Trust.07 -苦痛 どこに行けど現実-
父とヒスイの鉢合わせを無事に回避できた僕は、勝利のコンビニ弁当を手に自室へと入った。
腹が減っていたのか、父は2階に上がらずそのまま食卓に張り付いた。
ヒスイは挙動不審にキョロキョロしながら床に座っていた。
僕が用意したTシャツとハーフパンツを着用し、制服は綺麗に畳まれていた。僕より幾分か身長が低い彼女には、少しサイズが大きかったようだ。
「すいません。さっきちょうどタイミングが被っちゃって……」
「何とかなったし大丈夫だよ。はい、これ晩ご飯」
床の小さなテーブルの上に弁当を置くと、ヒスイは文字通りキラキラと目を輝かせた。
食べていいか目で訴える彼女に、僕は「召し上がれ」と思わず笑いながら返した。
「いただきまーす!」
何てことはない普通の生姜焼き弁当の記念すべき一口目を噛み締めた彼女は、「おいし〜」と蕩けそうな頬を抑える。
ヒスイには味覚はあるみたいだな。
本当にどうしてルタにはないんだろう。今度ガラクに聞いてみようかな。
……いや、もうどうでもいいか、そんなこと。
自分の決断を改めて確認した僕は同じく床に座り、幸せの絶頂にいるヒスイを横目にそっとテレビの電源をつけた。
もう夜も遅いので放送されているのはどこの局もだいたいニュースだ。評論家がよくわからない話を楽しそうに語っている。何かいいことでもあったんだろう。
『では、今日のトピックスです。皆さんは最近巷で話題になっている都市伝説をご存知でしょうか? こちらの写真をご覧下さい』
尺の都合なのか、微妙なところで話を切り上げた女性アナウンサーが次の話題へと移った。
最近の二ュースは都市伝説も取り上げるのか。まあこういうのってただの噂話に過ぎないんだよな。
しかし、スタジオ内の大きなモニターに映し出された1枚の写真が、そんな僕の考えを覆した。
『これは先日ネットの掲示板に投稿されて話題になった写真です。詳細はこの1枚では確認できませんが、青いヒーローと怪人が戦っているようにも見えます。実はこの写真以外にも先月辺りからこの青いヒーローと怪人の目撃情報が相次いでいるんです』
都市伝説の信憑性を僕はナメていたようだ。
ブレているものの、それはクリスタルライザーだとはっきりわかる。
アナウンサーが"怪人"と称したカラットは、その派手な斑点模様を見る限りおそらくサンゴーラルだ。
「これって……先輩なんですよね?」
テレビを前にわかりやすく硬直している僕にヒスイはそう問いかけた。その表情は心配に畏怖が少し混じっているような感じだった。
彼女は親友をクリスタルライザーに似たヒーローに殺されている。
最終的には敵対したにしても、同族を殺していく僕に多少の嫌悪感を抱くのは当然のことだ。
「うん……。ごめん、いい気分じゃないよね」
「いや、いいんです。私もカラットを裏切った身ですから。それより……もう戦わないんですか?」
完全に箸を止めてしまったヒスイの問いに、僕は思わず口をつむぐ。
咄嗟に彼女は「ごめんなさい」とばつが悪そうに謝った。謝らせてしまったと言った方がいいかもしれない。
「いや……僕には向いてなかったんだよ、ヒーローなんて。強い力をもらって、ただいい気になってただけなんだ。ルタやガラクには悪いけど……」
今日会ったばかりの後輩に……なんて情けない男なんだ僕は。自分自身を心底軽蔑した。
「……私、昔から争いごとが嫌いというか苦手だったんです。何せあんなに能天気な母と真面目で寡黙な父のもとで育ったもんですから。今日話した友達と些細なことでケンカしてしまった時も、どうしていいかわからずにずっと泣いてました」
ふいにヒスイは昔の自分を思い出して少し恥ずかしそうに語る。チャンネルと体勢をそのままに、静かに聞き入る僕。
「私と彼女は戦争を止められなかった。そして、戦争に巻き込まれた彼女は死んでしまった。だから、今度は同じ失敗はしたくないんです。もう二度と、大切なものは失いたくないんです」
言葉ひとつごとに千差万別する彼女の瞳の最終形態は固い決意に満ちていた。並大抵のことではそれは揺らぎそうにない。
僕にだって、その気持ちは理解できる。
だけど今の僕はその気持ちに応えることなどできない。
結局、二度も大切なものを失ったのだから。
「痛いほどわかるよ。けど僕はもう──」
「──私が戦います」
「えっ……?」
あまりにも直感的な疑問はもはや頭で考えることなく即座に口から飛び出す。
「普通の人間がある日突然バケモノと戦えと言われても、そう簡単にできるはずはないです。今この世界に人間に味方するカラットが私たち家族しかいないのなら、クリスタルライザーとなるべきは私なんです」
テレビはまだ消してない。けど、何を話しているのか全く聞こえない。
彼女の覚悟が雑音をかき消していた。
「先輩はこれまでずっと頑張ってきたんですよね。けど、もう戦わなくてもいいんですよ。お父さんには反対されるかもしれないけど……これからは、私に任せてください」
濁りのないその蒼い瞳が切実な想いを僕に訴える。
こんな時、僕が本当のヒーローなら「女の子に危険なことはさせられない」とか「やっぱり俺がやる」とか何とか言って、再スタートを切るべきなんだろう。
だけど僕は、全てを投げ出した無責任な言葉を飛ばすだけだった。
「……ありがとう。後任が見つかって僕も安心だよ」
なんだそれは。
バカなのか僕は。
