第33話 少女
俺と同じように驚いた様子でピオテラの方へと振り返っていた少女が、なぜか小さく笑い声を漏らす。
「……お姉様は綺麗ですから、今の服の方がよく似合ってると思いますよ」
「え? あ、そう? そうかな? ディムくん、どう思う?」
お、お姉様?
「えっと……あー、そうだな。俺もそう思う。可愛いのは……」
「そっかぁ。あたし綺麗かぁ。にへへ」
「あ、そこ?」
「え?」
いや、それはともかく。
なんだ?
ピオテラになら気を許してるのか?
精神年齢が近いから……とか?
うーん、どうだろう。
もしかしたら、女性同士なら気安く話せるのではないだろうか。
俺がいるせいで話が進まないのか。
しばらく、ラフナとピオテラに少女を任せた方がいいのかもしれない。
あわよくば流れで話を聞き出してもらえれば……。
「ラフナ」
少女の傍にいた彼女を近くへと呼び寄せ、小声で話す。
「ピオテラと一緒に彼女のそばに居てあげてくれ。少なくとも街に着くまでの間だけでも」
「私は構いませんが……話を聞かなくても?」
「今はやめておこう。他愛のない話でもして少しでも彼女の心を和らげてやって欲しい。親父さんのことで泣き出したりするのなら慰めてやってくれ。付近の街に支店があればその中に匿ってやれるんだが、それは無いからな。警務局以外に連れて行く先が思いつかない間は俺達の船で匿うしかない。何か糸口が見つかれば聞き出せるものは聞き出して欲しいが、無理はしなくていい。まだ時間はある。落ち着いたら俺が聞くようにしよう」
「そういうのはオルさんの方が……」
「確かにそうなんだが、あいつは子供ウケしない顔だからな。話を聞くときは俺だけだと判断に困る可能性があるから同席させるつもりではいるが……」
「あー……そう……ですね」
彼女も納得のオルの顔らしい。
いつも何か考えを巡らせてか、難しい顔をしていることが多い。
そういうところが良いという女性も実際に居るほどの整った目鼻立ちだが、子供には怖く見えてもおかしくはない。
裏を返せば、ラフナからして俺の顔は怖くないということだろうか。
威厳が無いとかじゃないよな?
……ん、そこは気にしないでおこう。
「とにかく、まず俺とオルで善後策を考える。その結論が出るまでの時間稼ぎと思ってくれればいい」
「分かりました。頑張ります」
「ああ、面倒事を押し付けてすまんな」
「いえ、いいんです。艦長のお役に立つのが補佐役たる私の勤めですから」
「そう言ってもらえると助かるよ。今度、何かお礼でもさせてくれ」
「あっ、じゃあ、踏……」
「甘い物でもご馳走しよう」
ヒューッ。
とんでもない約束をさせられるとこだった。
あぶないあぶない。
それだけ話し終えると、ピオテラと少女に向かい、声をかける。
「あー、お嬢さん」
「えへへ、お嬢さんだって。ラフナ、どうしよう」
「お前じゃない」
「へぇ!?」
俺とピオテラのやり取りを見て、少し悲しげな表情を帯びつつも、再び小さな笑みをこぼす少女。
そのささやかな笑顔に先程までの凄惨な光景の記憶が薄れる。
ピオテラのおとぼけに感謝だ。
「お嬢さんらしい小さなお嬢さん、しばらくはこの船で休んでくれ。俺みたいな無骨者がいると君みたいなのは落ち着かないだろうから、女の人同士で仲良くなってくれると嬉しいよ。どう?」
「承知しました。正直、その……これ以上、殿方の前でお恥ずかしい姿を見せるのは憚られます。出来れば一人にしていただきたいのだけれど、お邪魔している身ではそれは適わないことも理解しております。ですから、その、そう仰っていただけて大変ありがたく存じます」
これ、誰の発言だ?
