第43話 晩餐
守衛は屋敷の目の前まで俺達を連れてくると立ち止まる。
それと同時に中への進入を妨げていた扉が内側へと、片側ずつ、ひとりでに開かれていく。
当然、中の使用人が開けてくれたものだ。
いや、使用人の中でも地位の高い家令のテオラキだった。
彼は扉を開き終えると、俺達全員を何度か素早く見回す。
人数? 身なり?
何をチェックしているのか分からない。
不意に彼の眉が俺に視線を向けたままピクリとした。
身なりだったらしい。
そして一番俺がダメだったらしい。
「女性をエスコート……という風ではありませんね」
あ、そっちね。
相変わらずピオテラが俺にすがりついていたので、それが気になったらしい。
なんかやつれてるしな。
「エスコートするにしても、もっとマシな出で立ちなら様になったでしょうに」
あ、そっちもなのね。
「は、ははは……」
顔を合わせて最初に交わす言葉が嫌味とは、仕える主人とは正反対だな、と思ってしまう。
いや、こういうものだろう。
主人の前に無礼な者を引き出しては彼自身の沽券に関わる、ということもあるかもしれないし、ないかもしれない。
「この度はお招きいただき、ありがとうございます。皇帝陛下のご恩寵、ヤサラフォル様のご厚情に感謝申し上げます」
「……では、こちらへ」
右手を胸にあて、軽く頭を下げ、それっぽく挨拶する。
それっぽく、というのはアンテルバフ王国の形式で、『国王』の部分を『皇帝』に変え、そのあとに実際に招かれた領主家の名前を出しただけである。
その挨拶は受け入れられたようで、屋敷の中へと足を踏み入れる事を勧められる。
本当は帝国式の正しい決まり文句や所作があるのだろうが、外国の庶民ということで見逃されたのだと思う。
……帝国のことなんざ知ったことではないわ!
勧めに応じ、全員が通ったところで、テオラキが開いた扉を外側に押して閉めると、再び俺たちの前に立つ。
内開きか。
セレースバヒロ領邦も長く戦地になった経験があるからか、どの領主家も、少なくとも外へ通じる扉はどれも守りやすい内開きになっていることが容易に察せられる。
まぁ、そんな推察などどうでもよろしい。
先を歩くテオラキに従い、奥へと進んでいく。
*
「エフレクテリ様ご一行をお連れしました」
とある部屋の比較的大きな両開きの扉の前でテオラキが声を張り上げる。
「入っていただいて」
中から聞こえたのは少女の、つまりはセラチの声。
「失礼します」
その言葉を聞き届けてから、テオラキは扉を内側へと押し開く。
見えたのは広い間取りの部屋に、眩しいほどに純白のテーブルクロスがかけられたいくつか長机、そして意匠はほどほどだが、しっかりとした背もたれ付きの椅子がいくつも並んでいる様子である。
だが、中に入ってみると、それほどの広さは感じられない。
おそらく、うちの乗員が全員来たとしたら身動きがとりづらくなりそうな程度の広さだ。
「お待ちしてました」
俺たちの姿を認めてから、最も奥の、つまりは上座にある椅子から立ち上がり、それらしい所作でこちらへ挨拶を口にするセラチ。
「こちらこそ、お招きいただきありがとうございます。皇帝陛下のご恩寵、ヤサラフォル様のご厚情に感謝申し上げます」
先程とまったく同様の挨拶で応じる。
「ほう、同盟ではそのような堅苦しい言い回しをするのかね」
上座のすぐ隣の席に座ったままだったマレザンがそのように言う。
「帝国ではそんな気の利いた挨拶などせんよ。敬意を払っていさえすれば、適当な言葉でいいんだ」
な、なんだと。
「我が国も見習うべきかね」
「いえ、それぞれの国ごとに儀礼が違うからこそ、文化の違いを楽しめるので、是非このままで」
「はは、そうか」
そうとも。
是非もなく見習わないで欲しい。
帝国のが気楽でいい。
いやはや、こういった階級の人々の苦労が忍ばれる。
「まぁ、どうぞ、お座りください」
俺とマレザンのやり取りをにこやかに聞いていたセラチが着席を促す。
それに従い、マレザンの対面に俺が座り、彼の隣にはラフナが座る。
これで概ね、突然の非礼は避けられるだろう。
