第35話 浮遊島
帝国が領土的にも経済的にも、さらには軍事的にも巨大な国なのに反して、それぞれの商会はあまり大きくはなく、各地に密着して存在するものが多い。
というのも、それぞれの商会は歴史が古いものが多く、それゆえに排他的な傾向にあるのが一因として挙げられるだろう。
いくつかの大きな『商業的な同盟』は存在し、対外進出に関しては協力し合わないこともないが、国内での商売については一枚岩とは言い難い。
外に進出するにしても、帝国が各国と常に何かしらの問題を抱えているので、進出したそばから撤退せざるを得なくなったという事例は数え切れないほどあるらしい。
そこに同盟側の付け入る隙があるというわけだ。
と言っても、先のカルノでの事件の通り、同盟側も一枚岩とは言い切れないのだが、各国との関係の良好さや対応の柔軟さは帝国内の商会のそれに比べれば随分とマシではある。
裏を返せば、同盟が帝国に対して優位なのはそれくらい……という事実に悲哀を感じざるを得ない。
いつもの取引相手の商会に着くと、早速応接室へと通される。
しばらくお互いの近況や国の情勢などの雑談に興じたのち、本題に入る。
オルが相手に取引品目の書類を渡すと、相手は少し眉をひそませる。
「いつもより量が少ないように思いますが」
「おかげさまで、あちこちでご好評をいただいてるようでして、確保できたのがその程度なのです。それでも他の商会に比べれば、うちが確保できている量は群を抜いてますよ。元から扱ってるものですからね」
オルの口から出たのは真っ赤な嘘である。
あれやこれやでガチャガチャやったせいで、特にガラス製品に関しては2割程度が失われた。
いや、『2割程度で済んだ』と思えばいいだろう。
精神衛生上、その方がよろしい。
「ご安心を。価格には大きく変化はありませんので」
「大きくはないが小さくはあると」
「そちらが販売する際、価格に転嫁しても問題ない程度の差だと思いますが」
「ふぅむ……まぁ……」
こっちの勝手な都合で失った利益を少しでも取り返そうとするオルさん。
内情を知る俺からすればあくどいと思わなくもないが、相手には知る由もない。
ここで一度値上げに同意させれば今後に繋がる可能性もあるしな。
いいぞ、もっとやれ。
「毛織物に関しても、北方の戦争で使うためか、高値をつけるから譲って欲しいとは言われてるみたいなのですが、貴商会と良好な関係を続けたい我々としては無理を押し通して、この量を運んで参った次第です」
「ほう、それはそれは……」
「ただ、私達も商売人な上に雇われている側ですからね。上からの強い指示があれば、今後こちらに回す量も減らさざるを得なくなるかもしれません」
「私どもも帝国の臣民ですからね。帝国の一大事に関わるのであれば、それも致し方のないことでしょう」
毛織物の値も釣り上げようとしたらしいオルの発言は上手くいなされる形と相成った。
「そうですね。帝国あっての貴商会ですし、貴商会あっての我々ですから、その点でご理解をいただけたのは非常に助かります」
「いやいや、ははは。それで、今回も染料や石炭をいくらかご用意すれば?」
「ええ、そうですね。ああ、それと、こちらでは銅や鉛も扱ってらっしゃいましたよね。是非、そちらをお譲り頂きたいのですが」
「ふむ、いかほどご用意いたしましょう?」
「そうですね……」
そう言いながら、用意されていた紙とペンで量と単価を書き出し、店長に差し出すオル。
「これぐらいで」
「……鉛については何とか都合がつけられそうですね。ただ、銅については他に大口のお客様がおりまして……」
「大口の?」
「ええ、まぁ」
「ふむ……では、これくらいの単価では?」
彼は相手の手元にあった紙の数字を訂正する。
その数字をチラリと見てすぐに、店長は回答を寄越す。
「……すみません。これでもちょっと……」
「そうですか……。ちなみにどこからの……いや、失礼。そういうものは聞かないのが礼儀でしたね。分かりました。今回は諦めましょう」
「ご理解いただけて何よりです。お詫びと言ってはなんですが、鉛はご希望通りに用意いたします。ああ、もちろん、そちらの品も言い値の通りに」
