで一日が終わってしまった……。
いや、待っているだけじゃダメだ。自分から動かないでどうする!
瞬きするように夜空に輝く綺麗な星が、寝転がっている僕を奮い立たせた。
スマートフォンを手に取り、機敏に指を動かして五十嵐さんとのチャット画面を開いてみた。
最後にやり取りしたのは一週間ほど前。宿題の進捗状況確認という発展性のない話題だ。
「どうする!? 開いたはいいが、どうする!?」
だが、その指はそこで急ブレーキをかける。
「誘っても断られたらどうしよう。いや、そもそも貴重な夏休みを僕なんかと過ごすなんて……」
肝心な時に、いつも前に進めない。
悪い癖を発動しながら頭を抱える僕の横から、誰かがひょっこり顔を出した。
「おおっ! 正義先輩、奈乃先輩にデートのお誘いですか?」
「うおっ! ヒスイ! か、勝手に見るなよ……。ていうか、デートじゃない」
「男子が女子を誘う行為が、デート以外の何に繋がるって言うんですか……」
呆れているヒスイの言う通り、僕がそう考えていなくても、五十嵐さんはそう受け止めてしまうかもしれないな。
もしそんなことになれば、ますます断られてしまう確率が上がりそうだが……。
そんな気持ちは断じてない。
僕はただ、大切な友達の一人として、彼女とひと夏の思い出を作りたいだけなのだ。
気持ちを整理しながらも結局行動に移せない僕のもとに、一本の電話が届いた。
無機質な着信音をぶった切ると、少し酔っている様子の男性の声が。
『よおぉ正義ちゃん。夏休み楽しんでるかあぁい?』
「小城さん……。こんな時間にどうしたんですか?」
『突然で悪いんだけどさ、明日海行かない?』
本当に突然だ。小城さんと男二人で海か……。
いや、もちろん小城さんも大切な仲間だし、お誘い頂いたのは素直に嬉しいんだけど。
『おーっと、今くたびれたおっさんと二人かよとか思っただろ? 残念!』
あんたはエスパーか! そこまで思ってないし!
「他に誰か来るんですか?」
『今回の目的は海辺での取材だから、助手として俺の後輩を連れていく。それに大将と将子ちゃん、エコーちゃんとメルラちゃんも一緒だ』
まあよく考えれば、何も無いのに僕を海に誘ったりはしないだろう。
それにしても、エコーも来るとは驚きだ。あいつは群れない一匹狼だとばかり思っていたから。
『えっ? まだ行く気にならないって? しょうがないなぁ〜』
おだてるような口調から、ニヤついた顔が容易に想像できる。僕の言動を捏造するのはぜひともやめていただきたい。
『奈乃ちゃんも来るぜ? さ、どうする正義ちゃん』
……五十嵐さんがいれば当然僕も行く。
そんな浅はかな考えもぜひやめてほしいものである。
何故だか知らないが、小城さんは僕と五十嵐さんをやたらと接近させようとしている。
五十嵐さん側はもちろんそうだろうし、僕にもそんな気は全く、これっぽっちも無い。
彼が何かイベントを起こそうとする度に、そう自分の心に再確認するのは正直言って疲れる。
ただ、僕の数少ない友達は全員集合しているみたいだし、皆で遊ぶまたとないチャンスだ。断る理由もないだろう。
「……分かりました。ガラク一家も一緒でいいですよね?」
『もちろん大歓迎さ! んじゃ、明日朝8時に迎えに行くよ。あっ、もし水着の準備出来なくても、途中で店寄るから安心して。また明日な!』
二つ返事をもらった後、突風のように電話はすぐに切れた。
いやはや、もう少し早く言ってほしかった。全然準備が出来てない。主に心の……。
誰かと何かしたいとは言った。しかし、皆で海か……。
自分の中ではこじんまりとしたものを想定していたのに、どうやら脳内キャパシティを超越した一大イベントになりそうだ。
そういえば、一緒でいいとは言ったもののルタやヒスイの予定を聞いていなかったな。
僕はすぐそばで通話内容を聴取していたはずのヒスイに顔を向けるが……。
「海……海海海!! うぅぅぅぅぅぅぅぅぅみぃいぃぃぃぃぃぃぃぃいぃぃ!!!! 本やテレビでしか見たことなかったけど、実際に明日この目で見られるんですね!!」
確認するまでもなく、目をギンギラギンに輝かせた彼女はテンション爆上がり、狂喜乱舞の真っ最中だ。
ついには喜びを自分だけでは抱えきれなくなったのか、一階でくつろいでいる彼女の両親に大急ぎで共有しに行ってしまった。
ろくに間も開けずに、同じような歓声が二階にまで手を伸ばしてきた。
子どものようにはしゃぐ嬉しそうな様子が見られただけでも、誘われて良かったと思うには充分すぎる。
行くと決まったからには準備をしなければ。
僕は押し入れの棚を漁って水着を引っ張り出した。
ルタ達は持ってないだろうから、明日お店で買うことになるだろう。
海に行くのなんて、何年振りだろうか。
きっと以前海に行った時の僕は、まだ人生に絶望していなかった。
こんな身体だ。変身状態ではない、生身での長時間の運動は身体に良くないと、僕自身が一番よく知っている。
僕は行くと決めた。
けど、皆と楽しい思い出が作れるか、少しだけ不安で怖かった。