はぁ、気を遣う……。
あとは俺の隣にピオテラと1人の乗員、ラフナの隣にはもう1人の乗員という形になる。
それでも、入ってきた扉までに並んでいる空いた椅子はいくつもある。
わずかな寂寥感。
「皆様、あまり気が進まれませんでしたか」
俺の視線の先を追ってか、セラチは少し寂しげに笑いながらそう言う。
「そんなことはないのですが、何か失礼があってはいけないので、こちらで勝手に人数を絞らせていただいただけです」
「そうですか。いえ、お越しいただいただけでも嬉しく思いますわ」
まったく事実ではないし、しかも、この場に居るうちの6割も失礼しそうなのだが、あえて言うまい。
何かあったとしても余程のことでなければ、テオラキはともかく、セラチとマレザンは笑って許してくれるだろう。
今さらながら、机の上には食器などは並んでいるが、料理はないことに気付く。
仕込みはしてあるのだろうが、温かいものを出したいという心配りかもしれない。
そう解釈すると、ふと嫌な考えに思い至る。
「もしかしたら、なのですが、乗員全員分とお考えいただいて食材などを仕入れられたのでしょうか?」
だとしたら大損をさせたことになる。
かなりの失礼さ加減だ。
商人としては。
「お気になさらずとも大丈夫ですよ。ほとんどは日持ちがしますし、日持ちがしないものも屋敷の人間の食事を少し豪華にして、何日かに分ければ食べきれる程度です」
「そうですか……。それは、その、安心いたしました」
「と言うのも、食材の値段が上がっているらしくてな。予定よりも仕入れられなかったという話だ」
横からマレザンが口を挟んでくる。
食材の値段が上がってる?
不意に銀行でのやり取りを思い出される。
「こちらに着いてから街の様子は見て来られたかな?」
「いえ、その、色々とありまして、詳しくは……」
「そうか……。私達も色々とあってな。街には出ていないんだ。商人目線での様子を聞かせてもらえたらと思ったんだが……」
「申し訳ありません」
「いや、気にしないでくれ。また後日にでも聞かせてもらえればいい」
「後日? 明日には発とうと……」
「金貨100枚では足りんかね?」
「ぐっ……」
それを言われると弱い。
だがこちらにも商売というものがある。
「君達に頼みたいことがあるのだが……まぁ、もしかしたら、の話だ。あと1日留まってくれたら、それでいい」
「またこちらへ参上すれば?」
「ああ、そうだな。気軽に訪ねてくれればいい。気安い場を用意しよう。そういえば、もう一人の……オルエニくんだったか。彼はどうした?」
「彼は街の様子を見たい、と申しまして」
「それは丁度いい。彼の目線こそ……いや、彼の目線での話も聞きたい。次は是非連れてきてくれ」
つまり、商人としてはオルの方が優れているとお思いなのですね?
お察しの通りです。
セラチが口を開く。
「バーリニに比べて、小さな街と思われたでしょう?」
「いえ、そんなことは」
思いました。
もちろん、口にも表情にも出さない。
「銅は採れますが、あとは木材、石材くらいしかありませんから、商売にはあまり向いてないと思いますよ」
困ったような、悲しそうな笑顔でそう話すセラチ。
銅が採れるのか。
結構な強みだと思うのだが……。
そういえば、オルが銅を気にしてたな。
あとで聞かせて……いや、すでに街で聞いているかもしれないか。
幾ばくか、セラチからこの領地の紹介をされたあとは、俺とマレザンが主となって一種の商談や雑談に興じていると、やがてテオラキと数名の女性の使用人が料理を運んでくる。
繊細な味付けだが、見た目にはさほどこだわっておらず、一皿一皿、量もそれなりにある。
また、取り皿が用意され、各自好きなように好きなだけ切り分ける肉もテーブルの中央に据え置かれる。
帝国のお貴族様はほとんどが軍隊経験者だから見た目よりも量、という考え方なのかもしれない。
だが、それが庶民にはありがたい。
この気疲れの分くらいは取り返そう。
唐突にピオテラが立ち上がり、中央に置かれた肉をレクチャーした通りにおとなしめな動きで切り分けていくが、取ってきた量はまったくおとなしくない。
