第32話 悲惨の内に
いつの間にか小銃を握り締める力が強くなっている。
耳をすますが、艦内で物音はしない。
せいぜい風が通り抜ける音や壁や床が軋む音くらいで、それ以外は不気味なほど静まり返っている。
2人に入り口近くでの待機を指示し、一旦甲板に出て、こちらを見ていたオルに乗員を武装させ、周囲の警戒を厳とするように伝えると、彼はそれに応じて艦内へと戻っていく。
その姿を見届け、再び乗り移った船の中へと戻る。
艦内に入ってすぐの場所で、指示通りに動かずに居たピオテラとラフナの元に戻る。
ふとラフナの顔を見ると、その顔色はすっかり青ざめている。
ここまで至ると対象外らしい。
人間性を感じられて、その点では安堵する。
「詳しく調べていくぞ。生存者も探さないといけない」
2人にそう言うと、彼女らは俺の顔を見て頷く。
前方に俺、間にラフナ、後方にピオテラという形だ。
上の階の部分を見て回るが、船室ばかりで食堂は見当たらない。
船室の中を覗くと、立派な内装だ。
広い船室に、大きなテーブルといくつかの椅子。
さらには何名か宿泊できるように、2段ベッドなどではなく、平置きのベッドが複数ある。
船尾部分には何かしらを収容する小さなスペースはあったが、輸送艦ほどの大きな貨物室ではない。
完全に旅客船と判断しても差し支えないだろう。
どこへ行っても、どこかしらに息を引き取った人が倒れている。
大人も、子供も。
まったく見境もなく。
身なりの良い人が身に付けているべきであろう装飾品の類は剥ぎ取られたのか、まったく見当たらない。
無理に引き千切られた痕すらある。
旅行客の荷物も徹底的に暴かれている。
その様子は凄絶、と言っても過言ではないかもしれない。
酷い有様だ。
艦橋に入る。
やはり何名か倒れている。
卓上の地図には……あれ? 地図が無い。
うーん……艦長室の中にはあるだろう。
武器庫の扉を開けようとするが、鍵はかかったままだった。
抵抗する暇も与えられなかったということだろう。
艦長室に入ると、ベッドから転げ落ちた形で艦長らしき人物が頭を撃ち抜かれて絶命している。
それ以外にも艦長室は荒れに荒れている。
書類は散らばり、中には丸められた形で各地の地図があった。
金庫も一度は引きずり出されようとしたのか、倒れたままになっている。
それほど多くない人数で襲撃したのだろう。
襲撃、という言葉が出てきた時点で空賊の仕業という考えが固まる。
こんな場所で襲ったせいもあるのだろうが、もうちょっとスマートにやれないものか、と不謹慎ながら考えてしまう。
それほどまでに酷いやり方だ。
だが、今まで見てきた死体の中に、空賊と思わしき人物の亡骸はなかった。
その点ではスマートなのかもしれない。
船内のほぼ全てを見回ったところで、声帯を震わせて大仰にため息をつく。
どういう意味でのため息なのかは、自分でもいまいち分からない。
死体の数は概算で20名前後というところ。
旅客船にしては若干少ないように感じるが、それでも、我が艦では収容しきれない。
それに、絶賛迷走中なので、艦内で腐敗されたらたまったものではない。
貨物にニオイがつくのも勘弁願いたい。
我ながらドライな考え方だと思う。
曳航していくにも時間がない。
ここからでもバーリニまでは、急げば日が落ちる前後には着ける可能性はある。
しかし、収容に時間をかけ、さらに曳航まですれば速度は落とさざるを得ず、それも適わない。
それは困る。
ただでさえ寄り道をしているのだ。
むしろバーリニ、あるいは付近の街の警務局に知らせて、のちのち回収させた方が良いだろう。
何らかの事情聴取はあるかもしれないが、それは俺が引き受けて、オルに買い付けを頼めば、時間的なロスはほぼ無いものと思えば良い。
そんなことを考えながら、生存者を探して下の階を再び回っていた時、階下より物音が聞こえた。
下の階よりさらに下……まさに船底と言うべき部分から。
そんなところに立ち入るのは、本来ならば整備関係者しかいない。
「聞こえた?」
と、ピオテラが問いかけてくる。
「ああ」
「見に行く?」
「……そうだな。見に行こう」
ラフナにも目で問いかけると、彼女は黙したまま首肯する。
船底に繋がるところは旅客船なら調理室か、船尾の荷物室にあるだろうか。
残念ながら旅客船の構造については明るくない。
幸運なことに、俺の考えは当たっていた。
最初に見に行った荷物室に船底へ繋がる小さなハッチがあった。
ただ、その上に男の亡骸が横たわっていた。
どけようと引きずると、血の筋が伸びていく。
乾いてない。
ということは襲われてからさほど時間は経っておらず、おそらく昨夜と考えられるが……あの嵐の中を?