一瞬戸惑うが、どう考えても少女から発された言葉だ。
「あ、ああ。じゃあ、3人で、好きなところで好きなことをしててくれればいいよ」
「ヤサラ……淑女の一人として、身を正させていただく機会を賜ったこと、感謝申し上げます」
「あー、うん、はい、いえ、こちらこそ?」
俺は今、誰と、いや、どういう人と話をしているのだろうか。
「では、ひとまずお暇をいただきます。お姉様がた、ご随意の部屋へご案内くださいませ」
「は、はい、ではこちらへ」
ラフナも妙にかしこまりながら、案内を始める。
向かう方向からして、ラフナかピオテラの自室だろうか。
呆気にとられて2人の背中を見送っている俺に、ピオテラが話しかけて来る。
「変わった子だねー。むつかしい言葉いっぱい喋ってたし」
「あれの半分……いや、4分の1でもお前に分けて欲しいよ」
「え? どういう意味?」
分からないなら、それでいい。
人には人の領分というものがあるのだろうから。
「お嬢さんの服はもう洗い終わったのか?」
「うん、水で簡単にジャーッとだけだけど。干してくるよ」
「俺がやっといてやるから、お前もついてってやれ」
「うん、わかっ……変なことする気でしょ!」
「しねぇよ」
「あたしのを置いてくから、それで……」
「しねぇっつってんだろ!」
*
ピオテラは俺を一体何だと思っているのだろうか。
特殊な性癖でも持っているとでも思っているのだろうか。
そのあたりを論ずるなら彼女の方がよほど特殊で、なおかつ積極的だと思うんだが……。
何かそうしたモヤモヤを抱えつつ、甲板に少女の服を干し終えると艦橋へと戻る。
「よう、どうだった」
入って間もなく、オルに話しかけられる。
「どうもこうもない。女性陣にお守を任せた。俺達に話せない事情があるらしい。警務局へ、と言ってみたが、そこは行きたくないらしい。で、じゃあ、どうすべきか、ってのをお前と話し合いに来た」
「どうすべきかって……いや、なんで警務局はダメなんだ?」
「知らん」
「知らんって……」
「聞きたくても聞けなかったんだ。状況が状況だ。少なくとも落ち着くまではどうにもできん。それらを踏まえて、彼女の今後の処遇について考えたい」
「ふーん……警務局以外ね……」
「俺がパッと思いついたのはこの船に留め置くことくらいだが」
「うーん……まぁ、国境の検問じゃないんだから、どこに寄港しようが、いくらでも誤魔化せるだろうが……」
「じゃあ、その方向で……」
「それで構わんよ。で? 費用は誰が持つ?」
「……そうだ。お前はそういう奴だった」
「どういう意味だ?」
「そういう意味だ」
「褒め言葉として受け取っておこう。それで? 誰持ちだ?」
「俺は勘弁してくれ。皆に思い切りむしりとられたからな。お前は?」
「断る。……孤児院は?」
「ああ、その手もあったか。あ、いや、南方は穏やかだからな……。受け入れ先の余裕がどれほどあるか分からんな……。探すにしたって、えらい手間がかかるかもしれん」
「そうか。時間がかかるのは却下だ」
「第一、彼女の意思も尊重せにゃならんだろう」
「いっそ、無理にでも警務局に、とも思ったが、それを言われると弱いな」
オルはそう言うと、しばらく腕を組んで考え込み、黙り込む。
金が絡まなければ良心はしっかりと存在するらしい。
昔を思い出せばそんな疑問は抱かなかっただろうが、ここ数年は金が絡んだ時の彼しか見ていなかったのですっかり忘れていた。
それはさておき、話の進展を促そうと俺は口を開く。
「……どれを選ぶにしても事情を聞いてからの方が良いかもしれん。その間は船に置いておくしかないだろう」
「いつ事情を聞けるようになるんだか……」
「それは……すまん、分からん」
「やっぱりそうなるか。じゃあ、船に留め置くほかないか……」
「あっ、費用はピオテラ持ちでっていうのはどうだ?」
「ああ、そうだ。確かに。それがいい」
「よし、じゃあ、そういうことで」
「ひとまずの対応としてな」
ああ、非情。
ピオテラは給与の支給を受けたことがないからな。
いくらでも誤魔化せる。
オルさん……あんたひでぇ奴だよ……。
俺はあくまで総合的な見地から致し方なく、そういう案を出してみただけだ。
俺は何も悪くない。
≪こちら監視塔! 複数の艦船の往来を確認!≫
そんな話をしているうちに、どこかの航路にぶち当たってくれたらしい。
