第31話 嵐
安全な旅にならなかった。
出発してから2回目の夜にして嵐に見舞われることとなった。
地面や木々と船体が衝突するには至らない程度まで下降し、アンカーを降ろして風雨に耐えている。
船体を大きく揺らすほどの風と、お互いの声が聞こえなくなるほどの雨音に晒され、時折、避雷針に雷が落ちる。
避雷針からアンカーにワイヤーを伸ばし、それで船体を保護しているので、落雷では即座の被害を受けることは稀だ。
ただ、地面と衝突する可能性を少しでも低減させるため、艦の姿勢を安定させようと機関室と操舵手はてんやわんやだ。
ちなみに俺は暇だ。
なので、いつものように艦橋にはオルを残し、艦内の見回りをしている。
あちこちで雨漏りがしているので、できるだけタライやバケツを持ち出してきてカバーしている。
別にカルノの整備班の修理が手抜きだったわけではなく、これほどの風雨では致し方ないものだ。
窓の外を見ると、真っ暗闇。
アンカーを降ろしたとは言え、地上は割と開けた平原だったので、少しずつではあっても航路からずれるかもしれない。
俺が忙しくなるのは日が明けてからになる。
現在位置を確認して方位の修正などをしなければならない。
まぁ、天候が回復した場合の話だが。
そんなことを考えながら揺れる船内をブラブラしていると、トイレの近くでピオテラが座り込んでいるのが見えた。
「船酔いか」
声をかけると、真っ青な顔をした彼女がこちらを見上げる。
「おぉ……ぉ……おうっ!」
変な声を上げたと思ったら口元を押さえ、トイレに駆け込んだ。
夕食の時点で嵐が始まりかけていたが、それを気にすることなく、彼女は結構な量を食べていた。
それはもう、こいつだけは食費を給料から差し引こうかなと思うくらいに。
そのせいだろう。
まぁ、慣れてないからな……しょうがない。
こうやって彼女を慮れるようになった俺も、随分と成長したものだと我ながら思う。
自画自賛。
いや、あるいは、そう躾けられたのかもしれない。
……逆だよな、立場。
しばらくすると、彼女がトイレから出てくる。
顔や服がびちょびちょになっているが、別にしでかしたわけではない。
乱暴に口をゆすいで、顔を洗ったのだろう。
「お前は……なんというか……そういうのに縁があるよな」
「えー……? そういうのって……?」
「それは……いや、誘発しそうだからやめとく」
「えー……? ……んー……」
いつもの騒がしさは欠片もない。
「出し切ったか?」
「あー……うぅ……うん……もうなーんも……あー、もったいない……眠くなってきた……」
言葉に脈絡が無くなって来ている。
念のため、医務室に連れてってやろう。
「立てるか? 医務室に連れてってやる」
「あたしの部屋ー……」
「ベッドがあって、いざって時に、ちゃんと対処できるところの方がいいだろう」
「んー……任せるー……」
「はいはい……」
肩を貸してやり、医務室へと連れて行く。
*
医務室に入ると、目をらんらんと輝かせて船医と話しているラフナがいた。
彼女は俺の補佐なので、俺が暇なら彼女も暇なのだ。
だからって、こんなところにいるのはおかしいのだが、どうも先の話は本気らしい。
暇を見つけては医務室に入り浸っている。
補佐だけでいいんだ……。
補佐だけしてくれれば……!