マレザンに目をやるが、ラフナと談笑していてピオテラの動きを見られていなかったようだ。
だが、セラチは見ていたようで、面白そうにクスクスと笑っている。
それにしても、あれだけ足にダメージを負っていたピオテラにしては素早い動きだなと、ふと足に目をやると、ヒールはすでに脱がれて、裸足になっていた。
うん、そっちの方がよく似合ってる。
ちなみに乗員の2人は場に飲まれてか、あまり食は進んでいなかった。
まぁ、俺も時折マレザンと貴族版セラチの相手をして、似たようなものだったが。
*
一緒に供されたビールやワインなどで舌も滑らかになり、俺が軍人だったことを漏らすと、驚くほどマレザンが食いついてきた。
それからは互いの軍隊での苦労話などを言い合ったが、ほとんど名ばかりの王国軍と違い、実戦を経験せざるを得ない帝国軍での話は非常に興味深かった。
そのような話に興じ、一通り食事は済んだ、と思える頃には既にだいぶ夜も更けていた。
「お泊りになっていっては?」
マレザンとの話も途切れがちになり、頃合いを見計らって、さて、そろそろお暇しようかなと別れと感謝の挨拶をしようと立ち上がった俺は、セラチの一言にギョッとした。
「いえ、これ以上、ご迷惑をおかけするわけには……」
「部屋は余っておりますし、こんな夜更けにお酒をお召しになられた方を放り出すのは忍びありませんわ。それに……」
セラチがちらりと俺の後ろ、つまりはピオテラに目をやる。
「う、動きたくないですぅ~……」
こ、こいつ……。
「いえ、このように粗野な者を高貴なこの邸宅に、これ以上、居座らせるわけには参りません」
「わたしがピオちゃ……ピオテラ様と一緒に居たい、と思うのはワガママに過ぎますでしょうか?」
「え、あー、それは……」
すっかりなついてるな……。
でもなぁ……。
困惑していると、マレザンが俺ではなく、セラチに助け舟を出す。
「遠慮せず泊まっていきなさい。寝衣なら用意させよう。私ももう少し、君と軍での苦労話に華を咲かせたい気分だ」
うへぇ……。
興味深かったとは言え、最後の方は華を咲かせるというよりは、一方的にマレザンの武勇伝や愚痴になっていた。
ご勘弁願いたいが……多くの理由で断りづらい。
乗員2人を見ると、嫌そうな顔をしつつも、疲れ切ってか、なんでもいいから早く休ませてくれという表情だ。
むむむ……。
「……承知いたしました。お言葉に甘えさせていただきます」
まぁ、一晩くらいなら構わないだろう。
「ハラスダハ様のお話ももっとお聞きしたいですし」
社交辞令を忘れずに。
「ははは、そうかそうか。聞いてくれるか」
酒のせいか、素直に受け止められてしまった気がする。
ゲンナリだ。
テオラキをはじめとする使用人たちに先導され、各々が割り当てられた部屋へと案内されていく。
当然、俺は残る。
よーし、耐えるぞー。忍ぶぞー。
*
どれほどの時間が経っただろうか。
マレザンがうつらうつらとし始め、傍に付いていたテオラキに連れ添われて寝室へと向かう。
同じく、俺も傍についていたもう1人の使用人に寝室へと案内される。
使用人が退室するのを確認してから、ベッドの上に用意されていた寝巻きに着替えることもなく、コートと靴を脱ぎ、素早く寝床に潜り込む。
あー、疲れたー。
疲れたんだよー。
想像以上に心地の良い寝具に魅了され、抵抗することもせずに眠りにつく。
しかし、体感ではわずかばかりの時間のあと、窓の外から聞こえてきた誰かの怒声に起こされる。
寝起きに聞くにはあまりにも不適当な声だ。
しかも部屋の中はカーテンを閉め切っているとは言え、夜が明けたと思えるほどの明るさは微塵も感じられない。
この屋敷の使用人の教育はどうなっているのか、と寝ぼけた頭でおそらく見当違いの憤りを感じつつも、眠気には勝てず、再び目を閉じる。
怒声は先程の一度きりで、あとは静かになった。
もう邪魔者はいない。
では、再び夢の中へ。
ふぅ、と息を吐き、身体中の力を抜く。
静寂という音が耳に入ってくる。
そして。
銃声も。




