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Trust.10 -絶望 その深淵で泣き喚け-

 そんなこんなで、日常生活の中で両親以外に僕に話しかけてくるのはヒスイしかいなくなった。

 そのヒスイも他学年なので、学校では実質一人ぼっち、簡単に言えばほとんど元通りになったわけだ。


 相変わらずくだらない妄想に耽りながらも、時々五十嵐さんに想いを馳せていた。

 ──あの人に僕は何を期待していたんだろう。

 逃避する僕を叱責してほしかったのか、「かわいそうだね」、「よく頑張ったよ」と労ってほしかったのか。


 自分がどんどんわからなくなっていくのを感じるとともに、それを改善する間もなく人間関係が希薄になっていくのも感じていた。


 どんなに崇高な人間もどんなにダメな人間も等しく迎えてくれるのが街だ。

 良い時も悪い時もその表情は変わらない。

 溶けた脳を固め直すように僕はあてもなく彷徨い続けた。


 孤独になりかけている僕を嘲笑うかの如く、駅の方面から仕事に疲れた群衆が押し寄せてくる。

 ぶつかりそうになる肩を避け続けることに疲れ、つい大通りから外れてしまう。


 何だか今日は気分が乗らなくて、足は自然と人の少ない郊外へと向かっていた。

 刺激の強い輝きを放つビル街が閑静な住宅街に変化する。


 このさらに向こうに大きな煙突が見える。

 皆でいつも集まってた、あの廃工場だ。

 ほんの一瞬だけ行ってみようなどと考えたが、今の自分に何一つ良い結果をもたらさないことを悟った。


 ろくに教科書も入っていない鞄を抱えたまま歩き続けていると、街灯に照らされた小さな公園が視界に飛び込んできた。


「ここって確か、裕斗と甘莉さんが出会った……」


 僕はこの辺りで聞いた裕斗の話を思い出しながら公園内に足を踏み入れ、錆びついた滑り台やブランコを眺めた。


 初対面時、二人はどんな言葉を交わしたのだろうか。

 甘莉さんは奥のベンチ、裕斗は滑り台の頂上にでも座って、きっと突拍子もないやり取りをしていたに違いない。


「……救いたかったな」


 倒れるようにベンチに座り、隣に鞄を雑に置く。

 忘れたいのに忘れられない。

 忘れたくないのに忘れてしまう。

 二つの事情が混在している僕の心は、いつ崩壊してもおかしくなかった。その時──


「よっ」


 俯く僕の耳に届くフランクな挨拶。

 聞き慣れたその声は鼓膜から脳に伝わり、全身を電流のように駆け巡る。


 夢か現か、どちらにせよ大いなる希望を抱いた僕は首を伸ばして顔を上げる。

 その瞳が見たものは、間違いなくあの日の後悔の“種”だった。


「隣、座ってもいいか?」


 優しいその笑顔が、僕の心に深く、深く染み込んでいく。


「裕……斗……」





「裕斗……生きてたのか?」


 溢れ出る気持ちの中からまず何を言葉に変換すればいいのか分からず、ひとまず事実確認をする。


「おいおい、勝手に殺すなよ」


 夢でも幻でもなかった。

 いつものように快活で飄々とした裕斗の姿がはっきりと僕の目には映っていた。


 あの日からずっと、失ったとばかり思っていた。

 だけどやっぱり僕は心のどこかで願っていたんだ。彼が無事に生きていることを。


 裕斗は僕を孤独から解放してくれる存在だ。

 彼が今ここにいることが嬉しくて嬉しくて、思わず涙が出てしまう。


「泣くなよ~!」


 優しい言葉を投げかける彼は、似合わない白いジャケットを着ていた。


「……悪かったな、待たせちまって。あの後、何とか逃げ延びることができたんだよ」


 よっこらせと僕の隣に鎮座した裕斗。

 やっぱり裕斗はすごい。

 裕斗を信じたのは間違いじゃなかったんだ。

 あの日から少しずつ忘れていった感情が段々僕の心に蘇ってくる。


「謝るのは僕の方だよ。……もうやめちゃったんだ、クリスタルライザー」


 ずっと罪悪感を感じていたのに、その告白は意外と滑らかに飛び出していった。

 長い期間ではなかったけど、僕たちはともにカラットと人間の共存を掲げて戦っていた。


 そこで培った絆も想いも全部捨てたも同然の僕を、天国の皆は、そして裕斗は許してくれるのか。

 それがすごく不安だった。


「そうか……それがお前の選んだ道なら、きっと正しいんだろうな」


「……でも」


「でもじゃねえ! 今までよく頑張ったよ、お疲れ様」


 本人から肯定されてもなお罪悪感を抱く僕の頭を、裕斗はくしゃくしゃと撫で回す。


 やめろよ、お前は僕の父親か。

 片方の口角をフッと上げながら気取ってそうツッコミでも入れたいところだ。


「……ごめん……ありがとう……」


