第30話 南へ
支店に入ると、エントランスの隅っこで楽しそうなピオテラと暗い表情をしたラフナが椅子に腰掛けていた。
ラフナがこちらに気付くと近寄ってきて――
「申し訳ありません」
――と、一言謝ってきた。
『何が?』と聞き返す間もなく、窓口の人が声をかけてきて否応無く応接室へと通された。
「何をやった?」
前置きも何も無く問われたので、少々面食らったがオルは素知らぬ顔を通す。
「さて、何かやりましたかね」
「白々しい。タソルに警務局が入るという話がさっき入ってきた。かなり大規模に、だ」
「それはそれは……何をやったのかと聞くなら、タソルに聞いてみるほうが早いのでは?」
「注視しろ、と忠告したのは君だ。何か知っているんだろう?」
「私は目ざといですからね。『もしかしたら』がたまたま当たっただけでしょう」
「私もそう思いたかったがね。先程、君達の船の乗員が来た時に話を聞いてみたら、嬉々(きき)として武勇伝を語ってくれたよ。ラフナくんが慌てている姿はなかなかに面白かったが」
ピオテラか……あいつめ……。
オルの表情も苦虫を噛み潰したように歪んでいる。
「まぁ、ここだけの話にしろと散々言い聞かせておいたが……」
「私たちの方からもよくよく言い聞かせるようにします」
「君の話と随分違ったね。大胆さの中にあるはずの慎重さは欠片もないように思えたが」
「なに、まだ発展途上というだけですよ。これからしっかり教育すれば、そのようになるという話です」
「ということは、まだクビにしないということか?」
「そうですね。もう少し雇い続けて様子を見るつもりですよ」
え!?
そうなの……?
「……その教育とやらは、もちろん君達がしてくれるんだろうね?」
「ええ、お任せください。店に置いとくには不安でしょう?」
「その通りだ」
「今、際立って見えている大胆さが、販路開拓の一助になることは間違いありません。まぁ、多少の制御は必要になってくると思いますが」
「……そうか。任せる。手綱はしっかりと握れよ」
「ええ、お任せください。しっかりと握りますよ、彼が」
と、オルが俺を指さす。
え!?
……えぇ……?
「……はぁ……商会を思ってくれるのは嬉しいが、使い捨てられるほどウチは船も人材も無いんだ。分かってるね?」
「それはもちろん。分かってるよな? ディム」
「くれぐれも頼むよ、ディムロくん」
「は、はぁ……」
なぜ急に矛先が俺に……。
「……まぁ、内容が内容だ。本店の方への詳報は差し控える。それで? これから南へ向かうんだったか?」
「ええ、そうですね」
「なら商会の仕事も請け負ってくれ。本国の方から色々と頼まれる頃合いだ。必要な物を書き出して、すぐに契約書を発行する。それほど急ぎじゃないから安心してくれ」
「承知しました。ああ、そうそう、船と人材に関してですが、艦長級は用意していただかなくてはなりませんが、船と乗員は格安で手に入るはずですよ。両方事故物件なので」
「……ああ、そうか……ふぅ……分かったよ」
「それでは」
肘掛に腕を置き、手で頭を抱えながら、もう片方の手で追い払うようにされて退室を促される。
2人してうやうやしく頭を下げ、その通りにする。
老境に差しかかった身でこれから忙しくなく動く支店長を想像すると、同情を禁じ得ない。
まぁ、それでも、どんな難事でもやり切ってきた事こそ、支店長が支店長たる所以なのだから心配はないだろう。
*
「結局、お前に首輪をつけることになったぞ」
「え!? あ、やっぱりそうなるんだ。まぁ、しょうがないかな。あとで部屋に行くから……」
「違うんだなぁ、それが……」
「どう違うの?」
「お前が下手な動きをしないように、しっかりとヒモをつけて、それを力強く握って放すな、と言われたんだよ」
「なにそれ。あたしを犬か何かだと思ってるの?」
「犬みたいに従順だったら良いんだけど……。どう躾けても従順になるようには思えんから、どちらかと言えばお前は猫だ。それもかなりやんちゃな、な」
「そんな猫みたいにフラフラしないよ」
「フラフラしてないことはあったか?」
「え? うーん……」
彼女自身に思い当たることが無いあたり、かなりの重症だ。
「……今後は何かやる時は、事前に俺に相談するように」
「努力する」
「絶対だ」
「頑張る」
「……はぁ……」
支店を出た後、同盟の領事館やらカルノ行政庁やらを巡ってピオテラの帝国への国籍移管の手続きを終え、宿に戻る道すがらの会話である。
国籍の変更には長く見積もって2週間程度かかるらしい。
変更完了の知らせはウィルラクの支店に届けてもらうように手配した。
少なくともその間は商会から追い出すことはできないし、その点では問題ない。
問題はないが……。
「オル、なんでこいつを雇い続けるなんて言い出したんだ?」
「2週間は放り出せない。店には置いておけない。明後日には南へ立つ準備が整う。自然とそうなる」
「まぁ、そうなんだが……」
「何より、今回の件での活躍には目を見張るものがある。使い道はいくらでも思いつく」
「使い道って……嫌な使い道しか思いつかないんだが……。じゃあ、お前が手綱を握ってくれよ」
「断る。俺の精神衛生上、大変よろしくない」
「俺だってそうだよ!」
「交渉事と猫の世話、どっちがいい?」
「ぐっ……」
オルほどの交渉能力が無いことは自覚している。
艦内で暇な時にする雑事が増えると思えば良いだろうか。
いや、そう思うしかない。
「ん? あたしも連れてってくれるの?」
「そういう事になりますなぁ……」