「ありがとうございます」
「こちらこそ」
そう言いながらお互いに立ち上がり、握手を交わす。
もちろん俺とも。
店から出ると次にカルノ支店から依頼を受けた物の買い付けに行く。
相変わらずセラチは唯々諾々と従ってくれたが、ピオテラは服飾店を見れば見に行きたい、屋台を見れば食べてみたいと駄々をこねた。
精神年齢はどちらの方が上なのか、さて。
まぁ、気持ちは理解できるので宥めすかせるだけにする。
*
その後、回るべきところを回り、屋敷に向けて歩き出す。
先程のやり取りで気になった点をオルに尋ねてみる。
「銅とか鉛とか、急に言い出したのは何だったんだ?」
「んー? そうだなぁ。色々と探ってみたかっただけだよ」
「探るためだけに仕入れたのか?」
「そんなわけあるか。扱ってみるのも面白そうだったからだ。特に鉛は弾丸やら何やらで北方での需要は高まってるだろ」
「なるほど。言われてみればそうかもしれん」
「あちらさんの商会独自ではもちろん、多くの商売人がこぞって買い付けに来てはいるだろうが、輸送量の点ではいくらでも食い込む余地はある。そこにちょっと入り込めるか試してみただけさ」
「じゃあ、銅は?」
「航空艦や陸海軍でも備品に使われるだろ。航空艦なら船体の補強材とか船内の設備とか」
「ああ、確かに。でも、最近は帝国では大きな会戦がなくて軍需関係では、そう大した需要はないと思うが……」
「軍隊に限った話じゃないさ。民間船用に需要は少なからずあるだろう。同盟で売り払うアテはいくらでも思いつくし」
「同盟加盟国の軍……はそのアテに含まれないよな」
「ははは、それがアテに含まれるようになったら商売あがったりだ」
「そうだよなぁ……」
「あとは北のフラッシェルキなんかじゃ美術品に使う量が増えてるって聞いてたから、持ち帰れば良い値がつくと思ったんだ。それに……」
「それに?」
「……いや、推測に過ぎない。聞くだけ損だぞ」
損得勘定に敏感な彼が『聞くだけ損』という言葉を使うという事は、本当に確信を持てていない場合に口にする言葉だ。
何度か無理やり聞き出したことはあったが、的中率は半々を下回っている。
彼が確信を得たのちの情報に傾注したほうが上策というものだろう。
「分かった。何かあれば言ってくれ」
「おう」
そのような話をしつつ、浮遊島へと昇るための空港塔へと向かう。
*
何隻かの船が昇降を繰り返している。
この設備は特に必要のある場所にいくつか設置されている。
「へー。こうやって浮遊島に行くんだね」
感心した声を上げたのはピオテラだ。
「見るのは初めてか?」
「うん」
俺が問いかけると素直に肯定する彼女。
「どうやって上がったり下がったりしてるの?」
「レビトンの熱量……熱さで調整してるんだよ」
航空艦の機関内に納められているレビトンは自身が発する熱によって上昇と下降を行う。
特定の条件下でかなりの熱を発生させるため、それを利用して水を蒸気に変え、動力部を動かして船の移動を行うのである。
速度を出したい場合は蒸気を大量に発生させねばならないので水を多く通さなければならない。
だが、その分、熱を失って冷えてしまい、高度は下がらざるを得ない。
つまるところ、高度と速力は反比例の関係にある。
容器に通風すること、つまりは外気でレビトンを冷却することや蒸気を通さないことで移動を行わないまま高度の変更を行うことは可能だ。
航空艦にとって、その細かな調整を適切に行い得る機関員がどれほど重要で価値あるものなのかが理解しやすい話だろう。
俺も兵学校でよくよく言い聞かせれたものだ。
ただ、ここのように昇降を行う目的だけであれば、航空艦に用いるものに比べて小さなレビトンを燃料によって熱する方が効率的だ。
レビトンの生産量は限られていて、ある程度以上の大きさのものは航空艦にまわす方が適切と考えられている。
ちなみに燃料は木炭や石炭を使用するのがほとんどだ。
そういった事情もあって、耐火性を高めるために鈍重になりがちで、とても移動には適さない、まさにこういう形だけでしか使えない船だ。
「ふーん……」