 だが、彼の手の温かさが脳の隅々まで伝わり、一気に目の奥が熱くなる。

 頭に浮かんだ言葉は涙になって頬を伝う。


「だから泣くなよ!」


 裕斗に笑われてしまうが、そんなの無理な注文だった。

 ずっと迷ってた。僕は本当はどうするべきだったのか。


 人に言われてそれを確認するのはどうかと思うけど、それでも良かった。

 間違いじゃなかったことを強く認識できて、本当に良かった。


「ま、思ったより元気そうで安心したよ」


 裕斗がそう呟いたのは僕の涙が渇き始めた頃だった。

 彼は立ち上がって大きく背伸びをした。

 ユートピアのロゴが入った黒いジャケットを着た姿しか見たことがなかったので、真っ白のジャケットには激しい違和感がある。


「裕斗はこれからどうするの?」


「そうだな……どっか遠くに旅にでも出るかな」


「そっか……裕斗ももう戦わないんだね」


 裕斗は囁くように「そういうことだ」と返した。

 そして、僕の方を振り返ると何か強い決心をしたかのように、ハッキリとした笑顔で話し始める。


「──俺のユートピアなんて、今思えばただのファンタジーだったんだよ。いや、皆を巻き込んどいて今さら何言ってんだって感じだけどさ。……そんな簡単にいくようなものじゃないんだなって」


 それは、僕が一度も見たことない顔だ。

 笑顔に添えられていた弱気の深さは果てしなかった。

 そして、音が聞こえた。

 彼が僕たちを、彼自身を支えていたものを折り曲げた音が。


「もし、カラットも何も関係なく正義や甘莉、慎治と出会えてたら、俺たちどんなだったんだろうな。ターコイズやトパーズは時代が違うから難しいかもしれねえけど、きっといい友達になれたと思うんだ。甘莉に告白できないのは変わらないだろうけどさ」


 理想を語るものが幻想を語る。

 理想と幻想の違いは簡単で、叶う可能性があるかないかだ。


「絶対、仲良くなれたよ。今の僕たちみたいに」


 裕斗はどんな時でも前を向いていた。

 彼が後ろを振り返る時、それは全てを失った"終わりの時"なんだ。


 僕がそれを悟った時、近くにいるはずの裕斗が物凄く遠くて、放っておけば空に飛んでしまいそうに思えた。


「正義……ありがとう。最後にお前に会えて、本当に良かったよ。じゃ、そろそろ行くわ」


 僕に背を向け、勝手に歩き出す裕斗。

 最後とか言うな。やめろ。行かないで。

 お願いだから、僕をひとりにしないで。


「そんな……もうちょっとここにいてよ。ほら、なんか飲み物でも買ってくるからさ」


 幸せの坂を転がり落ちる僕の顔は溢れる感情を許容することができず、ぐにゃぐにゃ歪んでいく。

 初夏の夜の冷たい風が身体をすり抜けた。僕は透明人間か何かだ。


「いろいろ迷惑かけて悪かったな。残りの人生、うんと楽しめよ!」


 行くな。行くな行くな行くな。

 衝動に駆られた僕は地面の砂を蹴っ飛ばして走る。

 もう一度、あの腕を掴むんだ。

 絶対に、何があっても!


 裕斗の左腕に僕の右腕が届くまで数センチ。

 だが、再び振り返る裕斗の身体に彼の左腕は運ばれていき、掴み損ねる。

 そして、ブレーキが効かない僕を裕斗は大きな身体と両腕で包み込んだ。


 その瞬間、世界の全てが真っ白になり、僕の肩に落ちる一粒の雫以外の時間が止まる。


「俺たちは、いつまでも友達だ……元気でな」


 ──ずっとそのままこの世の何もかもが静止していれば良かったんだ。


 支えを失った僕は前のめりに膝をつく。

 狙っていたかのようにシトシトと降り出す雨。神様の悪いいたずらだ。


 ……いや、神様なんかいない。

 いるなら返してくれよ。目の前で消えた親友を。


 それとも何か。

 ヒーローを辞めたお前に生きる価値はないから絶望して早く死ねってことか。

 皆に会えるなら……それもいいかな。


「……望み通りにしてやるよ!!」


 視界に入った死体の一部。鋭く尖っている。

 咄嗟に手に取った僕は、荒ぶる息を飲み込んで、右腕の肩から肘までを思いのままに一直線に斬りつけた。


 ──僕には死ぬ勇気もないらしい。


 走る激痛。暗くて色がよく分からない血液。

 痛々しい傷口から鮮血がドクドクと溢れる。

 どしゃ降りの雨と一緒に流れていき、地面を汚く染めた。


 二度と這い上がることは出来ない深い闇の底に堕ちた僕は──


「痛い……痛いよ……何なんだよ……。何なんだよおおおっ! 僕は一体……! うあああああああアアァァッッ!! わあああああああああああああああああああああアアアアアアアァァッッ!!!!」


 赤子のように泣き喚いて、地獄のように絶望した。

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