襲撃を受けた船からの飛行時間で距離を計算して、バーリニへ向かう航路だと判断する。
急げば日没前後には辿り着けるだろう。
遅れは間違いなく出ているが、なに、まだまだ余裕はある。
*
カルノから南東へ向かう進路をとっていたはずだったが、復帰した航路は東の国・シュカドナーヴォ方面から南西に向かうものだった。
ただ、航路の先はバーリニに間違いない。
少女の扱いについての結論と航路へ復帰した確信を得て、艦内を見回りながら気になったところを掃除していると、すっかり日が暮れ始めていた。
時間的には……正確な現在位置が判然としないので確言はできないが、そろそろバーリニに着いてもおかしくない頃合いだ。
その途中、バッタリとピオテラと鉢合わせた。
「ねぇねぇ! ラフナに聞いたんだけどさ。商会で働いてるってことは、あたしもお金が貰えるんだよね?」
「は? 突然どうした」
「給料ってやつ!」
「ああ、まぁ、そうだな」
「こういう服が似合うって言われたけど、やっぱり一着くらい可愛らしいの持ってたいの!」
「お前の金なんだから、好きにすればいいんじゃないか」
「うん! 好きにする! いくらくらい貰えるの?」
「さぁなぁ……」
少なくとも少女が身に付けていた、かなり飾り気の多い衣装一式は揃えられないだろうなぁ。
オルのせいで。
「さぁなって――」
「ところで、お嬢様は?」
深く突っ込まれる前に、話題を切り替える。
先程の気位の高そうな振る舞いを見てしまったせいだろうか。
ついつい様付けになってしまった。
なんか、その方がしっくり来るし。
その問いかけにピオテラは若干表情を曇らせる。
「あー……ね。その、ね。うん……わんわん泣いてたよ」
「だろうなぁ……」
「でも、しばらくしたら泣き止んで、お話したよ」
「どういう話をしたんだ?」
「まずはあたしのピクニックの話!」
ピクニック……ああ、家を飛び出して散々迷った話か。
「どうだった?」
「楽しそうに聞いてくれたよ。あんまりそういう経験がないらしいよ」
「ふーん……」
あの振る舞いから感じた通り、育ちが良いのは間違いないかもしれない。
いや、ピオテラの育ちが悪すぎる……と言うのはさすがに言い過ぎか。
「すごく食いついてきたよ。一人であちこち歩き回った経験がないんだってさ。楽しく聞いてもらえると、話すほうも楽しいんだよねー」
「うんうん、わかる」
素直な気持ちだ。
楽しそうに自分の話を聞いてもらえるほど嬉しい事はなかなか無い。
まぁ、それはさておき。
「他には何を話したんだ?」
「あとねー、ラフナがよく分かんない話してた。すごく楽しそうに」
あー……なんだろう。
何話してたんだろう。
すっごい気になる。
けど、聞いたらダメな気がする。
「えーと……他には?」
「カルノでの話とか」
「おまっ!」
あの件はあまり口外にして欲しくないが……まぁ、子供に聞かせるには面白いおとぎ話みたいなものになるかもしれない。
自分でもよくあんな事をしでかしたと、今さらながらに思うほどの事だったのだから。
「いや、いい。それで? どんな反応をしてた?」
「興味津々だったよ。銃撃戦の話になったら暗い顔をしたから、すぐに切り替えたけど。ラフナが」
「今はどうしてる?」
「ラフナの部屋で寝てるよ。色々と疲れてたんだと思う」
「まぁ、そうだろうな……。何か彼女自身の話はしたか?」
「ううん、何も。聞こうともしなかったよ」
「大変結構。急がば回れだな」
「うん? ……えっと、それで、あの娘はこれからどうするの?」
「この船にいてもらうことにした」
「そっか。よくわかんないけど、そうしたほうがいいかもね」
「どうしてそう思う?」
「よくわかんないんだって」
「あ、そう」
「うん。……あの娘、強い娘だよね」
「……ああ、そうだな」
「あたしだったら、どうなってたのかな」
「さぁな。実際にそうなったわけじゃないんだから、考えるだけ無駄だと思うぞ」
「まぁ、そうなんだけど……。父さん、元気にしてるかな」
「してるだろう。お前の親父さんなんだから」
「どういう意味?」
「いかようにでも受け取ってもらって構わん」
「うーん、そっか。……はぁ……」
話はそこで途切れ、俺が床をほうきで掃く音だけが聞こえる。
しばらくすると、伝声管から声が聞こえてきた。
≪こちら監視塔! 街が見えました!≫
宵闇が間近に迫る中、どうにか目的地に辿り着けたようだ。




