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Trust.09 -罪悪 抱える自己嫌悪-

 午後8時を回り、何もかも飲み込んでしまいそうな夜空に抗うように星々が煌めいていた。

 いつもの大通りからは少し離れた薄暗い裏道を僕とヒスイは歩いていた。駅へと続くこの道は昼夜問わず静かだ。


 隣を歩くヒスイは、銀河系最強レベルのカレーを食べた満足感で顔が緩んでいた。本当に食べるのが好きなようだ。


 昨年の12月からいろんなことがありすぎて忘れていたのか身体が麻痺していたのかは知らないが、僕には女性経験が全くない。

 おそらくそんなことを気にする余裕もないある人物のせいで耐性がついたのだろう。


 しかし、こうして『女の子と2人で歩いている』ことをふいに意識してしまうと、やはりどうにも緊張してしまう。


 思えばあのクリスマスイブ、五十嵐さんとの帰り道、全然上手く立ち回れなかったな。

 その日の光景がやけに鮮明に思い浮かび、僕は情けなくなったり恥ずかしくなったりした。


「クリスタルライザーになるのはいいですけど、今お父さんたちと一緒じゃないですからそこが問題ですよねぇ。二人がいないと変身できないですし」


 まあヒスイはよく喋る方だから会話には困らない。彼女は母親の血を色濃く受け継いだようだ。


「随分楽しそうだけど、そんなにクリスタルライザーになりたかったの?」


 笑顔で「問題」を検討するヒスイに僕は尋ねた。その瞬間、笑顔は陰りを見せる。


「……ずっと力が欲しかったんです。カラットの特徴は姿を変えることですけど、私にはそれができませんでした。お母さんもそうだから遺伝だと思うんですけど」


「だから、力がなかったってこと?」


「はい。大切な人を守れるだけの力が私には足りなかったんです。次こそは、先輩から受け継いだ力で大切な人たち──この町の皆を守りたいんです」


 受け継いだって、もともと僕が持ってた力ってわけじゃないんだけどな。

 どうでもいいツッコミを入れつつ、立派な信念を語るヒスイに僕は感心していた。


「クリスタルライザーにならなくたって、ヒスイはもうとっくに力を持ってるよ」


 つい飛び出たふわっとした僕の言葉にヒスイは「へ?」と間抜けな疑問符を浮かべる。

 そんなところすら誰かにそっくりで、もう笑ってしまいそうになる。


「大切な人をとことん大切だと思えること。その人を守るために戦おうと思えること。それだけでも、十分力になるんだよ。前に進むための原動力にね」


「……そうなんですか?」


「うん。それに、これだけのカラットが復活してるんだ。離れ離れになった友達ともまたいつか会えると思うよ?」


 自分の現状との比較が滲み出た称賛と、憶測にまみれた根拠のない希望。そんなものでも彼女は喜色満面になってくれた。

 僕はもはや傍観者、第三者、関係のない人、「頑張れ」と唱え続けるだけの人だ。


 ヒスイは僕に礼を述べる。

 礼を言われる筋合いなどない僕はその言葉だけを受け止めながら、ヒーローではない自分が何者でもないことを、春の夜風に吹かれるその身にただ感じていた。





 校庭の隅に立ち尽くしている一本の木に麗しく咲く梅の花。少し冷たい風に吹かれて切なげに揺れる。

 僕はその様子を眺めながら駅前のコンビニで買ったパンを頬張っていた。


 久しぶりに屋上で昼飯を食べた。

 屋上にはいつも人がいない。

 こんなに広くて快適なのにどうして誰も利用しないんだろう。

 高くて怖いのか、雨風が凌げないからか。この時期だと花粉もあるか。


 ペットボトルにたっぷり入ったカフェオレで渇いたパンをグイッと流し込む。

 生地に深く染み込んでいき、すぐに元の味が分からなくなった。


「──やっぱりここにいた」


 錆びついたドアが鈍い音を立てながら開き、僕がいることを確認した誰かがそう言った。優しさに溢れるその声は春風に乗って僕の耳に届く。