「わーい! 楽しみだなぁ。次はどんな街なんだろう」
「観光に行くんじゃないぞ」
「わーかってるってぇー。色々と見つけるのは得意だから、良い物掘り出しちゃうかもよ?」
「厄介ごとは掘り出すなよ」
「だいじょぶだいじょぶー」
「繰り返すが、何かするなら事前に言えよ」
「だいじょぶだいじょぶー」
「もっと言えば、何もするなよ」
「えー」
「えー、じゃない! 頼むから……」
「あたし、ディムくんのこと、こんなにも信じてるのに……信じてよ! 信じ返してよ!」
「わかったわかった……。信じるから。何もしないって信じるからな」
「だいじょぶだいじょぶー」
若干、会話に齟齬がありそうなのは気のせいだろうか。
街に着いたら、なんやかんやと理由をつけてそばに置くようにしよう。
ちなみに、途中でラフナが本屋に寄って医学関係の書籍らしきものを何冊か購入していた。
彼女のほくほくした顔が、俺に『やめてください』と言わせるのを押し留めた。
まぁ、読むだけならいいだろう……読むだけなら……。
少なくとも今後は、彼女の前でだけでも怪我はしないように細心の注意を払おう……。
*
何事もなく、2日が過ぎた。
いよいよ出港だ。
門出を祝うかのように空は晴れ渡っている。
余談だが、乗員達との約束は結局反故にはできず、散財という言葉では足りないくらい金を失った俺の心は曇天模様である。
発着場に着くと、ブレアが立っていた。
「何してるんだ?」
「見送りですよ」
「なんでまた」
「色々と助けられましたからね」
「それは殊勝なことで。また何か厄介事でも押し付けられるのかと思ったよ」
「それはまた今度」
「お断りだ!」
「ははは。まぁ、単純に戦友に御礼を言おうと思いまして」
「戦友ね……」
「本当に助かりました。一昨日と昨日の捜索で、支店長の自宅から空賊と交わした契約書が見つかりましたよ。いざって時は空賊と差し違えるつもりだったみたいです」
「潔いのか、そうじゃないのか……」
「関わった孤児院や家にも捜索が入ってます。他の街からも浮浪児をさらってきてたみたいですよ。いくつかの孤児院は潰すことになりそうですが、行政庁が公設の保護施設を立ち上げるようで。今日から始まるらしい軍のアジトへの攻撃で保護される少女達も収容されるでしょう。これで、少なくともカルノから不幸な少女が出なくなるのは、本当に胸のすく想いです」
「軍にしては手際がいいな」
「対象の位置と戦力が分かってますからね。法的根拠も十分ですし、頭領を使って降伏勧告もしやすい。勝ちの目がはっきりと見えたんでしょう」
「ふーん……だが、戦争はまだ続いてるんだ。いつ、また同じような事を仕出かす輩が出るかは分からんぞ」
「確かに仰るとおりです。まぁ、任せてください。私がいる限り、カルノではそのような真似はさせません」
「自信ありげだな」
「部下が増えますので」
「どういう意味だ?」
「中尉への昇進が決まりました」
「ほう、そりゃおめでとう」
「ありがとうございます。報奨金をお断りしたそうですね? 私から個人的に報奨金みたいなものをお贈りしたいのですが、残念ながら公僕はさほど給与がなくてですね」
「ああ、知ってる。気にするな。それに、そんなことしたらワイロを疑われることになるんじゃないか?」
「おっと、確かに。ははは、気をつけないといけませんね」
「そんなことで大丈夫か?」
「大丈夫ですよ。少なくとも今回みたいな案件に関しては、絶対に阻止します」
「すごい意気込みだな。以前、そういう嫌な事件でも担当したのか?」
「うーん……どうでしたかねぇ……」
「なんなんだ。よくそんな気構えで今回の件の端緒をつかめたな」
「愛らしい少女はついつい目で追ってしまうクセがありましてね。ついでに足でも追っていたら偶然ですよ。いやぁ、私のクセも、たまには役に立つもんですね」
「…………」
おまわりさーん!
あ、こいつがおまわりさんだった。
おまわりさんが一番特殊だった……。
やるせない。
「お前……気をつけろよ」
「え? ああ、はい。気をつけますよ。少女は愛でるものですからね。商品になんてさせませんよ」
「そうじゃなくてだな……」
しっかり忠告しようとしたが、言葉の選択に迷い、口ごもってしまった。
下手なことを言って自らの性癖を自覚してしまっては、大変なことになりそうな気がした。
いや、こいつの人生だからどうでもいいと言えばどうでもいいんだが……。
どうか、こいつに関わって不幸になる少女が出ないことを切に願う。
「……時間だ。それじゃあな」
「ええ、お気をつけて。またお会いできる時を楽しみにしてます」
「ああ、戻ってきたら、また近況を聞かせてくれ。……心配だからな」
「心配?」
「いや、気にしないでくれ。せいぜい“清廉な”仕事に励んでくれ」
「ええ、お互い頑張りましょう」
清廉、という部分を強調したが、伝わっただろうか。
伝わってないだろうな。
まぁ、いい。
余計なことを口にしてしまう前に会話を打ち切り、舷側のタラップを昇り、船内に入る。
艦橋まで辿り着くと伝声管に口を寄せて指示を出す。
「これより、バーリニに向かうため、南東への航路に入る。行程は3日を予定している。時間が押しているので寄港は行わない。総員、気を引き締めて、しっかりと頼む。監視塔、全周警戒」
≪はい! ……問題ありません!≫
「よし、機関発動!」
船がゆっくりと上昇を開始する。
ある程度上昇すると、プロペラが大気を切り裂き始める。
今度こそ、安全な旅になりますように。
これにてカルノ編は完結となります。