実に興味がなさそうに返答するピオテラだったが、俺がその話を初めて聞いた時も似たような反応だった。
要は役目さえ果たしてくれればそれでいいのだ。
あれこれ微に入り細にわたって考える必要はない。
公金からも維持費の大部分を拠出されているためか、わずかな金額を支払い、浮遊島へと昇る船に乗る。
「あの……おそらく鞄の中に領主家の印章が入っているので、それを見せればお金を払わずに済んだかも……」
俺の顔を控えめに見上げ、ポツリと呟いたセラチ。
「……爺さん以外に見せちゃダメな手紙を渡しにいくんだろ? 下手に見せて回るとまずいかもしれんし、大した金額じゃないから、これで良いと思う……が……」
そうは言いつつも、余計な金を使わせたことに不満があるのではないかとチラリとオルの顔を見る。
俺に合わせてセラチも彼の表情を伺う。
が、そのような表情はしていなかった。
オルが俺たちの視線に気付く。
「ん? なんだ? 俺の顔に何かついてるか?」
「いや、何でもないから気にしないでくれ」
「そうか。いや、すまん。ちょっと考え事してたから聞いてなかった」
「あー、そうなのか。いやな、景色が綺麗だなぁと」
「俺の顔は景観に含まれるのか」
「いや、うん、まぁ、とにかく、気にしないで」
「……まぁ、ちょっとぼんやりしてるかもしれんから、何かあったら言ってくれ」
そこで言葉を切ると彼は顎を指でさすりながら黙考を再開する。
セラチと目を合わせ、それで互いに安堵感を示す。
さすがにこの程度の額でぐちぐち言うほどケチくさくはないよな、オルは。うん。
「とにかく、印章を見せなくても済む場面なら見せずに済ませた方がいい」
「うん、わかったのよ」
本来であれば印章は領主家の当主か、その当主から特別な許可を得た人間しか持つのを許されていない。
そんな人物を連れまわしてるのがバレると目立ってしょうがないだろう。
これ以上、ややこしいことに巻き込まれないように注意しよう。
*
しばらくの時間を置き、浮遊島側の発着場へと降り立つ。
「ちょっと寒いですね……」
初春の日差しの中で地上では暖かく感じられた気温が、ラフナの言う通り、ここまで来ると風の冷たさに押し負ける。
毛織物の需要が尽きにくいのはこのためだ。
ただ、俺達自身もこの時期の浮遊島の経験はほぼ皆無だったので完全に防寒を怠っていた。
島の上にも商店などはあるが、近隣に住居を構える富裕層向けの高級店ばかりで、この場を凌ぐためだけに出費をするのはオルが許さないだろう。
「いや、俺は我慢するけど、どうしても寒かったらそこらへんで買ってくればいいぞ? 自分の金で」
チラリと彼の顔を伺うと、にべもなくそんな事を言う。
最後の一言を付け加えるあたりが彼らしい。
まぁ、ここにいるのもわずかな時間だ。
俺も我慢しよう。
発着場を出ると、緑はまだ薄く、その景観に彩りを与えるには至ってはいないが、それを除いてもなお、非常に美しい町並みだった。
石畳で綺麗に舗装された道。
各邸宅に高く備えられた外壁。
商店も、控えめながらも高価であろう塗料をふんだんに使ってか、色あざやかで、かつ上品な看板を掲げている。
高価なガラスをこれでもかと使い、店外に向けて商品の展示を行っている店舗もある。
服飾店を見つけると、ピオテラどころか、ラフナですら商品が展示されているガラスの前に立ち尽くす。
さすが、なのかどうかは分からないが、セラチはその2人を不思議そうに見ているだけだった。
彼女も地元で似たような店によく出入りしていたのだろう。
商品を眺めるだけではなく。
若干の妬ましさを感じなくもない。
セラチが先導役となって案内したのは浮遊島の中央も中央だった。
周囲の邸宅と比べてもなお大きい敷地と建造物が目に入る。
建造物の上には、ここに来るまでの間に見た公的な施設で、バーリニ市のものと共に掲げられ、何度も目にした標章旗が翻っている。
閉ざされた門とともに、その前には私設の警備隊の者と思われる守衛が立ち、訪問者の進入を阻んでいる。
「ディム」
「なんだ」
「どう考えても領主家の屋敷だよな」
「ですなぁ……」