 声の主──五十嵐さんは柵に手をかけてもたれ掛かっている僕の隣にごく自然にポジショニングし、そっと手すりに両手をかける。


「綺麗だね、梅の花」


 揺れる長髪を耳に背負わせた五十嵐さんはそう宣う。お褒めに与り嬉しいのか、梅の花も揺れた。


「そうだね……何か用?」


 何も話を広げることなく、ぶっきらぼうな口調の僕。

 わざわざここに来るくらいなんだから、僕にとっていい話じゃないことくらいわかっていた。


「……これで本当によかったの?」


 眼前に広がる青々とした空を見つめながら五十嵐さんは僕に問いかける。

 僕が最も聞きたくなかった言葉かもしれない。

 僕の醜い現状に否定的な言葉には、どうしても耳を塞ぎたくなってしまう。


 僕の目を見て言わなかったのは、きっとその方がお互いにとって都合がいいからだろう。

 そして何を思ったのか、僕は彼女の親切心をへし折りに行った。


「どういう意味?」


「今の石海くん、何だか寂しそうだから」


「……そんなことないよ。むしろ今僕は残り少ない人生を謳歌してるんだ」


 学校の屋上でひとりパンを食べることが僕にとって最高の人生だったのかと、自分で言っておきながら恰好がつかない。

 こんな意味不明な言動でさえ、彼女は一応肯定してくれる。


「もちろん、それはいいことだと思うよ。だけど、あの頃の石海くんはもっと楽しそうだったな」


 僕があんなことやこんなことをしていたのは、もう過去の話──終わったことなんだ。

 五十嵐さんの「あの頃」という表現に僕は時の流れをその身で感じ、そして安心した。


「今思い返せば辛い事しかなかったよ。そもそも僕がアレをやらなきゃいけない理由なんて何一つ無かったんだし」


 心が落ち着けば、言葉もスラスラ出てくる。

 過ぎ去りし栄光の日々を一括りにそう語る僕は自嘲気味に笑っていた。

 ふいに触れていた手すりの冷たさに気づいて、片手だけズボンの小さなポケットに突っ込む。


「この世界だってヒスイたちが守ってくれる。ほら、もう僕が口を出す余地なんてどこにもないでしょ?」


 責め立てるような言い方に余裕のなさが滲み出る。つくづく自分のことしか頭にないようだ。


 さあ、僕がもう何者でもなくなったことが分かっただろう。

 僕を軽蔑してくれ。

 責任と正義を放棄した未熟で弱虫で卑怯なこの僕を、存分に罵倒してくれ。


「……そうだよね。石海くんが今を楽しんで生きてるなら、それでいいよね。ごめんね、お昼の邪魔しちゃって……じゃあ私、行くね」


 暗黙の了解のように合わせていなかった目を先に合わせてきたのは、彼女の方だった。

 だけどその瞳はいつもの純粋無垢なものではない。

 何かを諦めたような、何かに背くような影を落としていた。


 手すりから一本ずつ丁寧に指を剥がしてから去っていく彼女を、いつの間にか本能的に呼び止めていた。


「思ってることがあるなら言ってよ。僕なんかにそんな気を遣う必要ないから」


 明らかにいつもと違う表情、態度。

 慣れない嘘をついた彼女のその背中がやけに小さく見える。


「……言えないよ。石海くんがどれだけ辛い気持ちなのか、私には分からないから。人の気持ちも知らないで今の石海くんに『頑張れ』だなんて私には言えない」


 僕に背を向けたまま立ち止まる五十嵐さんの口から本音が零れる。

 か細いその声、冷たい優しさに、うっかり泣きそうになる。


「じゃあ何しにここに来たんだよ……」


 僕は可聴域にギリギリ入るか入らないか程度の声量でそう呟く。

 逆に僕は彼女に何をしてほしかったんだと聞きたくなること請け合いだ。


 聞こえたかどうかわからないまま、振り向きざまの彼女が笑顔で放った一言は、ヘタレな僕の心に突き刺さった。


「また余計なお世話だって言われちゃいそうだから」


 ずっとなあなあにしてきた『あの日』のことを突然口にされた僕は思わず閉口する。

 次に口が開いたときには、もうそこには誰もいなかった。

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