表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/46

第6話 迂闊の極北

 その下着を凝視しながら固まっていると、頭上からわずかな声が聞こえた。


「あっ……」


 反射的に素早く見上げると……相変わらずタオル一枚姿のピオテラが身を乗り出していた。


 …………。


 これはいけない。


 既に乗員名簿は確認済みで、女性はラフナしかいないということは知られている。

 やはり密航者として引き渡してしまうべきか?

 いや、ピオテラの様子から俺と彼女はお互いを認知していたと思われるかもしれない。

 そうなったらついでに俺も御用だ。

 あ、あわわわ、どうしよう。

 どうしてくれよう。


 …………。


 あちこちで多くの人が作業をしていて騒がしいはずなのだが、ここだけは静寂があたりを支配しているような気がする。


 視点を曹長に戻すと、目を見開き、驚いたような顔で俺を見ていた。


 ど、どうしよう……。


「か、艦長……まーた商売女を連れ込んでたんですか~?」


 オルが唐突に口を開く。

 俺がそんなバカなこと……。

 いや、彼は突破口を切り開こうとしているのだ。

 そうだ、もうここまで来たら庇うしかない。

 彼に乗るしかない。


「……は、ははは、まぁ、同僚に手を出すわけにはいかんからな」


 動揺を隠せ!

 必死に抑えろ!

 諦めるな!

 あらゆる手段を尽くせ!

 戦場では、生への渇望を抱く者のみが生き残るのだ!


「ね、ねぇ、ダーリーン、それ拾ってくんなぁ~い? 拾ってくれたらぁ……すっごいサービスし・ちゃ・うン!」


 ピオテラがシナを作って、上から俺に声を飛ばしてくる。

 その引きつった笑顔が憎々しい。

 言われるまま、落ちていた下着を拾い上げ、震える拳で握り締めながら返答する。


「ほ、ホントかーい? ハニー。それじゃあ、『いっそ殺してくれ』って言うまで、めちゃくちゃにしちゃうぞー」


 サッと青ざめるピオテラ。


「こ、今回も結構可愛い娘ですねぇ。俺の方にもちょっとまわしてくださいよ~」


 さらにオルのフォローが入る。


「いいぞ! もうめちゃくちゃにしていいぞ! ゲロを吐くほどめちゃくちゃにしていいぞ! 俺もさっき貨物室でやったからな!」


 吐いたのは俺の方だが。


 急に怒りが動揺を追い越したのに気付く。

 この怒りは奴の迂闊さに対してか、それとも自分の判断の甘さに対してか。

 ……それはまだ、考える時ではない。


「少尉……あの……」


 曹長が口を開く。


「なんだ?」

「もしかして、その、密航……とか……」

「はははは、そんなわけないだろう。密航者があんな堂々としてるのはおかしいだろう。もし仮にそうだとしたら迂闊にも程がある。そう思わないか?」

「え、ええ……確かに……」

「だろう? 大体見ろよ、あの格好。ビッチ以外の何者でもないぜ」

「え、ええ……」

「ほら、男のサガってやつだよ。しょうがないだろ?な?わかるよな?」


 曹長も困惑しているのが分かり、虚言を吐くのも堂に入ってくる。


「ま、まぁ……そう……ですね……」

「ビッチすぎて、もうすごいんだぜ。さっきまで貨物室で及んでたんだ。ニオイに気付いただろ?」

「ええ……まぁ……」

「もう身体中汁まみれですげぇ興奮したぜ」

「少尉……」

「ん?なんだ?今度回してやろうか?」

「いや、いえ、その……高度……ですね……」

「ははは、そりゃ、いつも空を飛んでるからな」

「ははは……」


 い、いけるか?

 どうだ?

 彼の様子を伺って事の成否を確かめようとする。


 と、その時、後ろの方からつかつかと歩み寄る声が聞こえた。

 肩を掴まれ、無理矢理、後に向き直させられる。

 目の前にはラフナがいた。

 右手が振りかぶられているのが目に入る。


 ッパァン!


「!?」

「最低です! 私という者がありながら!」


 …………。

 お、おぉ……ふぉ、フォローだな?

 フォローだよな?


