Trust.06 -秘匿 決して知られてはいけない-
一応話が纏まったということで、そこで僕たちは解散した。
五十嵐さんはルタとともに自宅へ、そして僕とヒスイは電車に乗るために駅へ向かった。
駅周辺のLEDライトの眩しい光、仕事や学校から解放された人々の喧騒が織りなす都会の風景に、ヒスイはその美しい瞳を持っていかれそうなほど目を奪われていた。
「私が生きていた時代にはなかったものばかりですね。逆に私が生きていた時代にあったものがこの時代にどれだけ残っているのか気になっちゃいます」
「ほとんどつい最近できたものだよ。少し前までは今見えているものの半分以上が影も形もなかったんじゃないかな」
時の流れなんて、実際にその時とともに生きてみないと実感できないだろう。
なんてことを考えながら、たまに現代文明について質問してくるヒスイに適宜返答していた。
こういう好奇心旺盛なところも誰かさんによく似ている。
夜空にもう星が見え始めていた頃、僕たちは足早に電車に乗り込んだ。
帰宅ラッシュによる乗客数のピークは過ぎていたみたいで、席には座れなかったもののすし詰め状態で押し潰されるようなことはなかった。
ヒスイは超高速で通り過ぎていく車窓からの景色に釘付けになっていた。
最寄り駅で下車し、そのまま徒歩で自宅へと向かった。と同時に、少し慎重になり始める。
時間的にまだ大丈夫だと思うが、仮に父とバッタリ遭遇でもしたらなんて説明すればいいかわからないから。
「ここが先輩の家ですか? うわぁ、おっきいですね〜」
今日が初対面のはずの僕にヒスイは気兼ねなく話す。その姿に僕はとある影を思い浮かべた。
「別に普通だよ。さ、母さんにバレないようにさっさと入るぞ」
白壁に覆われたごく普通の二階建ての一軒家。その玄関のドアノブをゆっくりと開き、まずは僕が入る。
入ってすぐ右が、リビングと対面型キッチンがある広い部屋になっている。そこへ入るドアのすぐ近くに2階へ続く階段が伸びている。
母が夕食作りに精を出してこちらに気づいていないことを確認すると、後ろ手でヒスイを手招きした。
身をかがめながら侵入したヒスイが脱いだ靴を、下駄箱の奥の方に隠し込む。
よし、ここまでは上々だ。
「おかえり。遅かったね」
しかし、教職にて鍛えられた伸びやかな声がリビングの奥から玄関まで届き、僕たちは顔を見合わせて戦慄する。
普通に気づいてたのか……!
ヒスイに階段を上った突き当りの右が自室だと指で簡単に示した僕は、平然を装いながらリビングに突入する。
内心は勘のいい母がヒスイに気づいてないかビクビクしていた。
「新しいクラスはどうだった? 友達はできそう?」
そう質問する母はフライパンの上で色とりどりの野菜を踊らせている。
とりあえず気づいてないようだ。
「どうだろう。まあボチボチかな」
言いながら、食卓の椅子に座る。
全く答えになってない曖昧過ぎる回答に、母が少し顔をしかめた。
「身体は大事にしてほしいけど、しっかり遊ばなきゃダメ。一人くらい友達は作っておきなさい」
さすが母親なだけある。僕のことなんて何でもお見通しなんだ。
叱るでも諭すでもない、呟くようなその言いつけに僕はぐうの音も出ない。
「……友達ってどうやったらできるかな?」
自然とこぼれ出た疑問に、母はしばし料理の手を止めた。
「ちょっと会話を交わしてその人のことを信頼したなら、もう友達だと思うけど。最近はそんなに簡単じゃないのかしら」
野菜炒めの塩っぽい匂いが鼻腔をくすぐる。「信じる」という言葉が脳裏をひた走った。
今の僕にとってそれがどれだけ難しい事か、母には知る由もない。
信じることの方が楽だなんて間違いだったんだ。
けど、疑うことだって楽じゃない。
結局、僕はひとりでいるのが一番楽だったんだ。
