第36話 まち
セラチが前に進み出て、守衛へと話しかける。
「あの、わたくし、お爺様にお会いしに来たのですけれど、お取次ぎをお願いしたいのですが……」
「お爺様?」
「あっ……と、領主様です」
「当主様は只今、領内の街々を視察中でご不在です」
「いつごろ戻られますか?」
「申し訳ありません。そこは職務の範疇ではないので存じ上げません。ただ、今日中に戻られるという話は聞いておりません」
「そう……ですか……」
「失礼ですが、当主様とはどのようなご関係で?」
「その……孫にあたります」
「……ご無礼をお許しください。何かご身分の証明になるようなものは?」
彼女はチラリと鞄に目をやるが、すぐに視線を守衛に戻す。
「それは……その……申し訳ありません……」
「そうですか……。では、領政庁の政務官殿ならどなたかは庁舎にいらっしゃると思いますので、そちらの方へ連絡申し上げまして……」
「あっ、いえ、それは結構です」
「はぁ……。では、あなた様のお名前と用件を伺って、のちほど当主様にお伝えしますか?」
「ええ、そうしてくださいませ。名前はセラ……孫のセラチェリエとだけお伝えいただければお分かりになるかと思います。用件につきましては直接お会いしてから申し上げたい、ということをお伝え願えますか?」
「承知しました。お呼び出しすることになるかと思いますので、ご滞在先を伺っても?」
そう問われたセラチは一度こちらに戻ってきて、俺たちが宿泊する予定の宿の名前と、おおまかな場所を聞き、それを守衛に伝える。
てっきり、このままセラチが屋敷に招き入れられると思っていた俺は、宿の宿泊者数の変更を申し出なきゃいけないな、などと考える。
聞こえてきた会話の中に、今まで知らされていなかった事はないので、思考の余地が十分にある。
訪ねる相手が領主自身だったことが確かになったことくらいが初耳と言えば初耳だが、まぁ、それは予想できていたことだ。
驚くに値しない。
セラチがこちらに戻ってくると、わずかに頭を下げる。
「ごめんなさい。勝手に決めてしまって申し訳ないのだけど、もう少しだけご厄介になってもいい?」
「ああ、構わんぞ」
「お金は……あっ……」
鞄を守ることだけ考えていたのだろう。
どうやら手持ちは無いらしい。
「ああ、いいよ。立て替えるだけでいいよな?」
「うん、それでいいのよ。ありがとう」
セラチは少し申し訳なさを含んだ笑顔で礼を言う。
「印章を見せれば手早かったんじゃないのか?」
「見せなくても済む場面だと思ったのよ。違ったかしら?」
「さて、どうだろうか」
「お爺様にわたしの名前がちゃんと伝われば問題ないのよ。いつもすごく可愛がっていただいてるから、すぐに気付いてくださると思うのよ」
「セラチがそう思うのなら、それが正解だろうな」
「うん。ふふっ」
いつもの『お爺様』の姿を思い浮かべてなのか、彼女は純粋な愛らしい笑顔を見せる。
「そ、そんなことよりさ、用事が済んだなら早く戻ろうよ」
遂に肌寒さに敵わなくなったのか、ピオテラがそう提案して来る。
その横でラフナも首を何度も縦に振る。
「そうだな。さっさと戻ろう」
俺がそう言うと、全員が全員、セラチの歩調に合わせつつも少しばかり早足気味で昇降船の発着場へと戻った。
*
下の発着場に降り立つと、再び始まったばかりの春の陽気が身を包む。
「ああ~、生き返る~」
「昇降船の中も暖かかったろ」
「あんな狭いとこで感じる暖かさとは質が違うよ!」
鼻息を荒くして反論するピオテラ。
うーん、そういうものかなぁ。
ただ、時間は既に夕方に差しかかっていて、その陽気も徐々に薄れてきている。
そろそろ乗員達に指示した集合の時間だ。
「ちょっとだけ! ちょっとだけ街を見て回ろう!」
「1人で行ってこい」
「えっ、迷っちゃうよ」
「こっちもこの街は用事があるとこまでの道しか知らないんだ。迷っても探し出せないし、たぶん俺も迷う」
「あっ、じゃあ、ここを目印にして、ここで集合ってことで――」
「どこぞへ入り込んで、ここまでの道筋が分からなくなったらどうする」
「さすがにそんなことは……うーん……」
あるらしい。
「この時期じゃ、夜になればさっきの浮遊島の上よりも寒くなるぞ」
「そ、それは困る」
「なら大人しくついて来い。街巡りなら明日にすればいいだろう」
「はーい……」
ご納得?いただけたようで何よりだ。
一番の懸念は何か余計な事をしでかさないか、ということなんだが。
空港に辿り着くと、俺たちの船の前には既に幾人かが戻ってきていた。
しばらく待って半数以上が集まった時点で、第一陣としてオルが宿まで先導していく。
ラフナとピオテラ、そしてセラチもそれについていく。
随分と寒くなってきたからな。
女性には辛かろうという配慮だ。
機関長と駄弁りながら待っていると、残りの乗員達が全員揃う。
一部が明らかに酔っている。
昼間から何してんだ。
*
翌朝。
「さぁ! 街巡りに行くよ!」
勢い良く開かれた扉が大きな音を立てるのに起こされた。
音がした方に目を向けてぼやけていた視界が徐々にはっきりしてくると、見えたのはピオテラだった。
目の下にはクマが出来ている。
ああ、これは楽しみすぎて寝れなかったやつだな。
ピオテラの後には同様に目元にクマが出来たセラチも立っている。
そういえば、同室にしたんだっけか。
彼女も楽しみにしていたのか、それともピオテラが寝かせてくれなかったのか。
判断を誤ったかもしれない。
「……おう……行ってらっしゃい」