その願いは、きっと頑固な彼女のことだから聞き届けてはくれないだろう。
いや、実際に聞き届けてもらえなかった。
「すまんが、こいつを寝かせてやってくれ。吐くかもしれんから、バケツの用意……はあるよな」
病床は2つしかないが、乗員は皆が皆、こういう事態は慣れたもので、両方とも空いていた。
「ピオちゃん、大丈夫?」
「あー……ラフナ……大丈夫……」
病床に寝かされたピオテラを気遣い、その手を優しく握るラフナ。
ああ、そうそう、そういう感じで今後もお願いします。
「じゃあ、俺は艦内の見回りに戻るから」
「おぉー……がんばれー……あたしはもうダメみたい……時々はあたしのこと、思い出してね……」
「変な言い方をするんじゃない。時々見に来てやるから」
「あは……は……あー……」
オツムの方も揺らされすぎたらしい。
哀れな……。
でも、オルが見限らない間のうちに航空艦の機微にも慣れるだろう。
そう願いながら、医務室を出た。
*
あちこちに顔を出して、短い時間ではあっても、交代で乗員に休息を取らせつつ見回っていると、船の揺れが次第に収まり、雨音も穏やかになって行った。
夜が明ける頃に窓を覗き込むと、若干、雲の隙間から陽光が差しこんでいるのが見える。
どうやら無事にやり過ごせたようだ。
ただ、日が落ちる前に見た光景と少し違って見える。
どの程度かは分からないが、流されてしまったのだろう。
アンカーがちゃんと刺さっていなかったか、途中で引っかかる物がなかったか。
まぁ、民家をぶち壊した形跡はないのが唯一の救いか。
ともあれ、現在地の把握はしなければならない。
艦橋に入ると、その場にいる全員が全員、疲労困憊という様子だった。
位置の割り出しに時間がかかるので、出発を遅らせることにして、それぞれを3時間ほど休ませることにする。
「オル、お前も休んで来い」
「お前は?」
「動き出してから休むことにするよ」
「……そうか、分かった。すまん」
「これが仕事だ。気にするな」
そう言うと、艦橋からはオルを最後に、俺以外は誰もいなくなる。
艦橋から出てすぐそばのハシゴから監視塔に昇り、周囲をぐるりと見回す。
近くを通る船は見当たらない。
まぁ、あの天候を事前に知らされて、多くは途中の街に寄港しているのだろう。
本来であれば短時間でも寄港して、この先の天候に関しての情報収集をすべきだったのだろう。
だが、後の祭りだ。
急がば回れだなぁ……。
監視塔から降りてくると、揺れていたせいか、あちこちに散らばっていた地図や計器を拾い上げ、位置を割り出していく。
眠らずにいたせいか、頭がきちんと働いていない気がするが、まぁ、大体でいい。大体で。
紙とペンを取り出し、計算していく。
やがて、いつの間にか空を厚く覆っていた雲は流れ、眩しい日差しが艦内を照らしだしたところで、先に休ませていた乗員達が艦橋に戻ってくる。
アンカーを引き上げさせ、戻ってきたオルにこれから取るべき進路を書いた紙を渡し、指揮を任せる。
艦長室に入り、ベッドに倒れ伏す。
艦が空に舞い上がる感覚と共に意識がふわりと心地よく舞い上がる。
プロペラが風に音色を与え、それが子守唄となって、俺は意識を天に捧げる。
おやすみなさい。
*
身体が大きく揺さぶられ、目が開く。
俺を揺さぶっていた手の先を見ると、オルが困ったような顔で俺を見ている。
「……どうした? 何か問題が?」
「ああ、問題だ」
「何があった? 空賊か? それとも艦か誰かがどうにかなったか?」
そう言いつつ、思い浮かんだのはピオテラの『んひひ』と笑っている顔。
「ピオテラか?」
「は? ああ、いや、そうじゃない」
「じゃあ、何だ」
「誰の問題かと言えば……お前だ」
「えっ」
とにかく、艦橋に出るように言われ、地図の前に立たされる。
「指示通りの方位に進んだ。えーっと、2時間だ」
卓上の時計を覗き込みながら、オルはそう言った。
2時間しか寝かせてもらえなかったか。
いや、それよりも。
「俺の問題って?」
「航路に復帰できてない」
「うあ……」
計算をミスっていたか。
しょうがないじゃないか、と言い訳をしたいが、できないし、するわけにはいかない。
「周囲に船は?」
「お前と入れ代わってから結構経ったが、まったく見当たらない」
「だいぶ逸れたか……」
「たぶんな」
「うーん……方位180に変更しよう。真南に飛べば、どこかの航路にぶつかるはずだ」
「了解した。……ほら、指示を出してくれ」