いや、あの地点からは随分離れている。
ここでは勢いが弱かったのかもしれない。
それはともかく、そのわずかに血痕が付着した床板を外し、中を覗きこむ。
……何も見えない。
が、ヒュッと何者かが息を飲む音が聞こえた。
「誰かいるのか!?」
船底に頭を突っ込み、誰何するが応答はない。
まぁ、空賊と思われているのかもしれない。
あるいは、向こうが空賊そのものの可能性もある。
そうでなくとも、武装している誰かであったら。
向こうから見れば、差し込んでいる光でこちらは見えているはず。
銃でも持っていて、撃たれでもしたらたまったもんじゃない。
そう思い至り、慌てて顔を引っ込めて、穴に向かって声をかける。
「空賊じゃない! 近くを通りかかった商船の乗員だ! 助けに来た! 生きているならこちらへ来てくれ! 話を聞かせて欲しい!」
やはり応答はない……と思いきや、船底を這いずりながらこちらに向かってくる物音が聞こえる。
念のため、ピオテラと共に穴に向かい小銃を向けておく。
やがて、船底の光が当たっている部分に白金色の髪が見えた。
その髪の主は顔を上に向けると、目を見開き、固まる。
銃を自分に向けられているのが分かったのだろう。
青い瞳に白い肌、真っ直ぐに伸びたプラチナブロンドの髪は光を受けて神々しささえ感じる。
それらの持ち主は……幼い少女だ。
こんな少女が空賊なわけがない。
安心すると同時に、『ああ、ブレアが居なくて良かった』と考えてしまうくらいには愛らしい少女だと思った。
*
俺が銃を下ろすと、それを見て取ったピオテラも同様に銃口を少女から逸らす。
「大丈夫だ。本当に空賊じゃない。助けに来た」
そう言って手を伸ばすが、彼女はその手を取ろうとはしない。
すっかり怯えきっている。
どうしたものか。
そう思っていると、彼女の方からわずかな水音と共に、妙なニオイが立ち上ってくる。
……あー……まぁ、しょうがない。
こんな幼いのに恐怖の連続で、挙句の果てに助かると思ったら銃口を向けられていたのだ。
そうなるのも致し方ないだろう。
多分、俺もそうなる。
……あ、いや、これくらいの年だったらの話だが。
「女の子に銃を向けるなんてデモクラシーがないね」
「デリカシーな。デモクラシーってなんだ。昔、島の人々が言ってたやつか」
「なにそれ」
「詳しくは知らん」
「ふーん……」
「お前だって同じことをしてただろう」
「そうだけど、ディムくんみたいな怖い顔じゃなかったよ」
「そんな怖い顔してたか?」
「してた」
仮にそうだったとしても、しょうがないだろう。
命の危険を感じていたのだから、と心の中で反駁するが、口にすると長くなりそうなのでやめておく。
「大丈夫ですよ。待ちますから。落ち着いたら手を伸ばして」
優しく船底に向かい声をかけ、手を差し込むラフナ。
ああ、優しげだなぁ。
優しいだけのはずだったんだけどなぁ。
幾ばくかの時間を置いて、ラフナの身体が震え、少女が彼女の手を取ったことが分かる。
ゆっくりと彼女が少女を引き上げる。
少女、というよりは、幼女と言ったほうが実像に近い姿が光の元に晒される。
その肩からは大きな黒い鞄が提げられている。
引き上げられる途中で身体がどこかしらにぶつかる度に小さな悲鳴を上げる少女だったが、それ以外には怪我などは無さそうだった。
床に足を下ろすと同時に座り込む彼女。
光に照らされ、最初はただ白い肌だな、と思っていたものが、そこからさらに、恐怖ゆえだろうか、青白さを帯びているのが分かる。
小さな肺に何度も浅く空気を出入りさせ、肩は忙しなく上下に動いている。
「話を聞きたい……が、ここじゃままならんな」
近くに男の遺体が転がっている。
俺がその男を見やるのに合わせてか、少女もその亡骸の方に視線を向ける。
その途端。
「ぱ、パ……パパ……?」
その亡骸に少女は問いかける。
「パパ、寝てるの? 起きるのよ。セラチは無事なのよ。助かったのよ。カバンもちゃんと持ってるのよ。パパ?」