誰に干渉することもなく、誰かの気持ちに寄り添ったり逆に心配される必要もない。
幸い、僕は孤独には慣れている。
これでもし寂しがりやだったりしたら、もうどこにも逃げ場は無かっただろう。
自己中心的で都合がいい奴。逃げ腰、負け犬。
何とでも言って嘲笑えばいい。
壊されてしまうのなら、大切なものなんてもういらない。
順調に思考や言動がクリスタルライザーになる前のものに戻っていっている。
僕はついこの前までとはまるで別人のように負のオーラを身に纏い始め、それは入浴なんかでは到底洗い流せるものではなかった。
今年度からクラス担任を持ち始めた母はこの時期特に忙しいらしく、やるべきことをさっさと済ませると早くも寝床についた。
父がまだ帰宅してない今が絶好のチャンスだと踏んだ僕はヒスイに入浴を勧めた。
あまり勝手がわからないようだったが、一緒に入って手取り足取り教えるなんて何があってもやってはいけないので、とりあえずフィーリングで何とかしてもらった。
僕はその間にこっそり買っておいたコンビニ弁当をレンジで温めた。
脱衣所に僕の服とタオルを置いておき、あとは着実に近づいている父の帰宅予定時間に細心の注意を払っていた。
自分で言うのも変な話だが、父は今年でもう18になろうという僕を基本的に溺愛しているので、余程のことがない限りは仕事が終われば真っ直ぐ帰って来る。
僕は万が一の場合の言い訳を捻りながら、落ち着きなくリビングを歩き回っていた。
しばらくして、風呂場のドアがガチャっと開く音がした。
よし! 予想より早く出てくれた!
これで一安心だな。ホッと一息ついた、その時──
「ただいまー」
仕事疲れを感じさせない陽気な声が玄関先からかすかに聞こえてくるではないか!
おい待て待て待て!
父は帰ってくると必ず荷物を2階に置きに行く。
そして僕は「風呂から出たらすぐに2階に上がって」とヒスイに伝えていた。
まずい、このままじゃ鉢合わせになるぞ!
廊下に出るドアがリビング側とキッチン側に2つあるのだが、どちらから出ても僕と父の遭遇は避けられない。なのでヒスイのもとへ向かうのは難しい。
ということは、父を廊下じゃないどこかで足止めしておく必要がある。
僕はリビング側のドアから慌てて飛び出して2階に上がろうとする父を呼び止めた。
「おかえり。ねえ、ちょっと来てよ」
「お、正義、まだ起きてたのか。どうした?」
僕の不自然な誘いに、父はネクタイを緩めながら応えてくれた。
よし、リビングにおびき寄せることができた。ただこの先はノープランだぞ、どうする?
使えそうなものがないか周囲を見回すと、食卓に父の夕飯がラップに包まれて置いてあった。これだ!
「今日の夕飯の野菜炒めがとてつもない美味しさでさ。ちょっと食べてみてよ」
さすがに何かおかしいと勘繰られるかと思ったが、何一つ怪しむことなく父はラップをペロッと捲って野菜炒めを一口食べた。
「うん、こいつは確かに美味い!」
ああ、この人が親バカで良かった。
少し大きめの声を出しているので廊下のヒスイにも聞こえたはずだ。彼女が迅速に僕の部屋に行ってくれたことを祈る。
「ん? この弁当は?」
父は温めたあと食卓に置いていたコンビニ弁当を指さして疑問符を浮かべた。
一難去ってまた一難とはこのことである。頑張れ、言い訳を絞り出せ!
「こっ、これは僕が食べようと思って。実はまだちょっとお腹が空いてて」
咄嗟に出た言い訳は実に苦しいものだった。
僕はもともとそんなに食べる方ではないし、ましてや今日の夕飯はそこそこ量が多かった。
これでは変に思われても不思議では──
「……そうか。食べ過ぎには気を付けるんだぞ」
……失礼は重々承知している。
だが、この人がバカで良かった。