「ディムくんも行くんでしょ?」
「えぇ……?」
「そう言ってたじゃん!」
「そうだっけ……?」
「そうだよ!」
「でもほら、領主からの呼び出しがあるかもしれないし……」
「そんなのオルくんに任せればいいんだよ」
「いや、そういうわけにも……」
「セラチの替えの下着を買う方が優先でしょ!」
「えぇ……?」
どういうわけだよ。
「あの……ピオちゃん……恥ずかしいのよ……」
そう言いながらセラチは赤面しつつピオテラの服を引っ張る。
「え? あ、そう? ごめん」
「う、ううん、いいのよ」
下着なんてそう毎日取り替えるものではないのだから慌てなくても良いと思うのだが、やはり上流階級は違うのだろうか。
ちょっとしたカルチャーショックだ。
「女性モノの何がしかを買いに行くなら、なおさら俺はいらないだろ……」
「誰がお金出すと思ってんの!」
「なんで俺が金を出すこと前提なんだ!」
お互いを威嚇しあうように、にらみ合う俺とピオテラ。
後のセラチはどうしたらいいか分からず、あわあわしている。
「お前ら、朝から騒がしいぞ」
不意に彼女らの、さらに後ろからオルの声が聞こえてくる。
俺とピオテラは一斉にオルに視線を向け、ほぼ同時に吼える。
「こいつが!」
「この甲斐性なしが!」
「甲斐性なしってなんだ!」
「なんだってなんだ!」
2人でにらみ合いを再開する。
「ちょっと落ち着け。なんだ、どういう話になってるんだ。ディム?」
「……あー、ピオテラが外に遊びに行きたいらしい」
「ほーん、いいじゃないか」
「俺もついていかなきゃいけないらしい」
「いいじゃないか」
「よくねぇよ。領主からの使いが来たらどうするんだ」
「来たら俺が引き止めといてやるよ」
ちょ、ちょ、ちょっと。
「ほら! オルくんが待っててくれるって」
「だからって女性モノの下着を買いに行くのに付き添うなんて真っ平御免だ!」
「よし、ディム、行ってこい」
「なぜそういう結論になる!?」
「やんごとなき事情による」
「どういう事情だ。言ってみろ」
「やんごとなき事情だ」
ああ、これは不毛だ。
どうせ単純に『そんなとこに行きたくない』という理由だろうが、オルとこんなことで議論するのは時間の無駄だ。
「……チッ、分かったよ。だが、店の前までだからな」
「やったぁ!」
ピオテラが喜びを爆発させる。
なぜセラチの用件を済ませるのにそんなに喜ぶんだ?
そこまで親しく思うようになったのか。
悪いことではないが。
すっかり失念していたが、ピオテラの手綱は俺が握らねばならんらしいしな……。
「ついでに何か甘い物とかもご馳走になろうね! セラチ!」
「え? あ、はぁ……」
ああ、そういうことね……。
降って湧いた用件にチラリと俺を見て顔色を伺うセラチ。
……まぁ、いいだろう。
少しでもそれで彼女の気分転換になれば幸いだ。
幼い身で背負うには色々ありすぎたのだから。
そういえば、ラフナに甘い物をご馳走すると約束してたな。
彼女も誘って行こう。
そうしないと……。
彼女としてはそっちの方が嬉しいかもしれないが、俺の沽券に関わるので何としても矛を収めてもらわねばならない。
「それじゃ、もし使者が来たら宿の店主に引き止めといてもらおう」
そう言い出したのはオルだ。
……え?
「甘い物……じゃなくて、女性の下着はセンスが重要だからな」
ああ……そう言えばこいつ、甘味が好物だったな。
頭を使うとどうたらこうたらとかで。
難しい理屈をこねていたが、ただ単純に好きなだけだろう。
顔に似合わず可愛らしい好みだと思う。
「センスが重要ってんなら、お前はそういう店に入る心構えがあるということだな」
「……任せろ」
「なぜ間があった」
「会話の上で間は重要だ」
「そう……?」
「そうだ」
……これもまた不毛だろう。
結局、いつもの4人にセラチを加えて5人で行動することとなる。
宿の店主には、使者が来た場合は引き止めておいてくれるように頼み、午後には戻ると言い残して外出する。
*
銀行に寄り、律儀に金を多めに引き出したあと、甘味はそういうものも提供してくれる食堂に目星をつけて、昼食にあわせて摂ることにした。
商業区の主要な通りには様々な店が立ち並び、少しでも興味を引かれればあっちこっちにフラフラするピオテラの操縦に難儀した。
やっぱり1人で放り出すには不安でしかないことを再認識させられる。
昼時までにはまだ時間があるので、まずは女性モノを多く取り扱っている店を探し出して当初の目的を果たすことにする。
そういった店はいくつもあったが、女性陣が『ああでもないこうでもない』と言い合いながら当たりをつけていく。
しばらくすると結論が出たようで、何度目かに見た服飾店に女性陣3人が入って行った。
……3人?
「おい」
「なんだ」
「センスが重要なんじゃないのか」
「重要だな」
「心構えがあると言ってたな」
「言ってたな」
「入らないのか?」
「任せろと言っただろ」
「言ったな」
「じゃあ、判断は自由だ」
こ、こいつ……!
いや、怒ってもしょうがない。
こいつはこういう奴だと分かってたはずだ。
寝起きで上手く回っていなかった俺の頭が悪い。
自省していると、店の扉が開き、ピオテラが出てくる。
何も言わずに俺の腕を引っ掴むと店内へと引きずり込んでいく。
まったく状況が飲み込めず、ただされるがままの俺。
気付けば店内にいた。
「……なんで?」
「財布がないと困るでしょ」
「あ、そう……」
みんなしてあんまりだ。