少女は亡骸の服のすそに手をやり、何度も引っ張る。
「パパ? ねぇ、パパ……」
ああ……そうなのか……。
ラフナ、そしてピオテラに目を配るが、両名とも、何と声をかければ良いのか分からないといった様子だった。
……仕方ない。
そう思い、少女を無理矢理抱き上げる。
「とりあえずここを出よう! 親父さん……パパは何とかする! とにかくこっちに!」
そう言いながら、俺たちの艦に向けて駆け出す。
「いやっ、嫌なのよ! パパ! パパを置いていかないで!」
少女の悲痛な叫びが耳をつんざく。
ああ、勘弁してくれ。
*
「で? 何があったんだ?」
自艦の甲板に戻ると、そばにいたオルが問いかけて来る。
「……さぁな。空賊の仕業なのは間違いないが……。えらく粗い仕事だった」
「そうか。で、この女の子だけが生き残ったと」
俺の肩に担がれている少女からは一言も発さず、身動きもしない。
「そういうことになるな」
「ふーん……で、どうする?」
「曳航する余裕はない。こんな場所で夜を明かすのは危険だ。さっさと南へ向かうぞ」
「せめて遺体の回収くらい……いや、それも時間がかかるか」
「商売は速度だろ?」
「ああ、そうだ」
「心苦しさは?」
「ないと思うか?」
「……いや……」
あんな場面を見てしまい、心が千々(ちぢ)に乱れているせいだろうか、オルに八つ当たりしそうになる。
少女をラフナとピオテラに託すと艦橋に戻り、襲撃を受けた船を新たに取り出した紙に大雑把な丸の横に現時刻を書き添え、航行の方角・速度を指示し、それも書き込む。
航路に入り込み、どこかの街に到達した時間で、先程の船の位置を概算で割り出し、警務局に通報する。
そういう段取りを組む。
*
諸々の指示を出し、艦が移動を開始した後、何の気なしに少女の粗相を洗い流している浴室へと足を運ぶ。
浴室の前で座り込み、壁にもたれかかっている。
わずか26年の生涯ではあるが、あんな場面に遭遇することは初めてのことだった。
きっついわ。
俯き、何かしらを考えては大きくため息をつくのを繰り返しているうちに、目の前の扉が開き、また閉じられる音が聞こえた。
視線を上に向けると、少女とラフナが立っている。
少女は、おそらくラフナのものだろう、身体に似つかわしくない大きさのブラウスを羽織って、ずっと持っていた黒い鞄を、相も変わらず大事そうに抱えている。
顔を見ると、俯きがちだったためか、俺の目と、赤く腫らしたその目が合うが、彼女はすぐさま視線を更に下へと逸らす。
「何か話したか?」
俺は視線を更に上げ、少女を支えながら後ろに立っていたラフナへと問いかける。
「いいえ、何も」
「そうか……」
どこか近くの空港のある街に寄港し、警務局に通報して全てを任せてしまうほうが良いかもしれない。
「あー……えっと、お嬢さん。出来れば色々と話を聞きたいんだけど、話せるかな?」
そう尋ねて、しばらく間を置いてから彼女はゆっくりと首を横に振る。
「まぁ、そうだよな。今、俺たちは近くの街に向かってる途中なんだ。そこに着いたらおまわりさんのところに連れてくから、そこでならちゃんとお話できるよな?」
「それはダメなのよ!」
急に彼女は俺の顔を見据え、怒鳴り声を張り上げる。
ビックリしたー。
「……あっ、あー、そう、そうか……えーと……どうしてダメなのか聞かせてくれるか……な?」
そう聞き返すと、彼女は再び視線を落とす。
埒が明かんな……。
どうしたものかと悩み始めた矢先、浴室の扉が勢い良く開く。
何事かと思い、目をやると――
「ねぇ! あたしもこういう可愛い服欲しいんだけど! 絶対似合うと思う!」
――少女の服を洗っていたであろうピオテラが、しとどに濡れた少女のフリルのついた可愛らしい、飾り気……しかない服を持ち、おかしな自己主張をしていた。
「絶対にアウトだと思う」
「でしょう? やっぱりあたしもこういう……アウトって言った!? なんで!?」
「すぐボロボロにしそうだから」
「そっ……なっ……ぐっ……ぬぅぅ……」
否定してくれよ。