「先に戻ります! あとできっちりと話し合いましょう!」

「あ、ああ……」


 頬に衝撃の余韻と、火照りを感じる。

 あとからあとから、ジワジワと痛みが押し寄せてきている。

 ラフナなりに何か考えての行動だったのだろうが、意図がいまいち分からない。

 再び混乱が押し寄せてくる。

 曹長の方に振り返り、彼の様子を伺うと、呆然とした顔をしている。

 俺以上に混乱の度合いを深めている様子が手に取るように分かる。


「ま、まぁ、民間船じゃよくある話さ。長く勤めてれば、これからいくらでもそういう機会に巡り合うはずさ。勉強になったな」

「は、はぁ……」

「みっともないとこ見せちまった。これ、迷惑料な」


 そう言いながら、彼の手にポケットから取り出した紙幣を握らせる。


「じゃあ、またな。帰りもよろしく頼むよ」

「え、あ、はい……」


 手をヒラヒラと振ると、彼もヒラヒラと手を振り返してくれる。


 俺が貨物室に入ると、ものすごい勢いでハッチが閉まっていく。

 開閉レバーの方を見ると、鬼のような形相のオルが、壊れるんじゃないかと心配になるほどの速度で、親の仇のようにレバーを回していた。


「じゃ、じゃあね~、兵隊さぁん。戻ってきたらあなたのお相手もしてあげるわ~」


 頭上から頭の悪そうな声が聞こえてくる。

 それに対してか、上を向いて同じようにヒラヒラと手を振る曹長。

 それが、この場において見た、彼の最後の姿だった。


 ハッチが閉じ終わると、貨物室の伝声管にすがるように駆け寄る。


「機関発動! 回廊に進入する! ぜ、全速でお願いしまぁす!」



 *



 怒りに任せて床を踏み鳴らしながら艦橋へと向かう。


 艦橋に入る扉を思い切り開き、中に入る。


 そこにいたのは操舵手と、機関長だけだった。

 扉が開く音に多少驚いたかのように振り返った彼らに尋ねる。


「ピオテラは!?」

「……ピオテラ?」

「女! 女だ! ラフナじゃない女!」

「ああ、あの艦長の愛人ですか。ラフナと一緒に彼女の部屋に行ったと思いますが……しかし、艦長も隅に置けませんな。船に連れ込むなんて大胆なことをする」


 愉快そうに笑いながら、機関長が答える。


 愛人……?

 なんだ、それは。

 しかもなぜ奴の存在を知っている?

 引き合わせた記憶は……ない。

 いや、そんなことはあとだ。

 先に済ませなきゃいけないことがある。


「そうか、ありがとう」


 努めて冷静に感謝を口にする。


 来た道を戻り、ラフナの船室に向かう。

 二度手間をかけさせおってからに……!

 つまらないことに怒りが増幅されるのをはっきりと感じた。



 *



「ピオテラァァァァァ!」


 ラフナの部屋の扉を力強く開け広げる。

 彼女の姿を認めると、思い切り下着を投げつける。


「テメェ……」

「君ね……」


 ピオテラに向かって詰め寄るが、なぜか彼女も立ち上がり、詰め寄ってくる。


「誰がダーリンだ!」

「誰がビッチだ!」


 ゴン、という音が聞こえそうなくらいに、お互いに頭部をぶつけ合う。


「んだコラァ!」

「んのかオラァ!」


 お互いにぐりぐりと頭で押し合いをする。

 その状態で睨み合ってると、横から手が伸びてきて……ピオテラの服を掴み上げる。

 目線を移すと、それをしたのはオルだった。

 彼は彼女を自分のすぐ目の前に勢いよく引き寄せる。

 あまりに強い勢いだったので、俺は思わず手を離す。


「おい、お前……何考えてやがる……」

「ひっ」


 少なくとも彼女の前では常に穏やかにしていたオルが、ドスの利いた重く、低い声でピオテラに問いかける。

 今までの彼とは打って変わった様子に、ピオテラは明らかに怯えた声を上げる。


 ここまで怒りを露わにするオルは、俺も初めて見たかもしれない。

 めちゃくちゃ怖い。


「お前のためにこっちはあれこれ手を尽くしてやってたんだぞ……。それをご破算にするだけじゃなく、俺たちも破滅させるつもりか……?」

「う、ううん、そ、そんなつもりは……」

「じゃあ、どういうつもりだったんだ……?」

「部屋の前を通った兵隊さんの声が遠くなって……検査が終わったのかなって……で、いい加減寒くなったから……みんなに聞いて回りながら服を取りに行って……」

「あ?」

「ひぃっ」

「……チッ、もういい」


 ゆっくりと彼女を離し、近くにあった椅子に苛立たしげに大きな音を立てて座る。


「悪かったな。ずいぶんと感情的になった」

「う、ううん。も、元はと言えば、あたしがバカなことしちゃったからで……」

「そうだな」

「う、うん……あの……ごめんなさい……」

「もういい。それより、これからの話をしなきゃならん」


 しばらく目頭を押さえながらそう言ったのち、俺の方に向き直る。


「状況を整理しよう」

「は、はい……」


 あまりの迫力に気圧されて、思わず折り目正しく返答する。

 俺の怒りはすっかりどこかへと消え失せてしまった。

 胸中に残ったのはただ一つ。

 オルがここまで怒るようなことは絶対にしないでおこう、という強い決意だけだった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