逃げても逃げても自分の嫌なところがあとをついてくる感じ。僕は薄汚い偽りの微笑みを見せながら苦悩していた。
こんなはずじゃなかった。
苦しいことから逃げ出すためにクリスタルライザーをやめたのに、何か頭の中にしこりのようなものが残っている。
今の僕はまるで深い海底を目指して突き進んでいるようだった。
想定と違う現実に対する空虚感が僕を支配し、知らぬ間に布団の端を強く握りしめていた。
クリスタルライザーになる前、僕は妄想以外に頭を使うことは無かった。
妄想自体は中学生の時に余命宣告を受ける前から好きだったが、それ以降は専ら妄想に耽るようになって全く勉強をしなくなった。
それどころか、自分の将来についても何ひとつ考えなかった。高校も親が提案してくれた数校から祖父の家に最も近かったものを選んだ。
もし明日世界が終わるとしたら、その日のうちに出来ることを全てやるか何もしないかの2択だろう。
僕は後者を選んだのだ。
だけど時間は刻々と進んでいき、僕も高校三年生だ。就職か進学か、最近クラスはその話題でにわかに盛り上がっている。
20歳で死ぬとしても、高校を卒業してから残りの2年間何もしないというわけにはいかないだろう。
「はぁ〜、トラックに轢かれてどこかに転生しないかなぁ」
それでも僕は何も考えていなかった。
いや、正確には両親に卒業後どうするか聞かれたらなんて答えようか、みたいな本題を脇に置いたことばかり考えていた。
そして結局答えを出さずに妄想に引きこもっていた。
そんなこんなで今日も将来を熟考する生徒を横目に学校をあとにし、ひとり町を徘徊していた。
4月も後半に入り、ようやく春らしい気候になってきた。先月まで厚着をしている人が多かったこの通りも、今日は爽やかな着こなしが似合う人でいっぱいだ。
今日は商店街の方にでも行ってみよう。
駅へと続く巨大な通りを一歩外れた僕は、風情溢れる商店街へ足を踏み入れた。
子どもの頃にはよくこの辺りで祖父母と遊んだものだ。その頃は個性豊かなお店の数々が軒を連ねていたが、今では大手飲食チェーン店もここに進出している。
時代の栄枯盛衰とともにその顔ぶれも様変わりしていったのだ。
すりガラスでできた天井に全体が覆われた商店街は大通りよりも日陰の面積が大きく、自然と心が安らいだ。僕は影を伝ってあてもなく歩いていた。
「ちょいとお兄さん」
僕の耳にわずかな声量ながら確かに生命力を持った声が届けられる。振り返ると、駄菓子屋の前で一人のおばあちゃんがひょいひょいと手招きをしていた。
その柔和な表情を僕は鮮明に覚えている。
あいつと一緒に行った、あの駄菓子屋だ。
「お久しぶりです」
嘘っぽい笑顔を浮かべながらおばあちゃんの方へ歩を進めた。おばあちゃんは一層にこやかになり、「いらっしゃい」と僕を迎える。
なぜ僕を呼び止めたのかはあえて聞かなかった。
「テレビのニュースなんかじゃ春が来たなんていうけど、朝方はまだまだ寒くて困るねえ。私にとっちゃ春はまだ先だよ」
穏やかにやれやれと愚痴をこぼすおばあちゃんに適当に相槌を打ちながら、僕は駄菓子を物色していた。
せっかくだしヒスイに何か買ってやろう。
どうやらあいつは食べるのが好きらしい。ここのはどれも安いし、買い溜めしておこうかな。
「──お兄さん、大ちゃん最近どうしてる?」
背中越しに温かな口調の質問が飛んでくる。途端に僕の背中は凍り付くように固まった。
早くここを出たかった。
おばあちゃんが僕を呼び止めたのは絶対にそれを聞くためだと初めから分かっていたから。
呼び止められた時にいっそ無視すればよかったかもしれない。けどもう遅い。
「最後に来てくれたのは1月の終わりの方だったかねえ。それ以来一度も来やしないんだよ。毎週のように来てくれてたのに」
僕が大を殺したのは2月1日。約3ヶ月前だ。
ずっと待ち続けていたのだろう。
まさかこんなところで僕が犯した罪の重さを再認識させられるとは思いもしなかった。
「……なんかやりたいことが見つかったとかで、それに夢中になってるんです。大丈夫、元気ですよ」
よくもまあこんな嘘がつけるもんだ。きっと僕は地獄行きだろうな。
そりゃ「大は死にました」なんてこの状況で言える人間がいるとしたらそいつは人間じゃない。「噓も方便」とか「人を守る嘘はついてもいい」とかよく言われる。
だけど、人の死を偽って純粋な人の心を騙すのは人として許されるのだろうか。
「そりゃよかった……。また暇なときにでもいらっしゃいって、伝えといてくれるかい?」
心配から解き放たれ安堵しているおばあちゃんの瞳が、僕の虚ろな目玉を捉えて離さない。
「任せてください」
息巻く僕は、適当に袋に詰めた駄菓子の代金を払ってそそくさと出て行く。
これ以上あの場にいると、口から飛び出る妄言と意気地ない本心の乖離が僕の精神をバラバラに崩壊させてしまう気がした。
僕はただ、以前の何もない堕落した怠惰な生活に戻りたかっただけなんだ。
全てを捨て去ることでそれができると信じていた。
それなのに、何なんだよこの現実は。
どこまで逃げたって捨てたはずの苦しみが束になって襲い掛かって来る。
かと言って一度捨てたものを拾い上げるのは簡単なことではないし、当然に痛みを伴う。
どこにも逃げ場がない。
どうやったってこの心の闇が晴れない。
僕は一体どうすればいいんだ。
神様でも何でもいい、誰か僕を助けてくれよ。