「ああ、そうだな……」
艦長がそばにいる以上、副長からの指示は優先順位が低くなる。
別に向こうからすればどちらでも気にすることはないのだが、まぁ、形式的なものだ。
「あー、両舷機関室、方位を変更する。方位180だ。右舷、半速後進。左舷、半速前進。復唱」
≪右舷、半速後進、了解≫
≪左舷、半速前進、了解≫
卓上に備え付けられたコンパスを見ながらタイミングを見計らう。
「両舷、中速前進。復唱は不要だ」
そう言うと、艦は船首を止め、前進を開始する。
「ああぁぁー……疲れてる頭で何かしちゃダメだなー」
「そうだな。外の空気でも吸って来たらどうだ?」
「ああ、そうさせてもらうよ」
オルに促され、艦橋から出ると、甲板へと向かう。
外へ出ると、冷たい風が火照った頭を急速に冷やし、心地よさを感じる。
春の穏やかな日差しを受け、思ったほど肌寒さは感じない。
ふぅ、と一息つくと、何の気なしに前部甲板へと向かう。
前部甲板へ出ると同時に、左手にポニーテールを風になびかせているピオテラが目に入った。
何かを目で追っているかのように、徐々に一定方向に顔を動かしている。
「何見てるんだ?」
「あっ、ディムくん、おはよう」
「おう、おはよう」
「あのね、あっちの方に船が見えるんだけど」
「船ぇ?」
手持ちの情報を総合する限りでは、ここは航路から大きく外れている。
常識的な航空艦なら周囲にいるはずがない位置だ。
「どこ?」
「あそこ」
彼女が指をさす方を見るが特に何も……いや、何かごく小さな黒い点が見える。
く、空賊じゃなかろうな。
でも、ここらへんはスタグや山際のような空賊の隠れ家になりそうな所はない。
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
すぐに艦橋に戻り、オルと共に望遠鏡を持ち出して甲板に戻る。
「オル、見えるか?」
「ああ、見えるな。ずいぶん小さい……空賊船か?」
「違うと思うが……動いてはいないよな」
「うーん……そう、かも」
「俺にはアンカーが降ろしっぱなしに見えるが」
「ああ、言われてみれば。俺にもそう見える。ということは、旅客船かな」
日の高いうちに、見通しの利くこんな場所でわざわざアンカーを降ろして停泊する空賊なんて聞いたこともない。
「旗は……揚がってるな」
「そうだな」
民間の場合、旗が降ろされている場合は救難を求めるという証だが、それが揚がっている。
しかし、日も高くなり始めたこの時間に、アンカーを降ろしっぱなしというのも変な話だ。
しかも、航路からは大きく外れている位置で、だ。
何かおかしい。
ちなみにだが、軍艦の場合、旗を降ろすということは救難要請の他に、降伏することも意味する。
閑話休題。
「ディム、様子を見に行くか?」
「うーん……まぁ、その方がいいだろう」
「また寄り道か」
「しょうがないだろう。仮に救助の要があった場合、見捨てたのがバレたら罪に問われるぞ。作為・不作為とかいうやつ」
「ああ、そうだった……。仕方ない」
2人で結論を出すと、すぐさま艦橋に戻り、方位の変更を指示する。
ピオテラには望遠鏡を持たせ、その船の動向を見張らせる。
動き出したのなら報告するように言付ける。
それならそれで問題ないということなのだから。
だが、その期待は裏切られる。
はっきりと肉眼で捉えられるようになってもピオテラからの報告はずっと無いままで、その船は全く動かなかった。
火災が起こってる様子もない。
機関から白煙が漏れ出ているでもない。
しかし、アンカーを降ろしたまま動かない。
不自然に過ぎる。
そう考えている間にもどんどんと近付き、接舷できる距離に到達する。
我が艦と比べても一回り小さく、武装も一切見当たらない点から、やはり旅客船と考えて間違いなさそうだ。
そこまで来て甲板に出、呼びかけるが、応答はない。
外観からは特に異常は見受けられなかったが、一方的に移乗する旨を告げると、架橋を渡し、小銃を持った俺とピオテラ、あとこういう時に一番頼りになることが判明してしまったラフナが乗り移る。
甲板に降り立っても変なところはなかった。
が、内部に入り、付近を確認して回ると事態の深刻さに慄然とする。
弾痕。
血痕。
そして、ところどころに……亡骸。
それがあちこちに散らばっていた。
厄介事、掘り出しちゃった。
あちゃー、やっちゃいましたねぇ、ピオテラさ……いや、俺か……?




